英国の女王エリザベス2世(1926~2022)が、9月8日に亡くなりました。
テレビの報道で、彼女の生涯をふりかえる映像(動画)をみました。幼少期から、現在までのいろんな映像が残っている。
彼女の昔の映像をみていると私は、「本筋」のことではないかもしれませんが、彼女の歴史上の「ある位置づけ」について思います。
昨年(2021年)に観たNHKのテレビ番組で、エリザベス女王の幼少期や若い頃の映像を紹介して「赤ちゃんのときの映像が残る最初の国王」だと述べていました。
しかし、彼女のことはむしろ「幼少時からぼう大な動画が残る人類史上最初の人物」というべきではないかと思います。
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女王が生まれた1920年代には映像撮影は高価で手間のかかる技術で、日常的に撮ってもらえるのは大英帝国のお姫様くらいのものでした。
ほかに当時の大富豪の子どもにも、同じようなことがあったかもしれませんが、エリザベス2世は圧倒的に有名で、象徴的な存在です。その意味で「最初の1人」と言っていいでしょう。
しかし今は、多くの子どもが生まれたときから頻繁に動画を撮影されて育っています。100年ほど前には世界中でエリザベス2世でしかありえなかったことが、現代では庶民にもあたり前になっている。
これまで歴史は「特権階級に限られる希少なことが、技術革新や経済発展で多くの人にも可能なあたり前のことになる」方向で動いてきました。
映像撮影以外だと、自動車やコンピュータのある暮らしは、まさにそうです。
プロの演奏する音楽を好きなときに聴くのも、蓄音機以前にはお抱えの楽団が屋敷にいる貴族にしかできないことでした。スマホで音楽を聴くのは、お抱えの楽団をいつもポケットに入れて持ち歩いているようなものです。
これを「進歩」というのです。そして、進歩の核にあるのは「希少なことの一般化」ということではないか思います。
そして、エリザベス2世は「幼少のときから自分の映像を日常的に撮ってもらう」ことが一般化した、現代的な人間のあり方の起点となった。
その意味で、彼女は「最初の現代人」だといえるのでしょう。
また、彼女が生まれた1920年代は、第一次世界大戦(1914~18)という広い意味での「現代史」、あるいは狭い意味での「20世紀」の起点となった大事件の直後です。
そのような世代的な意味でも、彼女はまさに「最初の現代人」です。
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そして彼女は衰退期の「大英帝国」の女王として、20世紀半ばから21世紀初頭の、歴史に名を残す世界じゅうの重要人物と片端から会ってきました。
チャーチルやサッチャーは彼女の宰相でした。ビートルズにも勲章を授けた。また歴代アメリカ大統領、先日亡くなったゴルバチョフ、鄧小平、そして昭和天皇との姿も、今朝のニュースでは流れていました。
エリザベス2世は「最初の現代人」であると当時に、この世界で最も見晴らしいのいい特等席で、70年にわたって「世界史」「現代史」を眺めてきたのです。
そして、そのような「特等席」にふさわしい資質を備えた人だった。
こんな人物は、世界の歴史において、彼女が最後でしょう(彼女以前には、少なくともヴィクトリア女王は「世界史を眺める特等席」の人で、そこに何十年も座っていた)。
彼女が座っていたレベルの貴族的な「特等席」は、この世界にはもう存在しないはずです。「世界を広く見渡す」ということでは、アメリカ大統領のような「特等席」もありますが、若い頃から何十年も座れる席ではない。
つまりこのたび、「幼少期から映像が残る最初の現代人」で「長年わたり特等席から世界史を眺め続けた最後の1人」が亡くなったのだと、私は思っています。
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ある君主が死んだことで社会や歴史が大きく変わることは、現代の先進国ではありえません。
しかしそれでも彼女の死は、後世において「世界史の〈ある時代〉の終わりを象徴する出来事」のひとつに数えられるかもしれません。
どういう時代の「終わり」か? 20世紀前半に枠組みができた、今のところ「現代」といわれる時代の終わりです。そんなことを、エリザベス女王の死から思いました。
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