そういちコラム

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イギリス・フランスには「関西」がない――そのことの意味は大きい

イギリス史を専門とする歴史学者・川北稔さんに「イギリスに関西はない――首都とは何か」というエッセイがあります(『イギリス 繁栄のあとさき』講談社学術文庫所収)。

「イギリスに関西はない」とは、どういう意味か。

イギリス(ここではイングランドのこと)では、ロンドンに政治・文化・経済のすべてにわたって圧倒的な集中が生じている。ロンドンに対抗できる、ほかの都市文化は存在しない――要約するとだいたいそんなことです。

川北さんは、こう述べています。

《考えてみると、イギリスには、「地方都市の文化」と言えるものはない、と思う。イギリスにあるのは、都会の文化としてのロンドンの文化と、地方の農村の文化のみである》

そこまで言いますか。そして、こう続けます。

《工業化にはなお一世紀の時間があった一七世紀末においてさえ、人口五〇〇万余(当時)のこの国で、ロンドンは五〇万の人口を擁し、……成人の七人に一人はロンドンに住んでいたのである。これに次ぐ都市と言えば、せいぜい一万人余の人口を持っていたにすぎない。工業化がよほど進むと、イギリスでもバーミンガムやリヴァプール、マンチェスターなどの都市がかなり成長するものの、ロンドン文化の圧倒的優位は崩れない》

たしかにこのようなイギリスの「ロンドン一極集中」は、近世(江戸時代)の日本とはだいぶちがいます。川北さんは、こう述べます。

《なるほど江戸の人口は世界有数であり、人口の集中ははなはだしかったが、経済の核としての大阪、文化的権威の中心としての京都の存在があったから、ロンドン一極のイギリスに比べれば、わが国は三都制であったと言えなくもない。京・大阪は上方として一括すべきかもしれない……》

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まあ「イギリスにはロンドンの都会文化と、その他の農村文化しかない」というのは極論で、イギリスの地方都市の人が聞いたら怒るでしょう。

でも、でもそれは「ロンドンに対抗できる、別の個性を持った、ほかの大都市の文化が存在しない」ということなのだと思います。

では「首都に対抗できる大都市の文化」とはたとえばどういうものかというと、日本の上方(京・大阪)、つまり関西の文化はまさにそう。

その意味で、イギリス(イングランド)には関西に相当するものがない、というわけです。

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私なりに整理すると、その国の都市文化における「関西」とは、こういうことです。

「最大の都市である首都より古くから栄え、後発の都市である首都とは異なる文化・権威を有し、今もなお国のなかで有数の大都市として繁栄している都市圏」

「別の文化を持つ首都以外の大都市圏」であっても、たとえばアメリカのロスアンゼルスのような西海岸の大都市は、「首都圏」である東海岸の都市よりも後発の都市なので、ここでいう「関西」とはいえません。だからアメリカには「関西」はなさそうです(ボストンが関西でニューヨークが江戸だという見方もあるかもしれませんが)。

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ところで、川北さんの見解では、イギリスには「関西」はないとのことですが、ほかの国(とくにヨーロッパの主要国)には「関西」はあるのでしょうか?

まず、ドイツやイタリアのように近代に統一国家ができる以前には中小の王国・都市国家に分かれていた国は、明確な中心都市を持たない傾向があるようです。そのぶん、個性的な地方の有力都市の文化が各地に成立している。

ベルリンやローマがその国の文化・経済に占める比重は、ロンドンはもちろん東京ともくらべて小さいように思います(こうしたドイツの「多極的」ともいえる特徴は、川北さんも簡単に触れています)。

では、イギリスのように中世から統一の王国を形成していたフランスはどうか?

川北さんはフランスは専門でないせいか立ち入っていませんが、おそらくイギリスに近いのではないかと私は思います。

つまり「パリ一極集中」で、「関西」にあたるもうひとつの「極」が存在しない。あるいは、相当な地方文化があるにしても「関西」ほどの規模を持っていない。

そんなことをいうと、これもフランスの地方都市の人は怒るかもしれません。でもこれは、「その土地の個性的な文化がない」と言っているのはありません。あくまで「それは“関西”ではない」というだけです。

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なお、日本も、イギリス(イングランド)やフランスと同様に「中世(西欧では西暦500年頃~ルネサンスの頃)から統一国家を形成した」といえます。

しかしイギリスとフランスが日本とちがうのは、統一王国が形成された初期の頃の首都あるいは中心都市が変わっていないということです。

パリはのちのフランス王国の出発点といえるカペー朝(900年代末~)の頃から、あるいはその前身のフランク王国の時代だった500年代に、すでに首都になっています。

ロンドンは、やはりその後のイングランド王国の出発点となったノルマン朝(11世紀~)以来の首都です。

イギリスやフランスの歴史では、日本のようなことは起きませんせした。

つまり「江戸のような新しい中心が、それまで周辺的だった地域につくられて従来の中心を超える規模に発展する」ということはなかったのです。

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中国やロシアはどうなのか? 国のなりたちやスケールが日本や西欧とはちがいすぎて、比較が成り立ちにくい感じがします。

ただ中国の場合は、つぎのことがいえるでしょう――中国では現在においても古くからの文明地帯である華北の平原に、政治的中心としての首都がある。これは日本でいえば「関西」に今も首都があるようなもの。

そして、経済的な比重は、今は華中(長江の中・下流域)のほうが高くなっている。

そうなったのは数百年前(おそくとも明王朝の頃)からで、華中は日本でいえば関東のようなものかもしれません。でも、中国ではその「関東」は経済都市のエリアであって、政治的中心ではない。

中国では「今も首都である関西」と「首都にならなかった関東」が存在するといえるのではないか。

ロシアについては、ロシア革命(1917~)が起きるまでロシア帝国の首都であり、西欧からの文化の玄関口であったサンクトペテルブルクが「関西」で、共産主義政権の時代になって(おもに防衛上の理由から)首都となったモスクワが「江戸・関東」にあたるのかもしれません。

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以上、日本のような「関東」「関西」の存在や、両者の関係というのは世界のなかでは(少なくとも統一国家として古い歴史を持つ大国のなかでは)例外的なことで「あたりまえ」ではないということです。

そして、私は関東(東京の多摩地区)で育った人間ですが、京都や大阪に旅行に行くと「東京とは違う文化や個性、歴史にあふれた、大きな・にぎやかな都市がここにあるんだなあ」と、わくわくした気持ちになります。

そのような「関西」が存在することの意味は、大きいです。すべての日本人にとって幸せなことだと思います。

「関東」のほかに「関西」があることは、日本という国の文化の広がりや厚みを、ほかの多くの国にはないものにしているはずです。

いや、最近は関西と関東のちがいが薄くなって均質化している、東京は自分たちの文化ばかりが重要だと思っていて傲慢だ……などのいろんな話はあるかもしれません。

でも世界をみわたしたとき「関西」の存在は貴重なものだということは、知っておいたほうがいいでしょう。

そして「関西」がある以上、日本は少なくともイギリス・フランスほど「一極集中」ではない。

ただし、それは「一極集中」の弊害と日本が無縁だということではないはず。

川北さんも述べているように東京への「一極集中」の弊害――いろんな可能性や多様な楽しみが失われることはそのひとつ――を緩和するには、「関西」が一層元気であり続け、発展していくうえでたしかに重要なのでしょう。

これも川北さんが述べていますが、それは「首都移転」などということよりもはるかに意味があるはずです。

といっても、具体的に何が関西のさらなる活性化、あるいは一部の人が言うような「復権」につながるのかは、とても私にはわかりません。

ただ、とにかくここで述べた「関西という存在の世界史的な貴重性・意義」は、「関西」を語るうえで基本的なことだと思います。

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