自分で頑張るだけでなく、周囲や、あるいは社会による支援に頼ることをどう考えるか?
「自助」「共助」「公助」という言葉もありますが、それらの関係や優先順位についてどう考えるか? これは、現代社会において人生に大きな影響をあたえる事項のひとつではないでしょうか。
そして、一部の中高年(とくに男性)が言うような「最近の若い者は、すぐ他人や何かのサービスに頼ろうとして、努力が足りない」といった考えは、今の社会を生きていくうえではデメリットが大きいと、私は考えます。
たしかに私も「自分ができることをまず頑張る」のは基本だと思います。そういう努力や工夫を重ねる姿勢は、すばらしいと思います。
しかし、「自助」ばかりを優先し重視する考えに凝り固まると、自分の可能性を狭め、ときに自分を危うくすると思うのです。
そんな「間違った自助努力」で行き詰ってしまう前に、周囲の人や公的なサービスから支援を引き出していく――それは人生において重要なことではないか。
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そして「周囲や社会から支援を引き出す」のは、じつはそれなりにエネルギーやスキルの要ることです。
ほんとうに「弱い」「無力」な状況にある人にとって、「支援」を得るのはむずかしい。
たとえば支援機関、つまり公的サービスの窓口に行くことは、かなりの人にとってハードルがあります。利用のための情報にアクセスする手間やむずかしさ、心理的抵抗があったりする。
さらに窓口の担当者から望むものを得るのには、一定のコミュニケーションや姿勢が求められるものです。
窓口の担当者が親切で力量のある人なら、そのコミュニケーションのハードルは低くはなります。しかし、ハードルが全くないということはありえません。
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「窓口に行って支援を得る」ことについてのこうした見方(その重要性とハードルの存在)は、私は昔から思っていたことですが、近年は一層強固になりました。
私は9年ほど、大学生などの若者の就職支援の相談窓口でカウンセラーとして仕事をしたことがあります(2年前にその仕事は退職し、近くまたパートタイムで再開する予定)。
その仕事のなかで、就活について「窓口」で支援を求めることに対し、不安やためらい、「恥ずかしい」という気持ちを持つ人、あるいは遠慮のある人が一定数いることを経験しました。
こちらとしては「遠慮したり恥じたりする必要はないので、どんどん我々を使って欲しい」という姿勢でコミュニケーションをとるわけですが……
その一方、適切なコミュニケーションで、カウンセラーから積極的に上手く支援を引き出す人もいる。
それぞれの方の背景・事情は私には知る由もありません。しかし「こうした違いは、その人の育った環境や受けた教育が影響しているのだろう」という推測はつきます。
そして中には、窓口でカウンセラーに接するとき、不信感や苛立ちが強く出てしまって、コミュニケーションがとりにくくなっている人もいます。
もちろんカウンセラーは、それでもきちんと対話できるように努力するのですが、やはり困難が伴います。
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さらに世の中には「そもそも窓口に行くことができない」「窓口に行くなんて思いもよらない」という人も大勢いるわけです。
もちろん「窓口に来ない」人のなかには「そんな支援などなくても、自助や周囲の助けで十分に(就活を)すすめることができる」という人もいます。
私も、そういう人にお会いすることがありました。「自助」で活動してきた人が「複数の内定を得たけど…(どちらを選ぶか、断る会社へどう伝えるか)」といった就活の最終局面で窓口へ来ることがあるからです。
そういうとき「たしかにこういう(コミュニケーション力などのある)人は自助でやれるのだろうな」と感じることが多々あります。あるいは「周囲(友人・家族・身近な大人)からの共助をしっかりと得ることのできる環境にあるのでは」と感じることもあります。
しかし、現代において就活をすべて「自助」「共助」で適切に進めることのできる人は少数派だと、私は思っています。
たいていの人は、自分なりのやり方で「公助」(大学のキャリセンや公的な相談機関)を利用したほうが、より良いかたちで就活をすすめることができるはずです。
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以上のように私は思います。しかし、私と同年代の中高年(とくにおじさん)のなかには「オレが若いころは、カウンセラーに相談なんかしなくても自分で就活をしたものだ、今の若いヤツらはすぐに人や窓口に頼ろうとする」などと、就活における「公助」を否定する人も散見されます。
私自身、私の仕事についてそういう意見をされたことがあります。また、私が接した学生さんのなかにも「自分の親は自分がこういう場所で相談していることを良く思っていない」と言う人が(多くはありませんが)いました。
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私は、いろいろな公的サービス(NPOなど民間によるものも含む)がかなり発達した現代の社会では、「公助をうまく利用するのも主体性(自助)のうち」だと思っています。
たしかに「公助」の多くには使い勝手の悪さや力不足などの限界はあります。しかし、かなり(あるいはいくらかは)役に立つ場合もある。それを前提に「使えるものは使っていこう」ということです。
「必要に応じて可能ならば、公助も積極的に利用しながら、自分自身がしっかり頑張っていく」のが現代の「自助」だと、私は思います。
そして「カウンセラーに相談するなんて良くない、オレの若い頃は…」みたいなことを声高に言う人は、「公助を主体的に利用する」という現代の「自助」のあり方を否定しているように思うのです。
そんな「否定」は、若い人たちにマイナスの影響をあたえるでしょう。
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「主体的に誰かに助けてもらうスキル・姿勢」について、現代の大人は子どもや若い人に教える必要があります。
これは、たとえばヤングケアラーのような深刻な状況におかれた子どもの救済にもかかわってくることでしょう。
あるいは家庭の事情で進路の問題について苦悩する子どもへの支援や、その他さまざまな困難につきあたった子どもや若者がさらに深刻な事態に陥ることを防ぐにあたっても重要な事柄のはずです。
最近のニュースで「200~300万円の借金を抱えた若者が、借金を清算しようとネットでみつけた“闇バイト(=犯罪行為)”に応募して強盗を働いた」というケースが報じられていました。
そこにも「間違った自助」のイメージが作用しているように、私は思います(もちろんそれだけではないにしても)。
その若者は「債務について相談できる公助(国民生活センターや自治体)の窓口に行ってみよう」とは考えず、「“闇バイト”で荒稼ぎして自分で何とかしよう」と考えた。なんという間違った自助努力。
たしかにこれは極端でひどい例です。しかし「借金で困ったら、どこへどう相談すべきか」といったことは、子どもたちや若い人に積極的には知らされていない(情報が十分に届いていない)ように思います。
そして、それは「借金」の問題だけではないはずです。