そういちコラム

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「職業教育を重視した多様な学校教育」を60年前の政府は考えていた?

先日友人と、社会や歴史についての長時間の会話をしていて、日本の教育の話題になりました。友人はこんなことを言いました。

「同じような学校教育を、大半の子どもたちが小学校から大学まで10数年間も受け続けるなんておかしい」

「多くの子どもたちは、高校や大学に進むんじゃなくて、早くに社会に出て働くか、職業の訓練・修行をしたほうが、よほど充実するんじゃないか」

「その一方で、資質のある子どもには然るべき教育をして、社会を引っ張るエリートを育てるべきだと思う」

これは、教育制度を論じるときの用語でいえば、現状の「単線型」ではなく、「複線型」にすべき、ということです。この考えに対し、私は今のところ明確な賛否の意見を持っていないのですが、まずはこの友人の考えについて整理します。

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今の日本が「単線型」というのは、圧倒的多数が「職業科」ではなく「普通科」の高校へ進学し、高校卒業後は過半数が、専門性の希薄な、普通科高校の延長のような大学に進学する状況をさしています。

元教師だった友人は「学校の勉強が退屈で、うんざりしている子があまりにも多い」と言っていました。

今の学校では、読み書き計算のほか、学問・科学の基礎(一般教養的な事柄)を幅広く教えることを、義務教育だけでなく、多くの高校・大学で延々と行っている。それに対し、多くの生徒や学生は興味を持てないし、内容を消化することもできない、というわけです。

そして友人は、「日本にはエリート教育がない」とも言っていました。

単線的な価値基準(学問・教養重視)のなかで学力=偏差値を競いあうだけでは「偏差値エリート」は生まれても、高い創造性や構想力などを備えた真のエリートは育たない、ということでしょう。

私は、友人の意見に対する賛否ではなく、つぎのような「まとめ」を述べました。「つまり、こういう“複線型”の教育システムがいいというわけだね」と。

・義務教育を終えたところで、高度な学問・科学の教育をするエリートとそうでない子どもに選別する
・エリートでない多数派の子どもには、その個性にあわせて多様な職業教育のコースが用意されている
・選ばれた少数の子ども・若者には、社会の指導者やイノベーションの担い手として活躍するためのエリート教育がほどこされる

*なお「親の経済状況にかかわらず、すべての子どもに求める教育があたえられ、資質があればエリートへの道もひらかれている」というのが前提

「そういうことだね」

「じつはそういう“複線型”の教育制度と“真のエリートの育成”などのことは、1960年代に政府・文部省も構想していたんだ」

「へえ、そうなんだ」

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1960年に政府(池田勇人内閣)は「所得倍増計画」を打ち出しました。そしてその計画の実現のため、1963年の経済審議会答申では教育・人材開発について系統だった構想を述べています。

なお、このような審議会の答申は「“専門家の提言”の体裁をとった政府の見解」と考えていいです。

その答申には、つぎのようなことが述べられていました。

・不足している若年労働者を確保するため、高校進学率をおさえる(1960年の高校進学率は58%)
・「ハイタレント・マンパワー」(ここでいう真のエリート)を育成する
・高校の新設は、“多様化”のため、普通科よりも職業科に重点をおく

つまり「複線型」の教育を考えていた。

そして、エリートとそれ以外の「選別」は「義務教育終了期において生徒の能力、適性を見出し、その進路を指導していくこと」で行われるのです。

つまり、政府は経済の生産性を高めるうえで、産業界においてつぎのような人材の配置がベストだと考えていたのです。

・まず、エリート大学出身者で構成される「ハイタレント」が頂点として存在する
・つぎに、それに準ずる大卒者たちがいる(1960年の4年生大学進学率は10%)
・高卒(おもに職業科出身)は中間レベルの技術者・専門家。この層をとくに強化していきたい
・多数派の中卒などが「労働力」の供給源となる

また、現代の日本ではあまり重視されていない「公的な職業訓練の充実」ということも、この答申では述べられています。「社会保障の充実」によって、労働者の生活の安定をはかることの重要性についても触れている。

そして、年功序列や、一般的・抽象的な能力や態度によって決める賃金ではなく、同一労働同一賃金原則に基づく「職務給」を賃金の中心にすえるべきだとも述べているのです。

(乾彰夫『日本の教育と企業社会』大月書店、小熊英二『日本社会のしくみ』講談社現代新書などによる)

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このように1963年の経済審議会答申では、「複線型」の教育の制度が考えらえていましたが、ご存じのように今の日本の教育はそうはなっていません。

これは、企業社会や国民が、この答申が述べる方向を拒否した結果です。

まず、企業(おもに大企業)は、職業科よりも普通科の出身者のほうを好んで採用しました。

企業は、職業科で身につけたスキルをあまり評価せず、さまざまなことに適応できる一般的な教育を受けた普通科の卒業生のほうが、人材として育成しやすいと考えたのです。

つまり、普通科卒のほうが同じ高卒でも、就職に有利だったということ。

これには、当時の日本がめまぐるしく変化する高度成長の時代(年10%の成長率)だったことも影響しています。きわめて早いペースで技術・経営・組織体制が変わっていくなかで、学校の職業教育がその変化に対応しきれないということも多々あったわけです。

そして、普通科は(その教育内容からして)大学進学にも有利です。大学に進学すれば、4年生大学への進学率が10%~10数%の時代(1960年代)ですから、エリート候補生として就職できた。

親や子どもの多数派は、政府の審議会が「高校進学率をおさえよう」「職業科を高校のメインにしよう」とする方針などおかまいなしに、普通科の高校への進学を選択しました。さらにそこから大学進学をめざすケースも増えていった。

そして、明治以降の日本社会では学歴によって社会での「身分」が決まるという面が強くありました(小熊英二『日本社会のしくみ』)。

だから、もともと「高い学歴を得て(わが子と自分の)社会的な地位を向上させたい」という思いが国民のあいだにはあったのです。

経済成長である程度豊かになったことで、上級の学校への進学が多くの子どもたちにも可能になると、その思い(学歴を得たい)を実現する動きが一挙に高まりました。

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こうして1970年代には「普通科高校に進み、そこからさらに大学に進むのが有利なコース」というのが「常識」となり、ほかの選択肢はマイナーになりました。そして高校でも大学でも、より偏差値の高い学校へすすむことが、きわめて重要な意味を持つようになったのです。

一方、企業社会でも専門的なスキルよりも、抽象的・一般的な「能力」(会社の要求に柔軟に対応できること)で人材を評価する傾向が定まっていきました。

普通科が高校の主流で、大学の専門性が希薄なのは、「抽象的・一般的能力」を重視する企業社会のあり方に対応したものです。

そしてこれは、複線型の多様なあり方が後退して、偏差値のような一元的(単線的)な尺度で人が評価されるようになった、ということです。

これを、教育学者の乾彰夫さんは「教育と社会を貫く一元的能力主義」と呼びました。

乾さんは、1963年の経済審議会の答申などに注目し、当時の政府が意図したものとはちがう方向(一元的能力主義)へ日本社会がすすんでいった経緯や原因を研究しています。その研究は1990年に出版された著作『日本の教育と企業社会 一元的能力主義と現代の教育=社会構造』にまとめられています。

私は、若いサラリーマンだった20代の頃(1990年代初頭)に、書店でたまたまみつけたこの本を買って読みました。そしてずいぶん驚き、感動したことをおぼえています。

乾さんが「一元的能力主義」と呼ぶ日本社会のあり方は、政府が主導して形成されたと思っていたのに、そうではなかった。政府はまったくちがう構想を考えていたのに、国民や個々の企業の選択の結果として、今がある。

このことが、すごく新鮮だったのです。乾さんの本は、私の「社会に対する見方」に影響をあたえた1冊です。

つまりこの本から私は「社会は政府や権力者が思うように動くとはかぎらない」という「あたりまえ」のことを、印象的に学んだのです。

乾さんの研究成果は、教育と労働市場の問題についての専門家や識者のあいだで評価され、共有されるようになっていきましたが、広く一般に知られているとはいえないでしょう。

でも、多くの人が知っておいていいことだと思います。

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さて、みなさんは1963年の経済審議会答申の考え――「エリート育成」「複線型」「進学率をおさえる」「職能給中心」などからなる構想を、どう思いますか? 

私は、この答申が打ち出した構想は「これからの日本の教育や企業社会を考えるうえで、参考になる」と思います(このことは小熊英二さんも述べています)。

今の日本の教育のあり方は、いろいろと批判されているわけです。「右肩上がり」の時代が終わって30~40年が経ち、ここでいう「一元的能力主義」や「日本的雇用システム」はすっかり時代に適合しなくなっている――そんなことがさかんに言われます。

そこで「従来のシステム」にかわる何かを考えないといけない。

そのとき、高度成長の初期の時代に、このような「今とは根本から異なるシステム」が構想されていたことを知るのは、意味があるでしょう。

その「今とは異なるシステムの構想」は、日本の今後を考えるうえで、ひとつのたたき台になるかもしれません。

でも、この答申(1963年の経済審議会答申)が述べる社会なんて、やはり嫌だと思う人もいるはずです。

15歳でエリートとその他に選別され、多数派の子どもは早期に就職するか、職業訓練の世界へ進むことが求められるのです。そして、教養や学問を深く学ぶことは、特権的なことだとされる――これを「おぞましい」と思う人の気持ちも、私はわかります。

また、「企業社会というのは厳しくつまらないものだ。学校生活(のん気で、やはり楽しいこともある)を十分に経験してから社会に出たほうが、人生を充実して生きることができるのではないか」――そんな見方もあるはずです。

あるいは、「普通科や大学の一般教養的な教育には、個々の人生を豊かにするだけでなく、社会・経済の発展に寄与する“人材開発”としての意味がやはりあるはずだ」という考えもあり得るでしょう。

もちろん、それには学校での教育内容が、大幅に改善される必要があるはずです。

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このように、今の私にははっきりした見解を打ち出すことはできません。

とにかく、ほかにもいろんな論点はあると思います。また、「今とはちがう別のシステムの構想」は、この「1963年の経済審議会答申」が描くもの以外にもあり得るでしょう。

でも、この「答申」を通して考えると、何のたたき台もないまま考えるよりも、ずっといろんなことに気がついて、考えが明確になるように思います。

 

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