そういちコラム

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素人が「科学とは何か」を考えるための本・『サイエンス・ファクト』

ガレス・レン&ロードリ・レン『サイエンス・ファクト 科学的根拠が信頼できない訳』(塚本浩司監訳・多田桃子訳、ニュートン新書、2023年)という本を読みました。イギリスの生理学者である父と、科学社会学的な分野の研究者である息子による共著。

科学とは何か、科学はどのようにして成り立っているのか、科学者は何をしているのか、科学哲学者や科学社会学者は何を論じているのか(たとえばポパーやクーンといった有名な学者はどんなことを言っているのか)……

そうしたことについて、素人の一般読書家(私のような)が幅広く知るうえで良い本だと思いました。

通俗的・断片的な知識でなくて、専門家による系統だった、より深い説明に触れることができる本です。

「おそらくそういう本だろう」と思って読み始めましたが、期待通りでした。明晰でわかりやすい翻訳によって、まさにそういう本になったとも思います。

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私たちは科学者について、ごく素朴には「公正に真理を探究する人びと」というイメージを持っているはず。

そこで私たちの多くは「科学」の名のもとに述べていることを、ばくぜんと信頼するわけです。

しかしその一方で、「科学は信用できない」とする人たちも近頃は目立ちます。その人たちは「科学研究は商業主義や何らかの陰謀で歪められている」と言います。

そして、「科学的」と称する別の見解をひきあいに出して、主流派の科学者の説を否定する。最近の新型コロナやそのワクチンのことでは、まさにそういう構図になっていました。

この本を読むと、「科学者は聖人君子ではなく、科学者として名誉や地位を得たいという欲望や、科学界の力学に強く影響を受ける」ということがよくわかります。それが古典的な科学史の事例ではなく、現代的な事例を通して述べられているのです。

しかし一方で「問題はあるにせよ、やはり科学は基本的には信頼できる」ということも、この本からは伝わってきます。

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本書によれば、現代科学の問題のひとつとして「評価基準によって研究が歪められている」ということがあるそうです。

つまり「その論文がどれだけ引用されたか」が研究の評価の柱になっており、それが研究の問題意識やテーマ設定に大きな影響をあたえるというのです。

たとえば、ある研究の積極的な主張(「肯定的な結果」という)を地道に検証する追試的な研究はインパクトが弱く注目されにくい(引用されにくい)。そこで不当にマイナーな扱いになってしまう。とくに否定的な結果を示す研究は、無視されやすいとのこと。

追試的な研究は、科学の信頼性を支えるきわめて重要なものです。それなのに、おろそかにされる傾向があるわけです。

「引用されることをとくに重視する傾向」は、本書では「インパクト」重視のバイアスなどとも述べています。これは、本書が述べる科学のあり方についてのキーワードです。

インパクト重視の傾向によって、「記述的」といわれる、研究対象についての基礎的な細かい事実・現象を調べる研究(その分野の基礎となり、新しい研究領域を切りひらくうえでも重要)も軽視されがちになっているとのこと。

そして論文の引用にしても、自分の主張にとって都合がいいように、その研究の意味を歪めてしまうことも珍しくはないそうです。これは「否定的な結果」を示す研究を無視する傾向とつながっています。

さらに、インパクトの強い「よくできた物語」を構築するために厳密性やバランスを犠牲にすることも増えている、とも。

そして、学術誌の「査読」(論文の掲載について他の専門家が審査するしくみ)の限界や、それが理想的には機能していない現状も、本書は指摘しています。

査読というしくみは、科学研究の信頼性を確保するうえできわめて重要なものです。しかし、科学研究の厳密性などをチェックする、その機能は十分に働いていないというのです。

たとえば『ネイチャー』のような、一般人が「最高の権威」と思っている学術誌の査読に不十分な面がおおいにあること、そこにはインパクト重視の現代科学の体質、雑誌としての商業主義などが作用していることが述べられています。

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本書の終盤で、著者はまとめ的にこう述べています。

《科学者は〈自らの考えを広めるためのバイアス〉がかかった党派主義者だ。彼らはそのためにエビデンスを選り好みし、エビデンスやデータを柔軟に解釈し、出典を選択的に引用することによって論証を組み立てている。科学者は理不尽な測定基準〔そういち注:引用された件数など〕に翻弄され、商業的な学術誌は科学を内側からむしばんで厳密性を低下させた。……ある意味、最近発表された研究結果のなかには、確かに虚偽といえるものも多いかもしれない》(538ページ)

以上のようなことを知ると、本書のカバーの裏表紙にあるように《「科学的に実証されたものは正しい」という認識が根底から覆〔る〕》かもしれません。

私も本書を読んで、科学への信頼が揺らぐところがありました。たとえば「『ネイチャー』や『ランセット』に載った説だからといって、かならずしも信頼できるわけではない」ということを知ったわけです。

しかし科学への信頼が「根底から覆る」までには至りませんでした。

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本書では、科学への信頼が揺らぐような実態を多く述べている一方で、「それでも信頼できる面が強くある」と思えることもかなり述べています。

科学者が「バイアスのかかった党派主義者」であるのは、真理を明らかにしようとする情熱のせいであると、著者は言います。そして、ほかの科学者との競争や真剣勝負を重ねながら熱心に研究をすすめる様子についても、随所で述べているのです。

著者はこう述べています。

《この賢くて才能あふれる人たち〔科学者〕を突き動かしているのは、製薬会社のアメでもなく、資金提供者のムチでもなく、「理解したい」という彼ら自身の情熱だ。もちろん、科学者にも偏見はある。しかし、その偏見も主に情熱から生まれたものだ。自分のアイデアを個人的に投資している〔人生をかけて取り組んでいる〕からこそ、偏見は生まれる》(539~540ページ)

そして《科学の成功は、私たち〔科学者〕の情熱と深く結びついている》と。(540ページ)

つまり、熱意を持った(とくに新世代の)科学者が、自分のアイデアを守り抜いて成功したことで、科学は前進してきたということです。

たとえ同時代の一流の科学者たちから懐疑的にみられても、《ほかの人たちを説得して価値を認めさせる技を身につけなければならない。自分のしている研究がどういったもので、どうやったらうまくいくか、説得力のある新しい一つの物語を構築できて初めて、成功の可能性が生まれる》(541ページ)のです。

「それが科学だ」ということなのでしょう。

本書の別の箇所では《科学者が長期的に信用され、キャリアを向上させていくには、〈信頼性の高いエビデンス〉を提示し、重要視される視野の広い主張、攻撃的な批判に耐えられるくらい強い主張〉をする必要がある》(116ページ)とも述べています。

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そして、新世代の科学者が通説をくつがえす説を「信頼性の高いエビデンス・反証」に基づき強く打ち出して、大物の科学者との論争に勝利した事例(ハリスとザッカーマンの論争、第5章)などを取り上げています。そういうことが科学の世界では可能なのです。

こうした「科学への信頼」にかかわる事例が、本書ではいくつか述べられています。

また「学術誌の査読が機能していない」ということについても、すべてがそうではないとのこと。「限定された分野を扱う専門性の高い学術誌では、査読は機能している」というのです(これに対し『ネイチャー』のように幅広い分野を扱う学術誌の信頼性は劣るということ)。

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私が本書を通して受け取ったメッセージは、「科学は複雑」ということです。

これは最終章のなかの一節の見出し――《科学は複雑で、絶えず変動している》からとった言葉です。

盲目的に「信頼する」のでもなく、「信頼できない」と切り捨てるのでもない。科学の建設的で健全な営みの「基本」はあるけれど、それに対し影響をあたえるさまざまな作用があり、その作用のからみあいで科学研究の世界という「生態系」が構成されている――そんなイメージを、私はこの本から受け取りました。

この「生態系」という言葉は、本書の最終章で科学研究の管理者の役割について述べた箇所からとったものです。

そこでは、研究の管理者の仕事について《ランの花〔秋田注:個々の研究〕を育てることではなく生態系を維持することである》と述べているのです。(555ページ)

この「生態系」というイメージは、研究所などの個別の場だけでなく「科学研究の世界全体」にもあてはまると思います。

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本書は、「現代において、従来の科学研究の生態系が(悪いかたちで)変化している」ことを述べた本ともいえるでしょう。

しかし一方で「その生態系には健全さを維持しようとする作用も強く存在している」ということも述べていると、私には思えます。ここは意見が分かれるかもしれませんが。

しかしとにかく、この本には「科学の現状」を一般の人が自分なりに理解し、考えるための基礎知識や視点、材料が豊富に書かれています。科学に対する考えがどうあれ、読む価値があると思います。

そして、この本に書かれているようなことを認識する人が増えるのは、科学に対する社会的なリテラシーが向上することで、大事なことです。

ただ、新書サイズで読みやすく書かれているとはいえ、ハードなテーマで500数十ページもある本です。だから読む人はやはりかぎられるかもしれません。

そこで、「日本人の専門家による、この本のテーマをさらにかみくだいて簡潔に書いた本があったらいい」とも思いました。

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