【今日の名言】ジョン・メイナード・ケインズ(イギリスの経済学者、1883~1946)
嵐の最中、経済学者にいえることが「嵐が過ぎ去れば波はまた静まるだろう」というだけならば、彼らの仕事は無用である。
テレビや新聞などで、その手の「無用」な専門家のコメントをたまに見聞きします。
このあいだもテレビをみていたら、あるシンクタンクの経済の専門家が「結婚式や出産が減っているのは、コロナの影響だ」と言っていました。
こういうコメントに接すると、私はふざけて「なるほどー、それは気が付かなかった!さすが専門家!」などとテレビに向かって声をかけることがあります(このときはしませんでしたが)。
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では、ケインズはどうだったのか。ひとつ例をあげます。
ケインズは、第一次世界大戦(1914~1918)が終わった翌年(1919)に『平和の経済的帰結』という冊子を出版しています。
これは第一次世界大戦の戦後処理を決めたパリ講和会議(1919)による講和条約を批判したものです。この条約はヴェルサイユ宮殿で結ばれたので、ヴェルサイユ条約といいます。
ヴェルサイユ条約は、敗戦国であるドイツに対し、ぼう大な額の賠償金を課すなどの、過酷な内容になっていました(ほかに植民地の放棄、領土の一部割譲、軍備の厳しい制限といったことを含む)。
ドイツと激しく戦い、多くの犠牲を出したフランスをはじめとする戦勝国側では、ドイツに対する憎悪が渦巻いていました。それが条約に反映されたといえるでしょう。
ケインズは、もともとはパリ講和会議にイギリス(戦勝国側)の大蔵省代表として参加していましたが、会議の方向性に抗議して辞任し、『平和の経済的帰結』を書いたのでした。
ケインズは、理性ではなく憎悪に基づく講和条約は、ヨーロッパを不安定にするだけで、未来を破壊するものだと考えました。
ケインズはこの著作で「もし自分がドイツ人だったら、こんな条約に調印するより死を選ぶだろう」と、強いトーンで批判しています。そして、経済の専門家として、数量的な分析をふまえてこの賠償金の問題点を論じたのでした。(吉川洋『ケインズ』ちくま新書などによる)
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その後のヨーロッパ情勢をみると、ケインズの批判は基本的に正しかったといえるでしょう。第一次世界大戦後のドイツではヴェルサイユ条約への憎悪が渦巻くようになり、それはヒトラーの独裁を生む土壌になりました。
ヒトラーのめざしたことは、第一に「ヴェルサイユ条約によるヨーロッパの秩序を破壊すること」です。ドイツ国民はそれをおおいに支持したのです。第二次世界大戦(1939~1945)というかたちで、ヨーロッパは崩壊していきました。
ケインズという人は、やはりたいしたものです。世の中の大勢が(世論も指導者も)ドイツへの憎悪で凝り固まっているときに、経済の専門家としての視点から「冷静になれ」と言った。
それは「ドイツが気の毒」ということではなく、「ドイツに過酷なことをし過ぎると、自分たちに禍がふりかかる」ということです。
こういうのが「専門家」の仕事なのでしょう。まあこのレベルは、非常にむずかしいことですが。
ケインズ
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