そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

自分の町を出たことがなくても、世界を語ったカント

「ドイツ観念論」の大哲学者イマニュエル・カント(1724~1804)は、大学で哲学のほかに地理学の講義も行いました。その講義は大好評で、多くの学生や市民が聴講しました。彼は世界の町や自然を、目に浮かぶように生き生きと語りました。

しかしカントは、生まれ育ったドイツ(プロイセン)の都市ケーニヒスベルク(現ロシア領のカリーニングラード)をめったに出たことはありませんでした。

毎日決まった時間に散歩するなど、規則正しい生活をしながら研究に打ち込み、市内の大学で講義するのが、カントの毎日でした。

その合間に、休みの日にはいろいろな職業の、さまざまな経験を持つお客さんを食事に招いては世間話を楽しみました。そのときは哲学の話は一切しなかった。

地理学の講義は、そんなふうに書物や人から得た知識で話していたのです。

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なお、カントは生涯独身でした(召使や料理人はいました)。学究肌で内向的なところがありましたが、中年期以降はこういう食事会を積極的に楽しみました。休日の午後の数時間をかけて、それなりの食事も用意するなど、相当に力を入れています。

カントにとってこの食事会は、「社交」の場であるとともに「学問的研鑽」の場でもあったはずです。この世界についてのさまざまな視点・情報の窓口であり、自分の思考や知識を一般市民に語って「試す」場でもあった。カントはやはり真摯な「学究の徒」です。

「それにしても、自分の町から一歩も出ていないのに、それで世界を語るなんて、ホラ吹きだなあ」と思うかもしれません。

でも、リアルなホラを吹くことは知性の力なのです。豊富な知識と、想像力・構成力のたまものです。

(ヤハマン『カントの生涯』理想社 小牧治『カント』人と思想シリーズ・清水書院 による)

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このカントの話は、私にとっての「お手本」です。いや、自分を正当化してくれる「都合のよい話」というべきかもしれません。

私は、世界史がライフワークで、世界史の入門書を出版したりもしています。そこで、このブログや会話のなかで世界のいろんな地域について語ることがあります。

でも、それらの地域のほとんどは行ったことがないか、せいぜい観光旅行でちょっと行っただけ。述べていることは、ほとんど読書で得た知識です。パルテノン神殿の実物もみたことがないのに「古代ギリシアでは……」みたいなことを語ってきました。

それでも、その土地に行ったことのある人・暮らしたことのある人に「へえ、そうなんだー」と感心して頂けることが、たまにあります。

そういうときは「そこに行ったこともない自分がおこがましい……」という気持ちがよぎるのですが、「いや、カントだってそうだったんだから、いいんだ」と思うことにしています。

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カントは『人間学』という著書の序言で、「人間や世界を知るには旅行は大事だが、人や情報が行きかうそれなりの都会にいれば、旅行しなくても世界についていろんなことがわかる」ということを述べています。原文ではこうです。

《一国の中心たる大都会であって、そこには国を統治する諸官庁があり、一つの大学を有し、さらに海外貿易の用地を占め、したがって国の奥地から流れてくる河流によって奥地との交流を助長するとともに、言語風習を異にした周辺の国々との交通にも便利であるような都市――たとえば……〔カントが暮らす〕ケーニヒスベルクのような都市は、たしかに世間知をも人間知をも拡張するのに格好な場所と考えることができ、そこにいれば、たとえ旅行しなくても、かかる知識が得られる》
(『人間学』岩波文庫、坂田徳男訳 旧仮名遣いや語句などを少しだけそういちが改めた)

今の日本では、交通や通信や、情報のインフラが発達しているので、ほとんど国全体がカントのイメージする「ケーニヒスベルクのような都市」なんだと思います。

そこに暮らして、知的好奇心さえあれば、私たちは居ながらにして世界をいろいろと知ることができる――そういう考え方も大事ではないでしょうか。

私は東京の片田舎のベッドタウンに暮らしていますが、そこから「世界についての知をおおいに拡張することができる」と思っています。

でも、やはりいつかまたヨーロッパなどの海外を旅行してみたいとも思います。本で読んだもののほんの一部でも、この目でみてみたい。「もう一度みておきたい」というものもある。

基本はカント流でいきますが、どこまでも徹底することは考えていません。

 

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