そういちコラム

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アダム・スミスとケインズの誕生日は同じ・6月5日を「経済学の日」にしては?

『国富論』の著者アダム・スミス(1723~1790)と、「20世紀最大の経済学者」と言われるジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)は、時代は異なりますが、生まれた日は2人とも6月5日です。

2人は経済学の歴史のなかで「2大巨頭」といえる存在(また2人とも英国人)。

このほかにマルクスも重要だという人もいますが、マルクス経済学は現代の経済学の主流にはつながっていません。やはり「2大巨頭」といっていいかと思います。

そしてその2大巨頭の誕生日が同じなのです。6月5日は「経済学の日」とすべきです。

すでにそういう日が制定されているかもしれないと思って、「経済学の日」で検索しましたが、そんな記念日は出てきませんでした。ならばここで「6月5日は経済学の日とすべきだ」と提唱したいと思います。

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2人の業績を系統だってきちんと説明することは、私の力不足などでここでは無理です。

しかし、ひとつの入り口となる視点を述べるなら、どちらも「それまでの経済についての常識を強烈に批判した」ということがあります。

そしてその説は当初はマイナーでしたが、やがて主流になり、政策にも影響を与えるようになっていきました。

アダム・スミスが批判したのは、当時(1700年代に)有力だった「重商主義」という「貿易収支の黒字によって富が生まれる」という経済観でした。

貿易収支を改善するための、輸入の規制などによる国内産業の保護、資本と労働者の移動の自由の制限などの当時の政策を、スミスは強く批判しました。

そのような規制を撤廃して、自由な経済活動を促進することで、国の経済はもっと発展するのだと。

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ケインズが批判したのは、政府による経済への積極的関与を否定する「自由放任主義」でした。

ケインズの時代、1929年から1930年代にかけて欧米諸国は「大恐慌」といわれる激しい景気後退に陥りました。多くの人が失業して路頭に迷ったのですが、当時の主流の経済学はそれに対し処方箋を示すことができませんでした。

当時の正統派の経済理論によれば、結局のところ「政府は余計なことをすべきではない、じっとしていれば経済のメカニズムでバランスが取れて何とかなる」ということになるのです。

しかしケインズは景気後退を「社会全体の需要の不足」と考え、個人消費や民間企業の投資が足りないときには、需要をつくり出すために政府が積極的に支出すべきだと主張した。

そしてその支出は、社会のなかでお金が動くことで効果が増幅されるので(乗数効果という)、経済にしっかりと作用するはずだと。

「自由放任主義」の経済観は、アダム・スミスが源流であるといえますが、それはケインズにいわせると、経済現象全体のなかでは一定の条件(景気が安定しているときなど)のもとでのみ妥当する、限界を含んだ見方だということになります。

こういう見解は、今でこそ広く普及しています。しかし、当時の経済学では非常に挑戦的なものでした。

スミスとケインズほどに、当時の常識的な経済観を大きく揺るがす、力強い問題提起をした経済学者はほかにいません。のちの経済学者は、賛成するしないにかかわらず、彼らの問題提起をもとに議論するようになりました。

要するに彼らは、経済学に真の意味での「革命」を起こした。だから経済学の歴史における「2大巨頭」なのです。

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では、スミスやケインズは、どうしてそのような創造的な仕事ができたのでしょうか? いろんな側面があると思うのですが、ここでは彼らの研究者としての「自由な立場」にかかわる条件に着目したいと思います。

そこで考えてみてほしいのは、「スミスとケインズはどこの大学教授だったか?」という問題です。とくに、主著を書いたときどうだったか? 

つまりスミスなら『国富論』(1776年)、ケインズなら『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)を書いたときです。

答えは「2人とも、どこの大学教授でもなかった」ということになります。

スミスは大学教授だったこともあるのですが、『国富論』を書いているときは辞めていました。

ケインズは、一度も大学教授になったことはありません(非常勤的な立場で、大学で講義は行った)。また2人とも大学以外の研究機関に所属していたということでもない。

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では、知識人としてどうやって食べていたのか?

スミスの場合、パトロンになってくれる公爵がいて、その貴族から十分な年金を受け取っていたのです。

これはその公爵の「家庭教師」としての報酬なのですが、実際にはその仕事に時間を取られることはありませんでした。そこで彼は、何年も『国富論』のための研究や著述に没頭することができたのです。

ケインズはケンブリッジ大学を卒業し、若い頃はエリート官僚でした。しかし30代で辞めて、その後は経済に関する著作家、政府や投資家へのアドバイザーとして活動しました。そして自分自身も投資家としてそれなりの財をなしています。

官僚時代のケインズ(当時30代半ば)は、第一次世界大戦後の処理を決めるパリ講和会議に大蔵省の代表として参加したことがあるのですが、敗戦国ドイツに対し過酷すぎる賠償案に反対して辞職しました(このあたり、説明が要りますが省略)。

そして1919年にパリ講和会議を批判した『平和の経済的帰結』を出版したところベストセラーとなり、その後は経済論壇の売れっ子として活躍し続けたのです。

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つまり、2人とも知的な権威として社会に認められてはいるのですが、アカデミズムの主流からは距離を置いていたといえます。

そして「自分の説が多数派の専門家にどう思われるか」を気にし過ぎることなく、自由に自分の問題意識を深めていった。大学などのアカデミズムの権威と結びついた就職先を求める必要のない、経済的な基盤があったのですから。

このような立ち位置や経済的基盤は、ほかにはたとえば進化論のチャールズ・ダーウィン(1809~1882、英国)にもあてはまります。

ダーウィンも大学教授になったことはありません。学会誌にいくつも論文を発表する博物学者でしたが、大富豪だったので、どこにも就職しないで自宅で研究を続けることができたのです。

つまり、経済面も含めた「自由な立場」「独立性」は、学問において大きな革新を行ううえで、重要なことなのでしょう。少なくともそれは有利な条件です。もちろん、有利な条件だけでなく、非常に高い能力があることが必須ですが。

なお「独立性」というのは、「孤立」ではありません。

スミスもケインズも、そしてダーウィンも、学問的な活動において多くの仲間と交流し、そこからいろいろと学んでいます。自説を社会に打ち出すうえでも、仲間の存在は重要でした。

しかしその「仲間」の人脈は、組織に属して得たものでなく、あくまで自前のものだったわけです。

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以上の「革命的」な業績と、それを支えた「独立性」といったことは、スミスやケインズという巨人のほんの一端にすぎません。

でもとにかく彼らは学問の歴史で、たぐいまれな存在だったということです。こういう学者はなかなか出てこない。

そこでやはり、彼らを記念して「6月5日は経済学の日」というのは悪くないと思いますが、どうでしょうか? 

でもほんとうに「経済学の日」というのはないでしょうか? 深くは調べていないので自信がありません。今後もっと確認してみます。

 
   ケインズ

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