そういちコラム

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「あの戦争」を何と呼ぶか・太平洋戦争の呼称

太平洋戦争(1941~45)などの昭和の戦争の名称に関しては、いくつかの立場があります。つまり、いくつかの呼び方がある。それは、政治的立場やそれと結びついた歴史観・世界観の相違を反映しています。

じつは昭和の戦争にかぎらず「歴史的事件を何と呼ぶか」という問題は、つねに歴史観や世界観と結びついているので、いろいろな議論があるものです。そのなかでも「昭和の戦争の呼称」は、とくに代表的な事例といえるでしょう。

太平洋戦争は、戦時中は政府による公式名称である「大東亜戦争」の名で呼ばれることが一般的でした。

しかし戦後には、アメリカ側による呼称をもとにした「太平洋戦争」が学校教育をはじめ広く用いられるようになり、定着したのでした。アメリカにとって、日本との戦争は、おもに太平洋地域で行われたものでした。

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ただし保守・右派の人たち(「戦前」に対し郷愁や想いがある)を中心に、今も「大東亜戦争」と呼ぶ人たちはいます。その人たちは「太平洋戦争というのは、敗戦によってアメリカに押しつけられた名称だ」と考えているのです。

しかし「大東亜」というのは、日本が戦中に掲げた「大東亜共栄圏」(日本による東アジア・東南アジアの支配秩序)のコンセプトと結びついています。

つまり、あまりにも戦争中の国策やイデオロギーと結びついている(少なくともそう捉えられている)ので、右派や保守の人たちでも大東亜戦争という呼称は(仲間うち以外では)控える傾向があります。

そこで太平洋戦争と言う代わりに「日米(対米)戦争」とか「先の戦争」などと言うこともある。あるいは文脈によっては「第二次世界大戦」で済ますこともあります。

なお、太平洋戦争は「アジア・太平洋地域における第二次世界大戦」であり、第二次世界大戦(1939~45)の一部をなしています。

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一方で近年は、太平洋戦争という名称について「この戦争がアジアの広い範囲で行われ、惨禍をもたらしたことが抜け落ちている」という問題意識から「アジア・太平洋戦争」という名称を用いる研究者・識者もある程度増えています(右派や保守とは対立するリベラル的な人たちに多い傾向)。

そして「アジア・太平洋戦争」という場合には、単に太平洋戦争に代わる名称としてではなく、「満州事変・日中戦争・太平洋戦争という昭和の一連の戦争を包括する概念・名称」として用いることもあります。

たしかに「(太平洋戦争では)アジアが抜けている」という見解にはもっともなところがあると、私そういちも思います。

しかし、私自身は「入門的な概説」の文章を書くことが多いので、より多くの人になじみがあり簡略でもある「太平洋戦争」も捨てがたいと思っています。

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また「満州事変(1931)から太平洋戦争までの連続性」を重視し、一連の戦争をまとめて「十五年戦争」と呼ぶ研究者もいます(じつは満州事変から45年の終戦までは14年余りの期間ですが、「足掛け一五年」「ほぼ一五年」ということでそう呼んでいる)。

これは左派の人びと(マルクス主義・社会主義の影響を受けた人たち)が中心です。右派・保守の人たちは「十五年戦争」とは決して言わないはずです。

私そういちは、十五年戦争という名称は用いませんが、「“昭和の一連の戦争の連続性”という視点は、政治的信条に関わりなく、歴史を理解するうえで重要」だと考えています。

「昭和の戦争」というと、私たちの多くは、太平洋戦争をまず思い浮かべるはずです。たしかに太平洋戦争は決定的・破局的な大戦争であり、その開始によって日本が当時行っていた戦争はそれまでとは異なる次元に突入したといえます。

しかし、太平洋戦争に至った背景・原因には、(ここでは立ち入りませんが)「日中戦争の泥沼化・手詰まり」と「日中戦争をめぐって生じた日本とアメリカの対立」があったのです。

そして、一九三一年に日本が満州の広い範囲を制圧した「満洲事変」は、のちに日中戦争につながっていきました。

一九三七年に日本が中国の主要地域(華北以南)を攻撃することで日中戦争は始まりましたが、そのときの日本側には、満州事変以後に得た成果(満州の支配など)を基礎として「その成果をより確かなものにする」とともに「さらに成果を拡大したい」という意図がありました(この点も、これ以上の説明は省略)。

つまり、満州事変・日中戦争・太平洋戦争のあいだには、深い関連や連続性があるということです――少なくとも私は、そのように理解する立場です。

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それにしても、「あの戦争」――最も一般的には太平洋戦争と呼ばれる戦争について、それを「何と呼ぶか」という基本的なことでも、一筋縄ではいかない意見対立があるのです。 

そもそも「戦争の名称」というところですら一致しないのであれば、「あの戦争をどう捉えるか」のより深い話がかみ合うはずもありません。

なんとややこしい、めんどうなこと。

でも、その「相違」「対立」を増幅させる方向に行ってはいけない。

少しでも対立する意見のあいだの「一致点」「共通の基盤」を探って、それを確かなものにする努力をしないといけないはずです。

知識人や、そのほかの社会の指導的な立場の人は、とくにそのような努力に対し責任があります。そして、多数派の一般人の立場からは、「共通の基盤」を見出そうとする知識人・リーダーをぜひ応援すべきでしょう。

しかし、「共通の基盤」を見出そうとするリーダーは、多くの場合「煮え切らない」「妥協的」な人にみえてしまう傾向あります。つまり「格好悪い」感じがするのです。

それよりも、強いトーンの意見で「対立」を煽るほうが(最近はとくに)人気が出るようです。ほんとうに困ったことだと思います。

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この記事で登場した「あの戦争」のさまざまな名称がタイトルとなっている本の例(いずれもこのテーマの著名な著者・研究者によるもので、私のそういちの本棚にある)