そういちコラム

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今日の名言 司馬遼太郎の遺産(残した財産の内訳)からみえるもの

司馬遼太郎(1923~1996)は、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』など数多くの歴史小説や『街道をゆく』などのエッセイを残し、幅広い読者を得た大作家でした。

8月7日は司馬の誕生日。さっきある方のブログで知りましたが『ドラえもん』ののび太も、同じ日が誕生日だそうです。

司馬はこんな言葉を残しています。彼が述べたことで、私がとくに好きなもののひとつ。

【今日の名言】 司馬遼太郎(作家)

私は、ひまさえあれば、ねころんでいる。ただ寝ころぶだけで十分たのしいのだが、枕元に史書のたぐいのものがあれば、楽しみはもうすこし増す。

以下、ここでは彼の作品ではなく、遺産(残した財産)の話をします。その遺産のことは、上記の言葉と関わっています。

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司馬が亡くなったのは1996年のこと。その翌年、彼の遺産の評価額が税務署から公表されました。昔は、そんなことが公表されていたのですね。

遺産の総額は、26億4千万円。その大部分の20億1千万円が、銀行などへの預貯金です。あとは、著作権(3億9千万円)と、自宅の土地建物(2億4千万円)。
(『朝日新聞』1997年2月14日夕刊の記事による)

なお、司馬の家族は奥さん(司馬の良き理解者だった)だけで、子どもはいませんでした。

それにしても、これだけの財産を残す人なら、ふつうはほかに株などの証券や、自宅以外の不動産や美術品などがあってもよさそうですが、ありませんでした。20数億円の遺産としては異例な内訳です。

これは、司馬の人生をよくあらわしています。

大学卒業後は新聞記者となり、勤めながら小説を書いていましたが、30代後半には作家専業に。あとは、ひたすら大好きな歴史を探究し、作品を生み出す日々。

印税が口座に何億円振り込まれようと頓着せず、その一部を使って何万冊もの本を買い、蔵書が収まる邸宅を建てる。ほかに何もいらない。

「仕事の充実」や「お金とのつきあい」という点からみて、じつに幸せな人生だったといえるでしょう。

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お金とのつきあい方の理想は、「好きな仕事や活動から、思うような暮らしができるだけの所得を得ることができ、お金のことを考えないでいい」という状態のはずです。

そして、この「理想」の実現は、むずかしいことではあります。世の中では「満足できる所得が得られない」のが、最もふつうです。

一方、かなりの所得を得ていても「仕事は好きでない、できれば早く辞めたい」という人も多い。暮らしに困らない資産があっても「やりたいことがない」という人もいる。

あるいは、充実した仕事で相当な所得を得ているのに、精神のバランスを欠いている人もいます。私たちは芸能ゴシップで、そのような例をみることができます。

たとえば、ぜいたくや豪遊による浪費がひどくて「自転車操業」で暮らす有名タレントがいたりする。

また、芸能界で十分成功したのに、将来への不安や、どこか満たされない気持ちなどから、怪しい投資話や不慣れな事業に手を出して失敗する人もいる。

そして、マスコミやネットに出てくる「お金持ち」たちは、いつもお金のことを考えている感じがします(そうでないと、やはりお金は儲からないのでしょう)。

司馬遼太郎的なお金とのつきあいは、やはりきわめて例外的な、幸せなことなのです。

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ところで、司馬が41歳で家を建て、死ぬまで30年余り住んだのは、閑静な高級住宅街や、自然に囲まれた静かな土地とかではありません。東大阪という、かつては工場街だったところ。

司馬の説明によれば、そこは《土地は低湿であり、町に緑がすくない。市が街路樹をうえても、たれかがひきぬいてしまう。小型の犯罪が多発するため警察署は多忙》だとのこと。

私は東大阪に行ったことはないですが、これは数十年以上前の話で、今はふつうの住宅街なのでしょう。でも「山の手」ではなく「下町」なところだと、司馬はいいたいわけです。

司馬はエッセイで、こう述べています。《白砂青松の海岸とか、松籟(しょうらい、松の梢に吹く風)のきこえる丘陵の上の家とか、そういう家に住めば、おそらく閑寂さに気圧されて、小説が三行も書けないのではないか》と。

そして、《拙宅の応接室の東窓と西窓に隣家の干し物が盛大にぶらさがっている。が、それでこそいい》とも述べている。

まあ、司馬邸はもちろんふつうの感覚では立派な邸宅ですが、司馬がある種の下町感覚や、簡素を好む面があったことはたしかなようです。

また、ある短編集のあとがきでは、こんなことも述べています。

《……私は、ひまさえあれば、ねころんでいる。……ただ寝ころぶだけで十分たのしいのだが、枕元に……史書のたぐいのものがあれば、楽しみはもうすこし増す。ねころびながら、その史書のなかの人物の性格や人生を、さまざまに憶測することができるからだ。すでに少年のころからのクセになっているから、かれらは私にとって無上の隣人のようになってしまっている》

つまり、寝転ぶ場所と歴史の本があれば、自分は満足だというわけです。(以上、引用は文藝春秋編『司馬遼太郎の世界』文春文庫より)

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これは「成功者が無欲で質素なことを気取っている」のではないでしょう。そういう面も少しはあるかもしれません。でも、やはり司馬が心底思っていたことを述べていると思います。彼の遺産は、その証拠です。

つまり、彼が残したのは、彼が史書を読みつつ寝転んで過ごすための、大きな書庫のある下町の邸宅と、あとは銀行預金だけだったのですから。そしてそれは、生涯の最大の友でもあった奥さんに残された。

人生は、1人2人の家族や友がいて、あとは寝転んでくつろげる場所と、そんなにお金をかけずにたのしめる何か――司馬にとっての史書に相当する何かがあれば、かなり幸せである。

これは「きれいごと」ではなく、ほんとうのことだと私には思えます。司馬遼太郎の生涯は、それを証明する材料のひとつではないでしょうか。

そして、「寝転んで“史書”をたのしむ」という理想を実現するのも、それなりにたいへんなことです。

今の私は成功とはまったく無縁で、お金の不自由や心配も多々ありますが、「寝転んで……」ということだけは、とりあえずかなりできている。ありがたいことです。

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