そういちコラム

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民主主義の優位を主張する「歴史の終わり」論は、まちがっていたのか?

ソ連などの社会主義体制が崩壊した「冷戦終結」の頃(1990年代初頭)のこと。西欧やアメリカの体制を典型とする「リベラルな民主主義」の優位性を主張する「歴史の終わり」論が、話題になったことがあります。

フランシス・フクヤマ(1952~)というアメリカの思想家が打ち出したもので、簡単にいうと、つぎのような主張です。

リベラルな民主主義こそが究極の政治体制であり、ほかの体制はそれよりも不完全で重大な欠陥があったことが、冷戦終結で明らかになった。なにしろ、共産主義というリベラルな民主主義の最大の強敵が敗北したのだから。

これはイデオロギーの進歩の歴史において、重要なコンセンサス(最終的な答え)が成立したということで、「歴史の終わり」と呼びうるものだ……

なお、フクヤマのいう「歴史」とは、「歴史における原理的な進歩」のことです。それが「終わり」をむかえるからといって、もう大事件が起きないとか、社会問題が全部解決されたなどど言っているのではありません。

また、よく勘違いされるのですが、「歴史の終わり」論は、「今後はアメリカが世界を圧倒的に支配し続ける」ことをうたった勝利宣言ではありません。あくまで、リベラルな民主主義の制度としての優位性について述べているのです。

これは、フクヤマの主著『歴史の終わり』(原著1992年、翻訳は三笠書房刊)をきちんと読めばわかるはずですが、同書の主張については「本が読まれないまま語られる」ことが多いです。

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そして、この「歴史の終わり」論は、今は評判が悪いです。知識人が取り上げるときも「そういうのがあったけど、まちがっていた」と一蹴されることが多い。

でも、私は「歴史の終わり」論は、基本的にはまちがっていなかったと、今も思います。

たしかに、今の世界では「民主主義の危機・後退」ということが、現実に起こっています。

なにしろ、民主主義の総本山だと思っていたアメリカがああいう状態です。大統領が選挙や司法などの民主主義を支える制度、言論や学問の自由を公然と攻撃したりしている。そして、それを支持する多くのアメリカ国民がいる。

そして、民主主義と鋭く対立する独裁体制(権威主義体制ともいわれる)の中国が超大国として世界に大きな影響をおよぼしている。同じく独裁体制のロシアも、中国ほどの力はないとしても、現在の国際秩序に対する重大な脅威となっている。

でも、その影響力が強くなっているとしても、中国やロシアの体制が、国家の政治体制として「望ましい・あるべき姿」と思っている人は、どれだけいるのでしょうか? 外国からみればもちろんのこと、中国やロシアの内部でもどうなのか? 

中国やロシアの権力者・富裕層のあいだでは、自分の子供を欧米に留学させることは一般的ですし、留学後は欧米に永住することもあるわけです。また、資産の重要な部分が欧米にあったりもする。

おそらく、中国やロシアの権力者の多くは(狂信的な例外はあるにせよ)、本音では「自国の体制が正しいものだ」とは思っていないのです。

また、欧米や日本などの先進国で「民主主義」に批判的な人たちもいます。今の体制のもとでの社会の問題と民主主義を結び付けて批判するわけです。

でも、民主主義がそんなに気にいらないなら、結局「独裁」しかない(個人による独裁もあれば、政党や軍などの集団による独裁もある)はずですが、そこは明確には言わないのです。それは結局「民主主義にかわる、説得力のある体制の構想」を示すことができないということ。

それはそうでしょう。民主主義以外に、今や何があるというのか? たとえ民主主義にいろんな問題や欠陥があるとしてもです。

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結局、私たちはリベラルな民主主義、つまり自由主義・民主主義・資本主義といった基本要素がセットとなった体制を、いろいろ調整しながらやっていくしかないのだと思います。

近代の歴史をみわたすかぎり、リベラルな民主主義に反発・抵抗する、王政などの旧体制の復活、ファシズム、共産主義などの試みは、一時勢いがあったとしても全部失敗しました。今の中国もずっとこのままで行けるとは、私には到底思えません。数十年のうちに何らかの動揺や激変があると、私はみています。

安定した政治体制(リベラルな民主主義)のもとで暮らす私たち先進国の人間は、海外の独裁国家についても、その体制がそれなりに(問題を抱えながらも)保たれている様子をみていると、ばくぜんとこの体制がずっと続くと思ってしまいます。自分たちの社会のような「安定」が、自分たちとは異質な社会においても成立すると、つい考えてしまう。

1970~80年代のにおける、ソ連に対する西側の見方も、まさにそうでした。

その当時(70~80年代)の、21世紀やさらにその先の未来世界を描いたSF作品をみても、その未来において、大抵はソ連はずっと続いていることになっています(私は子ども時代にそういう作品にいろいろ触れてきました)。まさか10年先にソ連が崩壊するなんて、1980年頃の人たちは、ソ連に批判的な識者も含め、まず考えていませんでした。

だから、中国やロシアの今も体制も「今はともかく(いつかはわからないけど)そのうちどうなるかわからない」という目線で見続けることは大事だと思います。

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将来において中国やロシアの権威主義体制が衰退・崩壊したらどうなるか?

あるいは、アメリカにおけるトランプ的な政治が「結局、ダメだった」ということが明らかになるときが来たら? それはおそらく、さんざんいろんな混乱や問題をひきおこし、深い傷あとを残した末のことになると思いますが。

そんな「シン冷戦終結」があれば、リベラルな民主主義の優位が再確認されることになるでしょう。「歴史の終わり」的なことをいう識者が、またいろいろあらわれるのです。

そのなかには、今現在「“歴史の終わり“なんて、まちがいだったね」と言っている「識者」も含まれるでしょう。

ただし、「リベラルな民主主義の優位に関するコンセンサス」が再確認されたところで、格差などの社会問題や、世界の環境や安全保障の問題などが一挙に解決されるわけもありません。

だから、「現体制の基本原理」「正統とされる価値観」である「リベラルな民主主義」への批判や反発も続いていくのです。そして、情勢しだいで、また強大な権威主義国家があらわれたり(一番考えられるのは、中国がまた権威主義に戻ること)、「新しいトランプ」といえるような有力な政治家が、欧米などの先進国にあらわれたりするわけです。

このような、「リベラルな民主主義」が「正統」とされながらも、絶えずそれに反発する勢力から批判や挑戦を受け続ける状態が、これから100年200年は続くと、私は思っています。

そういう、すっきりしない、混沌とした状況が「歴史の終わり」の正体なのではないか。

今、私は20代や30代の頃に熱心に読んだフクヤマの『歴史の終わり』を読みかえしているのですが、以上のようなことを考えています。この問題については、今後も考えていきます。