フィンランドというと、「ムーミン」「北欧デザイン」「ノキア」などが思い浮かぶくらいで、その歴史について、私たちはふつうはほとんど知りません。
でも最近はウクライナ戦争の影響でNATO(北大西洋条約機構)への加盟がすすめられていることや、首相の来日で注目され、歴史などの解説をマスコミ報道やインターネットの記事でみかけます。
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フィンランドは、ロシアとドイツという2つの大国のはざまで苦難を味わった国です。
「ロシアとドイツのはざま」ということは、ほかの北欧諸国にも共通しますが、とくにフィンランドはロシアと直に国境を接するので、「はざまの国」として大変な目にあっています。
フィンランドは中世からスウェーデン王国に支配されていましたが、1808年にロシア帝国が攻めてきて、その支配下に置かれました。
その後1917年にロシア帝国が革命で倒れたのを機に、独立を果たします。
しかし、その独立は第二次世界大戦(1939~45)のとき、非常に危うくなります。
1939~40年にはソ連との激しい戦争がありました(「冬戦争」といわれる)。世界大戦のなかで、ソ連は領土的な野心とナチス・ドイツへの防衛意識から、フィンランドを自分たちの領域にしようと攻めてきたのです。
しかしフィンランドは徹底抗戦。国土の1割をソ連に割譲することになりましたが、独立は保ちました。
それから1941~44年には、再びソ連との戦争に(「継続戦争」)。
このときは、ナチス・ドイツがソ連に侵攻して「独ソ戦」が行われた際に、冬戦争で失った領土を取り戻す目的で、ドイツ軍に協力しながらソ連を攻めたのです。しかし、ドイツ軍が劣勢になるとフィンランドも追い詰められ、結局国土の一部をまた失った。しかしそれでも独立は維持。
そしてソ連と講和を結んだあと、今度は(ソ連の敵国である)ナチス・ドイツとの戦いになりました(1944~45、ラップランド戦争)。ソ連と講和をしたフィンランドは、ドイツにとっては敵です。それでもナチスの崩壊まで抗戦を続け、独立を守り通したのでした。
戦後のフィンランドは、ソ連との友好関係を保ち、西側とは経済的には結びつきながらも、軍事同盟(NATO)には加わりませんでした。軍事的にソ連と敵対することは、ソ連が攻めてくるリスクを高めるという判断です。ソ連も、冬戦争などで頑強に抵抗したフィンランドを軍事的に支配することをあきらめました。
そういう状態がずっと続いていたのですが、今回のウクライナ戦争で大きく変わった。
今のロシアは恐ろしすぎる。NATOの傘に入ったほうがロシアによる侵攻のリスクを減らすことができるはず。加入するならロシアがウクライナで手一杯な今がチャンスだ。
このように、フィンランドは第二次世界大戦で、ソ連とドイツという、連合国と枢軸国の両陣営と戦いました。とんでもない苦難を味わっているのです。
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さて、フィンランドといえばムーミンです。じつはムーミンの誕生は、こうしたフィンランドが経験した戦争とかかわっています。
「ムーミン」の物語とビジュアルは、フィンランド人の画家トーベ・ヤンソン(1914~2001)による創造です。彼女は第二次世界大戦の最中にムーミンの第1作を書き、それが戦後に出版されました。
彼女は、ムーミン以前には物語を書いたことはありませんでした。しかし、重くつらい戦時下の日々から逃避したいと、平和で皆が仲良しのムーミン谷について発表のあてもなく書き始めました。書いている間は戦争を忘れることができたのです。
一方、当時の彼女はイラストレーターとして、雑誌にソ連やドイツの独裁者を批判する風刺画を多く描いています。
でも、これは命がけです。彼女の国フィンランドはこれらの国に侵略・支配される恐れが高く、さきほど述べたように実際にソ連からもドイツからも攻撃を受けたのです。自国が負けて占領されれば、彼女は弾圧されてしまう。
ムーミン谷の平和で優しい世界は、たいへんな緊張感と苦しみの日々から生まれたのです。傑作とはそういうものなのでしょう。
ムーミンという作品が、それこそ今のウクライナ的な状況のなかで発表のあてもなく生み出されたということは、知っておいてもいいと思います。
読めばもちろんわかるのですが、あの作品は、やさしくてかわいらしいだけの世界ではないわけです。
参考文献
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