日本がアメリカなどと戦ったアジア太平洋戦争(1941年12月~45年8月、太平洋戦争、大東亜戦争とも)は「超大国アメリカに対する無謀な戦争だった」と言われます。そのことは多くの人が認識しているでしょう。
「無謀」というのは、日本とアメリカの国力の差があまりに大きかったことから言われるわけですが、その「国力の差」に関する具体的な数字となると、あいまいな人のほうが多いはずです。
そこで、アジア太平洋戦争開戦時(1941年、昭和16)における日本とアメリカの国力を比較するデータをみてみましょう。
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【日本とアメリカの国力比較】(データは1941年)
●人口
アメリカは日本の1.9倍
日本(本土) 7220万人
米国 1億3400万人
●国民総生産(GNP≒GDP、国の経済規模)
アメリカは日本の11.8倍
日本 449億円(当時の物価で)
米国 5312憶円
*1人あたりGNP(経済の発展レベルをおおまかに示す数字)でみると、アメリカは日本の6倍ほど。
●粗鋼生産量
アメリカは日本の12.1倍
日本 684万トン
米国 8284万トン
*このほかの物資のアメリカの生産高の日本に対する倍率…石炭9.3倍 石油528倍 鉄鉱石74倍…(安藤良雄編『近代日本経済史要覧 第2版』より)
日本は、石油のほとんどを輸入し、その大半をアメリカに依存していた。当時のアメリカは世界最大の産油国だった(アラブの石油開発以前の時代)。
●自動車保有台数
アメリカは日本の161倍
日本 21.7万台
米国 3489.4万台
*人口当たりの普及台数でみると、アメリカは日本の80倍余り。クルマ社会という点では、日本からみてアメリカは別世界だった。
●航空機生産数
アメリカは日本の5.2倍
日本 5088機
米国 2万6277機
●国家予算
アメリカは日本の3.4倍
日本 165.4憶円
米国 565.5憶円
●軍事予算
アメリカは日本の2.1倍
日本 125.0憶円
米国 266.8憶円
*日本の軍事予算の相対的な大きさに注目。経済規模が日本の12倍弱であるアメリカの半分くらいの規模の軍事予算だった。これは、当時のアメリカ(日本やドイツとの戦争以前)が軍備に消極的だったということもあるが、日本が相当に無理をして「軍事大国」を志向していたということが大きい。
(人口を除き、吉田裕・森茂樹『戦争の日本史23 アジア・太平洋戦争』吉川弘文館所収の、山田朗『軍備拡張の近代史』1997年によるデータ)
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どうでしょう? やはりものすごい国力の差ですね。
こういう数字を、当時の指導的な人びとやかなりの知識人は当然目にしていました。それでもアメリカとの戦争を始めたのです。
その行為を「なんと愚かな」というだけで片づける気はありません。
ここでは立ち入りませんが、アメリカとの戦争に至るまでには、たしかにいろんなプロセスや苦悩があった。それに、もともとは日本の指導層だって、アメリカとの戦争は避けたかったのです。
また、これも具体的な説明は省略しますが「日本だけが誤っていたわけではない(アメリカの側にも戦争に至った責任の一端はある)」という主張にも、一理はあるとは思います。
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そして、開戦時の日本とアメリカの軍事力の差が国力そのものよりも近接していたということも、確認しておきたいと思います。
まず、上記のデータだと、開戦時の軍事予算において日本はアメリカの半分ほどだったのです。
そして陸軍の兵員の数だと、日本212万(1941年12月)、米国160万(41年8月)。
海軍の総トン数は、日本98万トン、米国143万トン・但し太平洋に限れば76万トン(いずれも1941年)。
(吉田裕ほか『アジア・太平洋戦争』による)。
こういう軍事力のバランスは、軍の指導者が「国力が大幅に下回っていても、やり方次第でアメリカに対し戦場で勝ちをおさめ、有利な講和を結ぶことが可能」と楽観的に考えるうえでの重要な根拠となりました。
でも、その「楽観論」は、生産力などの国の総力がぶつかり合う「総力戦」においては通用しないものだったことが、のちに明確になっていった。
後知恵でみれば、当時の軍人の「楽観論」は、まるで「相手は自分の10倍の大きさの巨人だけど、まだほとんど眠っていて本気出してないので、目覚めないうちにやっつければ何とかなる!」と言っているようなもの。
そして、真珠湾への奇襲攻撃は「目覚める前に巨人に大きなダメージを与え、戦意喪失させる」作戦の目玉でした。
しかしこの攻撃は、十分なダメージを巨人に与えることができないまま、巨人を覚醒させてしまったのです。
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ここであげたような大まかなデータで全体像をつかみ、広い視野に基づく大局的な判断をすることが、当時の指導層やエリートの人たちは苦手だった――それはまちがいないでしょう。
大局的な判断ができる人もいたのでしょうが、その人たちは主流にはなれなかった。
そして、数字・データへの無関心は、結局はものごとへの合理的な対応能力の低さにもつながるはずです。
アジア太平洋戦争においても、日本が負けた原因は圧倒的な物量の格差だけではなかったはずです。
「日本は物量が乏しいなりに、賢い戦い方をしたのか?」というと、「多くの場面でそうではなかった」というのは、いろいろと指摘されることです。
たとえば多くの人が知る話ですが、巨大な戦艦が軍事技術において過去のものになろうとしていた時代に、大和や武蔵のような巨艦を造り、ぼう大な資源や労力を無駄にしたことは、代表的な事例のひとつでしょう。
あるいは、物量の乏しい国にとって「情報」はきわめて重要なはずなのに、諜報活動や敵情の分析に日本軍は重きをおいていなかったとも言われる。レーダー技術への対応も、日本軍は鈍かった。
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ところで、アメリカと戦争を始めたときの日本人の弱点――ここでとくに取り上げたのは「データを通した大局的な把握が苦手」ということですが、それは今では克服されているのでしょうか?
どうもそうではないのではないか。
基本的な数字・データへの無関心ということは、私たちのあいだでよくあること。一方で「その数字の意味を深く考えずに特定の数字にふりまわされる傾向」も、私たちにはある。
あるいは「数字だけがすべてではない」という意見が共感を得やすいこと、また「数字に強い」と自負する人がテクニカルで一面的な枝葉の分析にこだわる傾向……
そういうことが、今の日本でも広くみられるように、私には思えます。
参考文献
ブログの著者そういちの最新刊(2024年2月5日発売)。世界史5000年余りの大きな流れをコンパクトに述べています。
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