そういちコラム

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被害者意識による暴力の恐ろしさ・深刻さ

今現在のイスラエルによるガザ地区への攻撃をみていると、「被害者意識に基づく暴力の恐ろしさ・深刻さ」ということを強く感じます。

イスラエルは、直接的には2023年10月に行なわれたハマス(ガザ地区を実効支配するイスラム勢力)によるイスラエルへの越境攻撃への報復として、ガザ地区への攻撃を行っているといえます。

しかし、ガザへの攻撃の常軌を逸した激しさ――基本的にイスラエル寄りのアメリカ大統領でさえ嫌悪するほどの――の根底には、やはりユダヤ人の歴史的経験があります。

つまり、第二次世界大戦の時期において、ホロコーストといわれるナチス・ドイツを主体とする大虐殺の被害にあったという歴史的経験です。これが、「被害者意識」というかたちでユダヤ人の行動原理に大きな影響をあたえ続けている。

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ナチス・ドイツがユダヤ人の迫害を始めた当初(1930年代後半)、それはおもにドイツからの追放を意図したものでした。直接に命をおびやかすものではなく、市民権や財産権などの剥奪というかたちの迫害だったのです。

これに対し、ユダヤ人のなかにはドイツに残る選択をした人もかなりいました。今の私たちは、その後の歴史の展開を知っているので、「それはダメだ、早く逃げろ!」と思います。

つまり、私たちは、第二次世界大戦の後半以降に、絶滅収容所のガス室送りなどによる組織的大量虐殺で数百万人のユダヤ人が殺されたことを知っている。

あるいは、ナチス・ドイツが空前の対外侵略を行なって、東西ヨーロッパの広い範囲を制圧していったことも知っている。ユダヤ人が多く殺された場所は、ポーランドをはじめとするナチスによる占領地域です。

しかし、ユダヤ人への迫害が始まった当初には、ユダヤ人のあいだでは「ナチスの政府やドイツ人は、この国で市民として根をおろした自分たちにそこまでひどいことはしないだろう」という見通しも、かなり有力だったのです。

その期待は、完全に裏切られることになりました。そして、のちにユダヤ人への迫害が、彼らの命を明確におびやかす段階になっても、組織的な武力による抵抗は、(迫害・虐殺の現場となった地域では)限定的にしか行われませんでした。「戦わなくては」と気づいたときには、すでに手遅れで、ほぼ何もできない状態に追い込まれていました。

また、ユダヤ人を救済しようという(ユダヤ人コミュニティ以外での)国際的な動きもほとんどありませんでした。ユダヤ人虐殺は第二次世界大戦の戦乱のなかで行われ、ナチス・ドイツも自分たちの虐殺行為を隠そうとしたからです。

つまり、世界の国ぐにからみて「何が起こっているかよくわからない」「戦争で、それどころではない」という状況だったのです。ユダヤ人に何が起こったのかを世界の人びとが明確に知ったのは、大戦が終わってからのことでした。

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こういう歴史的経験をしたコミュニティは、「自分たちが殺されそうになっても、世界は助けてくれない」という世界観を持つようになるはずです。

また、「敵の非道さに対する楽観的見通しは裏切られる」「無抵抗で殺されるのは最悪。とことん敵と戦うべきだ」「世界が自分たちを支持しなくてもいい(世界が何をしてくれるというのだ)」といった考えを根強く持つようになるのでは?

これは、「強烈な被害者意識に基づく世界観」とでもいったらいいでしょうか。

もちろん、ユダヤ人のなかには、この世界観に否定的な人や、否定しないまでも相対化してとらえている人はいるでしょう。

しかし、昨年10月のハマスによる攻撃をきっかけに、この「被害者意識」が暴走を始めてしまったのだと、私は思います。

ネタニヤフという指導者の個人的利害に基づく選択(「自分のメンツの回復や保身のために、ガザ地区を徹底的に攻撃することが得策」という選択)も、この暴走を後押ししているようです。

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くりかえしますが、「被害者意識に基づく暴力」というのは、ほんとうに恐ろしいのだと思います。被害者意識は、暴力や残虐行為を正当化するからです。

当ブログの別の記事で、私は「国の指導者やそれを支持する国民が被害者意識を持つことの危険性」について述べています。プーチン政権によるウクライナ侵攻の根底にも、被害者意識がある、ということです。「ロシアは西側の不当な圧迫を受け続けてきた」という被害者意識です。

たしかに、歴史において、ロシアに対しナポレオンやヒトラーが大軍で攻めてきたということがありました。だから、その被害者意識にはそれなりの根拠があるといえます。

その意識をもとに、「現在のウクライナは西側に侵食されており、ウクライナを取り戻さないと我々はますます追い詰められる」と考え、「正当防衛」としてプーチンは侵攻を行った――そんな説明ができると、記事では述べています。

そして、ヒトラーやスターリンのような、歴史上最も有名な大量虐殺者にも被害者意識が強く作用しているのではないか、とも述べました。

ユダヤ人の被害者意識は、もちろんヒトラーの「妄想」といえる被害者意識とはちがいます(ヒトラーは「ロシアの社会主義やユダヤ人にドイツや世界が乗っ取られ破壊される」「ユダヤ人は世界に害悪をもたらす劣等人種」という、とんでもない観念・世界観を抱いていた)。

これに対し、ユダヤ人(とくにイスラエルのユダヤ人)のあいだで共有されている、と私が考える世界観には、悲惨きわまりない強烈な歴史的経験という、重たい「根拠」があるのです。深刻さやリアリティ、本気度がきわめて深いということ。そして、今回もたしかにハマスからの攻撃・被害を受けたのです。

それだけに現在のガザで起こっていることは、解決の糸口を見出しがたい、どうしようもなく困難な事態だといえるでしょう。いろいろな意味で「筆舌に尽くしがたい」ともいえる状況です。

私などがこのことを軽々しく書いてはいけないのではないか、とも思うのですが、こういう書く場所もある以上、やはり書いておきたいという気持ちで書きました。

(追記)
それにしても、このような被害者意識に基づく暴力を重ねることで、イスラエルという国の未来が、長期的には危うくならないだろうか、とも私は考えます。今後長いあいだ、イスラエルはアラブの多数派からこれまで以上に憎まれ続けるはずです。数十年単位の将来において、アラブ人やイスラム諸国が経済力や軍事力を発展させたとき、中東・アラブで絶対的な少数派であるイスラエルは、きわめて危険な状況に置かれるのではないか? 
もしも、これまでよりも強力になったアラブのイスラム勢力の同盟と戦争になったとしたら、イスラエルはこれまでの(4次にわたる)中東戦争のように勝利することができるのか? そして、核保有が確実だとされるイスラエルが、そのような戦争で国家存亡の危機に陥るとしたら、それは世界全体にとってもきわめて恐ろしいことだとも思います。


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参考文献

いずれもホロコーストについての読みやすく、しっかりとした入門・概説書。

やはり私たちは、世界史について基本的なことを知る必要があると思います。その思いで書いた拙著。本記事が前提としている世界史の知識が自分には十分ではないと感じられる方には、とくに手にとっていただきたいです。本書は、以前に出版したものの文庫化で、多くの方から「初心者にも非常に読みやすい」という評価を頂いています(2024年2月刊)。