そういちコラム

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日本初の鉄道建設・そこには日本人の前向きな面があらわれている

1872年(明治5)10月14日(旧暦9月12日)、新橋~横浜間(約29キロ)を結ぶ、日本で最初の鉄道が開業しました。10月14日は「鉄道の日」

今年(2022年)は「鉄道開業150年」ということで、記念品の販売や関連のイベントなどが行われているようです。

この記事では、新橋~横浜間などの「初期の日本の鉄道建設の特徴」について述べます。

その特徴は ①西欧の後追い ②国家事業として行われた ③政治的な意図の強さ ④技術の自立化の努力 といったことです。

とくに「政治的な意図(その意志決定)」については、「政府内で“鉄道など要らない”という意見も強いなか、強い意志で鉄道建設を推し進めた人たちがいた」ということは、強調したいところです。

また、「技術の自立化」というのは、「日本人が創意工夫を重ねて鉄道という異文化の技術を自分たちのものにしていった過程」であり、やはり重要です。

これらについて以下、述べていきます。

なお、鉄道史の研究者・原田勝正さんの著作――『日本鉄道史』刀水書房、『鉄道と近代化』吉川弘文館を、おもな資料としています。

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世界初の鉄道の営業は、1825年にイギリスではじまりました。ストックトンとダーリントンという町を結ぶ約14キロメートルの区間を蒸気機関車が走りました。

ただし、1830年にはリバプール~マンチェスター間で、より本格的な鉄道路線の営業が始まったので、これが「世界の鉄道の始まり」ともいえます。

そして、その後イギリスでは急速に鉄道建設が進み、1850年にはイギリスの鉄道の総延長は1万キロにも達していました。この時点でイギリスでは「主要都市を結ぶ全国的な鉄道網が完成されていた」といえます。最初の鉄道からたった20年ほどでそうなったのです。

フランス、ドイツなどの西欧諸国でも、1850年頃までにはかなりの鉄道建設がすすんでいました。

また1800年代半ばには、イギリスの植民地であるインドの場合のように、宗主国が植民地に鉄道を建設することもさかんになりました。インドでは、イギリスの綿織物工業の原料であるインド産の綿花をインドからイギリスに大量に運ぶ必要から、鉄道が建設されたのでした。

日本の鉄道建設は、西欧で相当に鉄道建設が進んだあとの「後追い」ということです。これは多くの方がご存じだとは思います。

そして「後追い」であるがゆえに、日本の鉄道の始まりは、西欧の先進国やその植民地とはちがう面を持つことになりました。

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その「ちがい・特徴」としてあげられるのは、まず「国家の事業として最初の鉄道がつくられた」ということ。

150年前に開業した新橋~横浜間の鉄道は、明治政府がイギリスに借金をしてつくったものです。

「政府が鉄道(とくに最初のもの)をつくる」というのは、日本人の感覚だとあたりまえかもしれません。

しかし、イギリスでは1800年代の鉄道建設はもっぱら民間企業によって行われました。フランスでもアメリカ合衆国でも同様です。

ドイツでは、1800年代後半には鉄道の国有化がすすめられますが、初期の鉄道建設は民間によって行われています(「1800年代後半」というのは、それまでいくつもの中小の国家に分かれていたドイツがひとつの国として統一されて以降、ということ)。

なお、日本でも最初期の鉄道は政府によるものでしたが、のちに民間による鉄道建設・経営も活発化していきます。

そして、明治の後半の1905年(明治38)、日本の鉄道路線の総延長は7800キロでしたが、そのうちの2600キロが政府の鉄道で、5200キロが民間鉄道会社の路線でした(日本銀行統計局編『明治以降本邦主要経済統計』)。

ただし、この翌年(1906年)からは、国策によって鉄道の国有化が急速にすすめられるようになります。

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では、明治政府はどのような意図で、最初の鉄道をつくったのか?

もちろん「社会・経済の発展に役立てる」ということはあるわけですが、それだけでなく政治的な意図も強くありました。「政治的意図の強さ」も、初期の日本の鉄道建設の特徴です。

鉄道建設が始まった1830年頃のイギリスでは、1700年代末に始まった「産業革命」が相当にすすんでいました。

つまり、蒸気機関を用いた工業がかなり発達していて、その生産力に見合った輸送手段(原材料を運び込み、製品を出荷する手段)が求められていた。その要求こたえるものとして鉄道は生まれ、発達したのです。

一方、明治初期の日本ではまだそのような「産業革命」は起きていません。だから、鉄道というものにどれだけの意義があるかは不明確なところがあったのです。

しかし、明治政府のなかで鉄道建設を推進した大隈重信や伊藤博文といった人たちは、「鉄道で関西と東京などの主要都市を結べば、国家の統一を強める」あるいは「新しい国づくりを民に印象づける」と考えました。

当時、明治政府は生まれたばかり。その基盤はまだまだ不安定です。そんな中で「国をひとつにまとめ、新政府の支配を強めることにつながる」と主張して、鉄道建設を急ごうとした人たちがいたのです。

でも、こういう抽象的な意図だと「ピンとこない」という人も多いはずです。

当時の明治政府のなかには「鉄道なんてまだ日本には必要ない」という意見も有力でした。日本では産業革命もまだ起こっていないし、新しい政府はぜい弱なのだから、そういう考えは常識的ともいえます。

たとえば西郷隆盛は明確に鉄道建設に反対していました。大久保利通は、煮え切らない態度だった。

しかし、大隈や伊藤は自分たちの「上司」である大久保利通などを説得して、鉄道建設を実現させたのです。

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政府は1969年(明治2)の末に、鉄道建設を決定しました。そこにはイギリスからの「外圧」もかなり働いていました。

イギリス側は「鉄道建設に関与して日本への影響力を強めたい」と考えていました。そして、大隈らがイギリスの「外圧」を利用して、政府を動かそうとしたという面もあります。

イギリスは資金面だけでなく、技術面でも人材を派遣するなどして、日本の最初の鉄道建設を支えました。

なお、1870年当時(鉄道開業の2年前)、伊藤は29歳、大隈は32歳。

先見の明のある若いリーダーの熱意で、日本の鉄道は生まれたのです。彼らのような人がいなかったら、いずれは日本に鉄道はできたとしても、それはやや先のことだったかもしれません。

鉄道建設の計画は、当初は東京と関西を結ぶという大規模なもの(東海道線にあたる)も考えられていましたが、予算不足で新橋~横浜という限定されたところからスタートすることになりました。

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また、日本の初期の鉄道の特徴として「自前の技術で築こうとする努力と、その成功」があります。一言で「技術の自立化」と言ってもいいでしょう。

当初、新橋~横浜間の鉄道建設に関与したイギリスの商人は、日本に対し、機関車、車両だけでなく、レールや枕木、その他一切をセットで売り込もうとしていました。

しかし、たしかに機関車、車両、レールは当時の日本ではつくれなかったのですが、枕木については「イギリス製の鉄による枕木よりも、日本には良質の木材があるのでこれを用いたほうがよい」ということになりました。

これは、イギリスから派遣された技師長のエドモンド・モレル(当時30歳そこそこ)が主張したのです。

モレルは「高価な外国製のものばかりを使うのではなく、できるかぎり国産のものも使うべきだ」と日本側にアドバイスしています。また、建設や運営のための人材も、できるだけ早く日本人を育成すべきだと。

これは、当時のヨーロッパ人に一般的な「植民地支配」的な発想とは異なるものです。(私が参照した本の著者・原田さんが述べるように)まさに「技術者の良心」に基づく考え方といえるでしょう。良い人が日本に来てくれたものです。

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このような技師長のもとで、最初の鉄道建設にかかわった日本人は、自前の技術が鉄道に生かせることを自覚して取り組みました。

たとえば幕末の時代に江戸湾で台場(砲台を設置する埋め立て地)の建設に携わった人びとの技術は、高輪・品川の埋め立て(この付近は埋め立て地に鉄道路線をつくった)に生かされました。

日本人は、江戸時代までに相当高度な土木技術を蓄積していたので、鉄道建設の土木的な面にかんしては、当初からかなり「自立」していたのです。

そして、最初の鉄道が開通してから数年のうちには、客車や貨車については(台車のおもな部品を輸入すれば)ほぼ国産化が可能になっていきました。

さらに日本人の機関士も育成され、1880年代になると、日本人技師だけで鉄道を建設することも可能になったのです(機関車の国産化はまだ先)。

こうした「技術の自立化」は、非西欧諸国では日本が初めて成功したことでした。

なお、モレル技師は、そのような日本の鉄道の「自立化」の功労者でしたが、新橋~横浜間の鉄道が開通する前年(1871年)の11月に、結核のため亡くなっています。

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日本の鉄道の始まりにおける特徴としては、以上のほかに「狭軌」という、世界の主流よりも狭いゲージ(路線の幅)の規格を採用したことなどもありますが、ここでは立ち入りません。

そして、新橋~横浜間で始まった鉄道は、その後急速に社会に受け入れられ、ほかでも次々と建設されるようになり、日本の社会を大きく変えていきました――具体的な経緯はともかく、そのことは誰もが知るとおりです。

「日本初の鉄道」の物語には、日本人の前向きな・建設的な面があらわれていると思います。

そして、そこにはイギリス人の良心的な技師の貢献もあるので、日本人に限らず「人間というものの建設的な面」の話だともいえるでしょう。

だからこの物語については、大雑把でいいので全体的な経緯を多くの日本人が知っておくといいと思います。自分たちの歴史のなかの「建設的な物語」を知ることは、おおいに意義があります。

新橋~横浜間の鉄道のことは、よくテレビなどで取り上げられるのですが、その多くは断片的すぎて、どうもこの「物語」の真価が伝わってこないように思います。残念ながら私のこの記事も不十分です。

もっとしっかりと構成された、読みやすい名文による「読み物」か、丁寧に・かつコンパクトにつくられた映像作品があるといいのですが。

*新橋~横浜間の鉄道開業当時に用いられた、イギリス製の機関車。JR桜木町駅前の「JR東日本ホテルメッツ」などが入るビルの1階で展示されています。当時の横浜駅は、今の桜木町駅の場所にあったのです。2021年秋に撮影。

最初の鉄道が開業した当時の横浜駅(上記の機関車とともに展示されているジオラマ)

参考文献

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