そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

『耳をすませば』における団地の描写・なじんだ風景がちがってみえる

昨日(2022年8月26日)、日テレ系の「金曜ロードショー」で、アニメ映画『耳をすませば』(1995年公開、近藤喜文監督、宮崎駿プロデュース)をやっていました。今回私がみたのは全部ではなく、後半だけ。でももう、3回は通してみている。

『耳をすませば』の主人公の少女は、郊外の団地住まいです(多摩ニュータウンがモデル)。団地を描いた「表現」「作品」として、この映画は代表的なもののひとつといっていいでしょう。

私も幼少時代から社会人になるまで、団地で育ちました。1970年代~90年代前半までのことです。だからこの映画には特別な思いがあります。

そして今は、古い団地をリノベーションして、夫婦2人で暮らしています。2006年にリノベして、もう16年目。

「団地マニア」という言葉もありますが、50数年の人生の多くを団地とともに生きてきた私は「団地エリート」です(笑)。

私そういちの育った団地(2010年頃、今はもうない)

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『耳をすませば』で特筆すべきなのは、舞台となる1990年代前半の団地や、ありふれた住宅地の風景の描写でしょう。こういう世界を、メジャーな娯楽作品で、ここまで徹底的に描いたのは、たぶんはじめてなのではないでしょうか。

そしてこういうレベルでのアニメにおける精密な生活描写は、宮崎監督の『となりのトトロ』(1988)や高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』(1991)で行ったことを、さらに突き詰めたものといえるはず。

また、こうした「精密な生活描写」は、今のアニメにもおおいに影響をあたえている。

この映画の公開は1995年。今でこそ、団地にたいする再評価の動き、あるいは「団地再生」のプロジェクトなどもかなりあるわけですが、当時はまだそうではありません。「団地リノベ」なんて言葉も、まだなかった。

つまり『耳をすませば』は、のちの「団地再評価」の動きの先駆けだったといえるでしょう。

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ここで、『耳をすませば』について、団地に関心を持つ建築の専門家の視点から述べた文章を紹介したいと思います。

みかんぐみ『団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ』(INAX出版、2001年)という本に載っていたものです。「みかんぐみ」は、この本の著者である建築設計事務所の名前です。

この本は、「団地再生」を扱った本としては先駆的で、立派な仕事だと思います。今みても興味深い、数々のアイデアがイラストとともに述べられています。そもそも「リノベーション」という言葉も当時はまだ新しかった。

この本は2001年の出版ですから、もう20年以上年前。私がはじめて読んだのも、その当時です。

この本でとくにご紹介したいのは、みかんぐみの一員の「H・Y」さん名義の「ポジティブなイメージ」という題の文章です。数ページにわたって《漫画、アニメの大衆文化から見た団地像を考えてみた》というもの。 

大友克洋の『童夢』(1983)、岡崎京子の『ジオラマボーイ・パノラマガール』(1989)、そして『耳をすませば』がとりあげられています。

以下、H・Yさんの文章から、かなり長くなりますが引用します(一部、私そういちの判断で改行や句読点を加えたりしています)。

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この作品には、当時の宮崎(駿)の言葉を借りると「この作品は、ひとつの理想化した出会いに、ありったけのリアリティーを与えながら、生きる事の素晴らしさを、ぬけぬけと唱いあげようという挑戦である」いう、暗い世間に対してのポジティヴなメッセージが投げかけられている。

そのためか、(主人公の)月島雫が住む団地もポジティヴに描かれている。かといってデフォルメして描かれているわけではない。とても細かく正確に団地の生活を読みとることができるシーンばかりである。

成長した木々がつくり出した緑豊かな団地の住環境は時間の経過を感じさせる。玄関はもので溢れかえり、主人公と姉が狭い部屋を2段ベッドで区切り共有し、父の書斎は壁面すべて本棚で埋め尽くされている(そういち注:お父さんの個室の書斎というのはなく、家の一画に机があるだけ)。母親は場所がないので、ダイニングテーブルで資料を広げ仕事をする。

どの部屋もものがたくさんあり雑多な雰囲気が事細かく描写されているが、アニメを見ていて不思議と不快はない。むしろ生き生きした生活感がある。

そして、丘の上から見た緑に囲まれている団地や小さな住宅、遠くに見える超高層の風景は、高度経済成長によるやみくもな開発がつくり出したものだが、美しさすら感じてしまう。

このアニメでは、徹底したリアリズムというフィルターを通すことにより、見なれたはずの風景や生活が少し別のものに見える。そこからは、古いから壊すとか、整然としていないからきたないとかではなく、普段もっている意識や考え方の角度を少し変えると、いろいろ幅のある生活を楽しむことができるのではと気づかされる。》(287~289ページ)

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以上、私もまったく同感です。

この映画をはじめてみた1995年当時、作品の「フィルター」を通して、私は「それまでなじんできた団地の風景がちがってみえる」という体験をしました。

私はもともと、以上の引用で述べているようなことを自分なりに書こうと思っていました。でも、この文を読み返して、自分がH・Yさんの文章におおいに影響を受けてきたことをあらためて確認しました。だったら、これをそっくり引用してご紹介するほうがいいはずです。

今、『耳をすませば』をあらためてみたあとに、この文を読み返すと、いろいろ思うことがあります。

たとえば、自分が団地をリノベして暮らしているのは、「普段もっている意識や考え方の角度を少し変えると、いろいろ幅のある生活を楽しむことができる」というのを、まさに実行しているんだ、ということ。

しかも、たんに「見方や意識」を変えるだけでなく、団地という現実のハコの中身を、リノベというかたちで変えてみたりしている。「現実」のほうもちょっと変えているわけです。そのことで、さらに新しいものがみえてくるはずだと思って、やってみた。

そして、リノベしてから16年ほど、住まいとして気に入って暮らしています。だから団地リノベという試みは、私にとっては成功だったといえるでしょう。

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ほかにも、この映画をみていて、いろいろ思いました。

1990年代初頭の(1960~70年代に建てられた)団地では、主人公の少女の家のような、「働き盛りの中年の、お父さんお母さんと、かなり大きくなった子どもたち」という構成が典型的だった。かつての(1980年代ですが)私の家もそうだった。

でも、今は親はとっくにリタイアし、子どもたちも独立していった。高齢者だけで暮らす世帯が、今の古い団地の主流です。新しい世代(子育て世代)も入ってきていますが、多数を占めるのは高齢者。

しかも80代以上の、自立して暮らすことが困難になってきた人たちもかなりを占める。「超高齢化」といったらいいでしょうか。

そして、2000年代以降に「団地リノベ」をした私たちだって、もう今の団地に暮らして10数年経つのです。

「成熟した団地をリノベして、新しい価値を生み出す」試み自体が、かなりの成熟期を迎えてきた。私たち夫婦も、あと何年かで還暦です。

「超高齢化」と「団地“再生”の成熟」というのが、今の団地の現状の最先端だと思います。そんな団地というものが、これからどうなっていくのか? 今の私には明確な考えは浮かびません。

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また、今の世代では『耳をすませば』の団地の描写をみて、「生き生きした生活」「美しさ」など到底感じられない、という傾向が強くなっているかもしれません。「あんなものはただの貧乏だ」と。

私も近年「団地暮らしの家の子どもがバカにされる」みたいな話をネット上で何度かみたことがあります。

そういう社会状況では、あの作品で主人公の少女が立派な一戸建てに住む友達と仲良くしている様子は「ファンタジー」だと思う人もいるでしょう。でも当時は、ああいうことはいたって普通だった。

今それが「ファンタジー」にみえるとしたら、その後の日本が格差社会的な方向で変わったからです。

そして、これからの日本で「暮らしが苦しい」という人が増えるほど、「意識や考え方を少し変えて、生活を楽しむ」感覚は社会から失われていきます。それがすすめば世の中は「いかにも裕福・リッチなもの以外は、みんなただの貧乏」になってしまう。『耳をすませば』的な世界は、鑑賞の対象ではなくなるでしょう。

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現在では、団地の再評価というテーマ自体は、もう新しいテーマではないのでしょう。ただ、「とくに目新しくはない」というだけで、意義は失われていないとも思います。

でもとにかく「普段もっている意識や考え方の角度を少し変えると、いろいろ幅のある生活を楽しむことができる」ということじたいは、今の時代においても重要なことに変わりないはずです。『耳をすませば』という作品や、「団地リノベ」という試みのなかの重要な精神はこれです。

「意識や考え方を少し変えて、生活を楽しむ」ことが、暮らしや社会のいろんな分野でさらに行われるといいと思います。

*2023年2月18日追記:先日(2月13日に)「イオンシネマ シアタス調布」で『耳をすばせば』をスクリーンでみてきました(映画のまち調布 シネマフェスティバル2023の一環として上映されたもの)。私が行った20時45分からの上映は、満席。ほかの上映回の席も完売らしい。そして、20~30代の若い観客が圧倒的多数で、私たち夫婦(50代後半)のような中高年はきわめて少数でした。この作品が今の若い人にも支持されていることを実感。

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