そういちコラム

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映画『君たちはどう生きるか』は監督の自叙伝で、漫画版『ナウシカ』最終巻の映像化

*以下、映画についてのネタバレを含みます。まだこの映画をご覧になっていない方は、できるだけ予備知識なしでみることをおすすめします。

そもそも巨匠監督の作品を「どんな映画か」まったく知らずにみるなんて、今の時代ではなかなかできない、贅沢なことです(これはある映画評論家の方が述べていました)。私も予備知識なく本作をみて、それを実感しました。この記事は「この映画をすでにみた人と、映画について一緒に考える」ためのものです。

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昨日、宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』をみてきました。土曜の夜の映画館は老若男女でほぼ満員でした。

この映画には「難解だ」という感想もあるようです。しかし私は「シンプルともいえる、典型的なファンタジー」という印象を受けました。

この映画は要するに「少年が、ふとしたきっかけで日常の世界のなかに隠されていた不思議な異世界へとつながる道に迷いこみ、入りこんだ異世界で冒険をくり広げる」という話です。

これは、ファンタジーのひとつの典型です。たとえば『ナルニア国物語』や『不思議の国のアリス』は、そういう話です。

そして、この映画が「難解」といわれる理由には、主人公の少年が異世界で遭遇する出来事の「不条理」「支離滅裂さ」ということがあるでしょう。

これもファンタジーでは「常道」といえること。

ファンタジーにおける異世界は、「日常の世界(現世)」とは異なる法則性や原理が支配しているものです。これは「支離滅裂」にも感じられることがある。『不思議の国のアリス』は、そのような「異世界の法則性」をわかりやすく描いている古典中の古典です。

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しかし、すぐれたファンタジーが描く異世界は、じつは単なる「支離滅裂」ではありません。私たちの常識や固定観念とはちがうだけで、そこにはそれなりの法則性が存在するものです。

すぐれたファンタジーの多くは、このあたりの描写が巧みです。一見したところ「異常」な現象の奥に「何か」があるのではないかと(説明しなくても)感じさせてくれるのです。

そしてファンタジーにおいて、その「何か」は一定の合理性、あるいは現実の歴史などをふまえた世界観で説明可能なものなのです。

しかし、それを作品のなかで説明し過ぎると、浅薄なつまらない感じになる。だから、たいていは説明を控えます。そのような説明・解釈は、読者や観客に委ねられる。

つまり「あとは自分で考えてください」というわけです。

このように、ファンタジーというのは、合理主義をベースにした近代的な表現の一種だということです。

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この映画『君たちはどう生きるか』も、一定の「合理主義」で説明はできると私は思います。あの映画の世界の全体的な構図は、こんな感じでしょう(以下、映画をみた人向けの説明です)……

この映画の時代の数十年前に、宇宙か異次元のどこかの超文明から何らかのシステムを組み込んだ物体が、映画の舞台である(日本の)田舎に隕石のようなかたちで飛来した。天才だった主人公の祖先(「大叔父さん」)はその飛来物が何であるかを理解し、超文明の力を用いて異世界を構築し、その世界で創造主・支配者として暮らすようになった。なお、超文明側の意図はわれわれには到底わからないが、彼らは何かを試しているのかもしれない……

「大叔父さん」は、汚れ切った現世とは異なる、清浄な理想の世界を築こうとした。また「大叔父さん」の異世界は、現世に対し一定のつながりを持ち、異世界から現世に影響を与えることも可能だった。たとえば、「わらわら」という「現世で生まれる子どもたちの種子」といえる存在を、異世界で育てて現世に送りこんだりもしていた。

映画では描かれていないが、この「わらわら」は、「特別に善良な人間の種子」としてつくられたものかもしれない。「大叔父さん」は、異世界から現世をより良くするための影響を及ぼそうとしていたのではないか。

しかしその異世界は、創造主あるいは管理者である「大叔父さん」の限界ゆえに、いびつで不完全なものにならざるを得なかった。生態系は歪んでいて、そこに生きるものたちは絶えず飢え、大切な「わらわら」がペリカンの群れに食われたりしている。

また異常に増えたインコたちは、人間のように暴力や軍事力をともなう国家を築いている。その「インコの帝国」を統治する大王(これもインコ)は、有能で勇ましいが、ものごとの本質や真理を理解していない。

「大叔父さん」は、自分の創造した異世界の不完全さを乗り越えるために、あるいは異世界を次の世代に引き継ぐために、すぐれた資質を持つ自分の子孫(子どもや若者)を異世界に引き寄せて、いろいろ試みたと思われる。

なお、「子孫にしか引き継ぐことができない」ということは、超文明側との「契約で決まっている」のだそうだ(それは、映画のなかで「大叔父さん」が述べている)。

しかし、いろいろな努力や試みも結局は効を奏さなかった。主人公の少年は現世で前向きに生きていくことを決意する……

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この「大叔父さん」は今の宮崎駿監督の自画像である、というのが素直な解釈なのでしょう(一方、主人公の少年は子ども時代の宮崎監督の自画像でしょうが、そこにはここでは立ち入りません)。

宮崎監督は、若いときに「異世界」を構築する技術・表現としてのアニメーションに出会って以来、ひたすら「異世界」を描き出すことに携わってきた人です。アニメーションとの出会いは、宮崎青年にとって、隕石が落ちてきたような衝撃だったのかもしれません。

そして、自分が築いた「異世界」つまり作品を通じて、人びと(とくに子どもたち)に対し、世界をより良くする方向での影響を与えようともしてきた。

しかし、その取り組みを何十年も続けて、老人となった今、自分の成したことの「不完全さ」を感じざるを得ない――宮崎監督は今、そんな心境にあるのではないか。

それは作品自体の限界だけではない。この数十年で世界(現世)が良くなっているようには感じられない。また、アニメの世界・業界についても、「良き時代」が終わりつつあるのではないか……

こういう「自分が認識する自分の姿」を、宮崎監督は「大叔父さん」というかたちで表現しているように私には思えます。そして、私のように考える人は少なくないでしょう。

「大叔父さん」が宮崎監督の自画像であるからこそ、「大叔父さん」がつくった異世界やその周辺には、これまでの宮崎作品に登場したものを思わせるアイテムや情景がいろいろと存在するわけです。

あるいは、若い頃に宮崎監督や高畑勲監督が大きな影響を受けた、フランスのアニメーション映画『王と鳥』には大型の鳥が出てきますが、この映画『君たちはどう生きるか』でも、大きな鳥は重要なキャラクターとして登場しています。

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そして、この映画の「異世界」そのものと類似する構築物が、宮崎作品のなかには存在します。

それは漫画版『風の谷のナウシカ』の最終巻(7巻)に登場する「土鬼帝国の聖都シュワの墓所」です。

これはナウシカの時代から1000年前に最終戦争で滅亡した文明の遺物で、超高度の文明の粋を集めてつくられた「殿堂」といえるもの。そしてそこには、世界を改良・浄化するための企てがセットされているのです。

「大叔父さんの異世界」は、シュワの墓所のような「超文明の殿堂」あるいはその産物です。

私には、この映画は宮崎駿監督の「自叙伝」であると同時に、ついに成し得なかった『ナウシカ』の「完全版」(漫画版の全体の映画化)の「代わり」としての側面もあるように思えます。

この映画には「もしも宮崎監督が漫画版『ナウシカ』第7巻を映像化していたら、こんな感じだったのでは?」と思えるシーンがいくつかありました。

静かな宮殿や庭園(じつは超文明の「殿堂」)で主人公がその管理者と対峙して「真理」に迫っていく様子は、この映画と『ナウシカ』第7巻に共通しています。

また、そこに第三者として「現世的な権力者」が立ち会っていることも、この映画と漫画版『ナウシカ』では同様です(この映画ではインコの大王、『ナウシカ』ではトルメキア王がその「権力者」にあたる)。

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以上が、昨日この映画『君たちはどう生きるか』をみて私が「自分で考えた」ことです。作り手に委ねられた「解釈」を、観客として行ってみたということ。

自分の解釈こそが「正解」だなんてもちろん思いませんが、この映画は、こんなふうにいろいろ解釈したくなる作品です。

それは何よりも、宮崎監督とアニメーターたちがつくりあげたひとつひとつのシーンに強い「力」があるからでしょう。

この映画は、たしかに私のような平凡な人間の想像を絶する、あるいは「どこかでみたような」表現を明らかに超えた何かをみせてくれます。

宮崎作品はみなそうなのですが、この映画はとくにそうです。その意味で、この映画はやはり宮崎監督の「到達点」なのです。

「みたことのない、想像したことのないものをみせてくれる」という点では、宮崎監督の後に続く世代の、今や「巨匠」といわれるアニメ監督たちも、やはり及ばないのではないか――そう私は思っています。

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でも「宮崎監督の新作長編を楽しむ」という体験は、おそらくこれが最後です。

この体験を、私は中学生のときに『カリオストロの城』をみて以来(そのとき宮崎駿という名前を知った)、長年にわたり何度もくり返してきました。しかし、これで本当に最後なのでしょう。

充実した気分で映画館をあとにしながら、私のなかではやはり「寂しい」という気持ちがわき起こってきたのでした。
 

 

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