そういちコラム

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すぐれた読みやすい自伝・坂本龍一『音楽は自由にする』

今年3月に亡くなった坂本龍一さん(1952~2023)の自伝『音楽は自由にする』(新潮文庫)を読みました。2009年に新潮社から出版された単行本を、つい最近(2023年5月発行として)文庫化したもの。

編集者の鈴木正文さんを聞き手として坂本さんが語ったことを、インタビューとしてではなく、「ひとり語り」としてまとめています。

本書は、1人の音楽家の歩みを生き生きと伝える、すぐれた自伝だと思います。「現代日本人の自伝」の傑作といえるかもしれません。

そして、きめ細かく編集された、読みやすい本です。たとえば、各章がかなり短く区切られているのは、多くの人にとって読みやすいはず。

また、坂本さんが接したさまざまな人物(ミュージシャン・芸術家・作家・思想家など)とその作品や、昔の社会的な出来事が出てくるのですが、それらを各章の末尾の注釈で説明しているのは親切だし、勉強にもなります。

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この本から私が受け取った最大のメッセージは、

1人の傑出した人物は、多くの人からさまざまなものを主体的に学び取り、努力する人のなかから生まれる

ということです。「努力」というのは「新しい何かを先人の遺産に加えようとする努力」です。

このような受けとめは、月並みかもしれません。しかし「坂本さんの人生は、まさにそうだ」と私は思ったのです。

坂本さんも、本書の「あとがき」でこう述べています。

“ぼくが「音楽家でござい」と、大きな顔をしていられるのは、ひとえにぼくが与えられた環境のおかげだ”

“ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まずは親であり、親の親であり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そして何の因果か、ぼくの家族になってくれた者たちやパートナーだ。それらの人たちが57年間〔本書の単行本出版時の坂本さんは57歳〕、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている”
(本書322ページ)

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こういう「今の私があるのは、みなさまのおかげです」的な話を、社交辞令的に言う人もいるかもしれません。しかし、この自伝はちがいます。

坂本さんは本書で「ぼくが与えられた環境」について、熱心に多くを述べています。「環境」とはつまり、坂本さんにいろんなものを与えてくれた人たちのこと。

少年時代であれば、つぎのような人たち。

まず、教育熱心で、息子をピアノや作曲を学ぶ私塾へ通わせたお母さん・坂本敬子。お母さんは帽子デザインの仕事もしていた。ピアノは3歳から、作曲は10歳から学び始めた。

お父さんの坂本一亀(かずき、1921~2002)は、著名な文芸編集者だった。坂本さんによれば「遊びらしい遊びもせず、ただ本のことを夢中になって考えていた人」(151ページ)だったという。

貧しい境遇から立身出世を果たした祖父は、たくさんの本を買い与えてくれた(それらの本を坂本少年はあまり読まなかったけど)。クラシックのレコードをいつも貸してくれた親戚の叔父さんもいた。

そして、ピアノや作曲の基礎を教えてくれた先生方。ピアノの徳山寿子先生は、坂本少年が作曲家・松本民之助のもとで学ぶことを強く勧めてくれた。

また、坂本さんが影響を受けた、さまざまな作品。ドビュッシーの音楽は少年時代に出会った「原点」といえる。ビートルズにも衝撃を受けた。ジャズ喫茶にも高校生のうちから通った。

高校時代に初めて読んだ吉本隆明、埴谷雄高(はにやゆたか)といった思想家の著作や、ゴダールなどの映画作品も、音楽以外における「原点」だった。

それらの人物・作品の多くは、周囲の人たちから影響・刺激を受けて知ったのです。

中学・高校時代の親友や、友人のように語り合ったという高校時代の恩師のことも、坂本さんは述べています。

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このような坂本さんの少年時代は、たしかに「恵まれていた」といえるのですが、一方で「案外ふつう」だと私は感じます。「文化的に恵まれた中流家庭」という、ある社会的階層の常識的枠内に収まるという意味で、「ふつう」なのです。

しかし、出会ったものから主体的に・貪欲に吸収し、自分の成長や活動につなげていく坂本さんの力は、幼少期から並外れたものでした。

だからこそ、少年時代の回想にしても、これだけ多くの「与えてくれた人たち」のことがきちんと述べられているのです。

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そして、1970年に東京芸術大学作曲科に入学して以降、つまり青年期に入ると、坂本さんの成長力・活動力はさらに開花していきます。大学でも大学の外でもさまざまな文化を貪欲に吸収していったのです。

まず、前衛的な現代音楽から日比谷野音などでのロックコンサートまで、多くのライブに足を運んだ。当時の東京芸大作曲科で、ロックコンサートに行く学生はほかにいなかった。

坂本さんは、芸大のなかでは音楽系の学生よりも、美術系の学生と意気投合することが多く、彼らから前衛芸術についていろいろ教わった。美術系の学生には演劇をやっている人もかなりいたので、アングラ演劇を見に行くようにもなり、演劇の音響を手伝うこともあった。

演劇関係の人たちと新宿のゴールデン街にも出入りした。ゴールデン街では、それまで縁のなかったフォーク系のミュージシャンと知り合った。フォークシンガー・友部正人のツアーにピアノ奏者として参加し、各地を回った時期もあった。

そして、次第にフォークやロックのライブにおける「助っ人」として、多くの依頼が来るようになっていった……

また、芸大作曲科のアカデミックな教育内容にはあまり興味はなかったが、尊敬する作曲家・三善晃の授業は、強く希望して受講した。民族音楽の研究者・小泉武夫の授業にも欠かさず出席した。

電子音楽にも強く興味を持った。その関連でコンピュータについても知りたいと思い、いきなり東工大のとある研究室を訪れてコンピュータをみせてもらったことも。

以上の合間に、学生運動のデモにも参加した……このような坂本さんの大学生活は、大学院(修士)時代の3年間も含め、1977年まで7年間続きます。

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そして、坂本さんにとって人生最大といえる転機は、1970年代後半における、細野晴臣さん、山下達郎さんなどの、のちに日本のポップ・ミュージックの巨匠となる人たちとの出会いでした。

細野さんたちに対し坂本さんがとくに感嘆したのは、この人たちが系統だった音楽教育を経ていないにもかかわらず、音楽について自分と合致する感覚を持っていたことでした。

つまり、坂本さんは細野さんの音楽を聴いて「この人は(自分が影響を受けてきた)ドビュッシーなどの音楽を十分わかったうえで、こういう音楽をやっているのだろう」と、まず思いました。影響を受けたと思われる箇所が、随所にみられたからです。

しかし、細野さんはその手の音楽をほとんど聴いていていなかったのです。

坂本さんは、このようにまとめています。

“つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました”
(146ページ)

そして、坂本さんはそれまで追究してきた、前衛的な現代音楽などのアカデミックな世界から離れ、ポップ・ミュージックの世界へとすすんでいきました。

この「転機」について、坂本さんはこう述べています。

“〔現代音楽というのは〕日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽〔ポップ・ミュージック〕の方が良い。しかもクラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏曲はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれに劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきり感じるようになっていました”
(146~147ページ)

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私は本書のいろんな箇所に感心したり感動したりしたのですが、なかでも以上の「“同じ言葉を持つ人たち”との出会い」について述べたところは、最も感動しました。

そして、たしかにそれは坂本さんの人生において最も大きな出会いだった。また、日本や世界の音楽にとっても、大きな出会いだったのです。

その後の坂本さんは、ポップ・ミュージックの仲間たちから、急速に多くのことを吸収していきます。同時に、自分が持っている多くのことを仲間や聴衆に与えていきました。

坂本さんが大学院を卒業した翌年、1978年2月にはYMOが結成されます。

そして坂本さんのソロ・デビューアルバム(ポップ・ミュージックの作品)『千のナイフ』が発売されたのは、同年10月。YMOのデビューアルバム発売は同年11月のことでした。

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私は、特別なファンではありませんが、坂本龍一というアーティストに多少とも関心を持ってきました。しかし、詳しく知っているわけではない――そんな私のような人は、ぜひ本書を読むといいでしょう。クリエイティブの世界全般に関心のある人(とくに若い人)にも、本書はおすすめです。

そして、コアなファンや、専門的な人たちにとっても、この自伝は「坂本龍一についての最も重要な伝記的資料」といえる。

文庫で手軽に読むことのできる本書、おすすめです。 

 

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