そういちコラム

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プーチンの「被害者意識による正当化」という思考回路

先日(2023年2月21日)の年次教書演説など、ロシアのプーチン大統領は「ウクライナでの紛争を煽り、犠牲を拡大させたのは、西側の権力者とウクライナの現政権だ」という発信をくり返しています。

それは要するに「自己正当化」ということですが、その「正当化」で特徴的なのは「われわれこそが被害者である」という主張です。

この「被害者意識」による主張を要約すると、以下のようになるでしょう(特定の演説ではなく、プーチンやその同調者によるいろいろな言説の要約です)。

「ロシアは西側から圧力・攻撃を受けている。それは何世紀も前からのことで、19世紀にはフランスのナポレオンによるロシアへの侵攻があり、20世紀には第二次世界大戦(ナチス・ドイツの攻撃)や冷戦(アメリカ陣営との戦い)があった」

「その攻撃は今も続いているし、これからも続く。2014年のウクライナにおける反ロシア的な政権の成立も、バックには西側がいる」

「現在のキエフ(キーウ)の政権は、ネオ・ナチ(“ナチスの後継者である邪悪な勢力”という意味)であり、ドンバス地方(ロシアが実効支配しているウクライナ東南部)などを大規模に攻撃する計画を練っていた…」

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東欧・中欧(ウクライナやポーランドなどを含む地域)を専門とする歴史学者ティモシー・スナイダーは、著書の中でこう述べています。

《二十世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や加害者が自分はなんの罪もない被害者だと主張することからはじまっている》
(『ブラッドランド』(下)ちくま学芸文庫版327ページ)

スナイダーの『ブラッドランド』(上・下、ちくま学芸文庫版2022年、布施由紀子訳)は、ソ連の独裁者スターリンによる大粛清があった1930年代から第二次世界大戦の時期において起きた大虐殺について研究した本です。

その大虐殺のおもな舞台になった東欧・中欧の地域(ポーランド・ウクライナ・ベラルーシなど)を、スナイダーは「ブラッドランド(流血地帯)」と呼んでいます。

ブラッドランドは、ナチス・ドイツとソ連が共謀して侵略(ポーランド侵攻など)を行い、のちには両国のきわめて激しい戦争(独ソ戦)が行われた地域です(独ソ戦は、ドイツがソ連に侵攻して始まった)。

本書によれば、1930年代前半から第二次世界大戦にかけての時期にブラッドランドでは、ナチス・ドイツとソ連が行った虐殺によって、1400万人もの民間人が亡くなったとのこと。

なお、ナチス・ドイツによるユダヤ人をはじめとする民間人の大量虐殺のほか、スターリン政権のソ連も、これに匹敵する大量虐殺を行っています。反体制とされたソ連の市民、占領したポーランドの人びとなどを、ソ連の当局は数百万人規模で殺害しているのです。

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スナイダーは、こうも述べています。

《スターリンもヒトラーも、政治家生命を全うするまで自分は被害者だと主張し続けた》(下巻327ページ)

つまり、ヒトラーは「ユダヤ人や共産主義者にドイツは浸食・攻撃されている」と主張し、スターリンは「西側の資本主義国やそれと結んだ反革命分子がソヴィエト体制に脅威をあたえている」と主張し続けました。

国家の指導者――とくに大国の指導者が「われわれは被害者だ」とつよく主張するのは、非常に恐ろしいことです。大きな戦争や虐殺につながりかねない。

被害者意識は、他者への容赦ない攻撃・暴力を生む強力なバネになり得ます。

ヒトラーとスターリンはその最大の事例ですし、今回のプーチンによる戦争は、第二次世界大戦後では(被害者意識と関係する惨禍として)最大級のものといえるでしょう。

また「アジア・太平洋戦争における日本も、欧米列強に対する強い被害者意識を持っていた」と、私はみています。

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国家・社会レベルでの被害者意識は、危険なだけでなく、根絶のむずかしい、じつに厄介なものです。

そもそも、この被害者意識には、現実的な根拠がまったくないわけではありません。だからハマってしまう人がいる。

この世界のほとんどの国・民族は、周辺や覇権国からの圧迫や攻撃、搾取をなんらかの形で受けているものです。圧倒的な覇権国でもないかぎり、被害者意識の現実的な根拠をつねに抱えているのです(一方で大抵は周辺や覇権国とのつきあいで利益も得ている)。

ロシアもこれに当てはまります。ロシアはたしかに大国ですが、世界規模の覇権国になったことはありません。ずっと西欧やアメリカの風下に立ってきた、ともいえるでしょう。

そしてナポレオンやヒトラーの侵略を受けたことは、たしかに事実です。20世紀以降、強大なアメリカとの緊張関係が続いてきたことも事実。

その一方で、ロシアは大国としてウクライナなどの周辺国に対する加害者としての歴史も持っているのですが、プーチンのように被害者意識ばかりの見方では、その点は無視するか歪めて解釈するわけです。

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そして、この被害者意識は一度ハマってしまうと、抜け出ることがむずかしいです。被害者意識から他者を攻撃し、それで失敗してかなり痛い目にあったとしても、なかなか目が覚めない。

なぜなら、他者を攻撃すれば多くの場合、攻撃された側は反撃と怒りで応じてくるからです。そのとき、最初に攻撃した加害者は「ほら、やっぱりあいつらは敵で、われわれを攻撃しようとしていたんだ、それが証明された」と受けとめるものです。

今回のウクライナ戦争でも、プーチン的な視点に立てばまさにそういうことになっています。

「ウクライナは西側から莫大な支援を得て我が軍を攻撃している、前々から言っていたように西側とウクライナが結託してわれわれを滅ぼそうとしていたことが、これで明白になった!」というわけです。

そして、ロシア軍に多くの犠牲が出れば出るほど「ウクライナと西側は、やはり敵だった」という論理は、その筋の人たちのあいだでは説得性を増していくのです。

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戦争や虐殺には、以上のような「われわれは被害者」という、指導者やそれを支持する人びとの思考回路が深く関わっていると、私は思います。

これは人間のなかにある、おぞましい側面についての話です。だから、あまり目を向けたくないものです。

しかし、私たちが「被害者意識による正当化」という思考回路について知っておくのは、平和のために意義があると思います。

「とにかく戦争・侵略はまちがっている」というだけでは、やはり足りないのではないか。戦争・侵略を行うときの人間の思考回路(今回述べたものだけではないはず)について、私たちは知っておくべきです。

その自覚を持つ人が増えるほど、世界における戦争の危険は少なくなるはずです。でも、まだまだ道のりは遠いようです。

*なお、ここで「危険だ」と述べているのは「国家・社会レベルでの被害者意識」です。個人レベルで現実に被害にあった人が被害者として自分の権利を主張するのとは、次元のちがう話をしています。念のため。

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