そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

まず、「いいな」と思う人を応援しよう

会議や打ち合わせで、「なるほど」と思えるいい話をする人がいたとします。そうした場では、「それいいね」ということを、はっきり表現することです。できればその場で、気が小さくてそれができないなら、あとで個人的に。

いい話をする人は、その場の「主役」になっています。それに嫉妬を感じる人もいます。私も「いいな、うらやましいな」と思うことがよくあります。

嫉妬にかられる人は、「それいいね」と言うかわりに、「でもね」とケチをつけます。主役よりもオレのほうが頭がいいんだぞ、知っているんだぞ、というわけです。

これでは、仲間はできません。私も、もともとはそういうタイプなのですが、がまんするように気をつけています。

「いいな」と思ったときに、「それいいね」「すごいね」と拍手できる人は、自然と仲間が増えていきます。

もちろん拍手は、ゴマすりであっては意味がありません。「この人は、わかってないのにゴマをすっている」というのは、すぐにわかります。

その意見や考えについて、本当に「いい」と感じられなければ駄目です。「いい」と感じるセンスは、勉強して自分でつくっていくしかありません。

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以上はもちろん対面の世界だけでなく、ネット上でもあてはまります。

そしてとくに匿名のネット上だと、対面の人間関係のなかでは遠慮していた「でもね」と言いたい気持ちに、歯止めがきかなくなることも多いです。気をつけないといけない。

ネット上では誰が何を言っても、ふつうは直接の利害関係はないのだから、「これは良くない」「教えてあげよう」などと思っても放っておけばいいのです。

誰かの発信をコメントなどで批判するよりも、別の誰かに「いいね」と反応したり、自分自身の積極的な発信のほうにエネルギーを使ったりすればいいと思います。

これは、子どもへの説教のようなシンプルな話です。しかし、そうはいかない人が後を絶たないのが、インターネットの世界のようです。インターネットのそういう側面とは距離を置きたいと、私は常日頃思っています。

そして(やや目立たないけど)「私と同じように思う人も大勢いるはずだ」というのも、ほかの人たちのネット上の発信をみて感じます。

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「主役」をめざすのは自然な気持ちで、それでよいのだと思います。でも、自分が主役になることばかり考えて、人に拍手を送れない人には、なかなか主役はまわってこないのではないでしょうか。

将来の主役は、「それいいね」と拍手する人の中からあらわれます。

そういう人は感性豊かな勉強家で、よい友だちやよい先生に出会うことができるからです。よい人間関係の中で、自分を磨いていけるからです。

私は、やさしい心がけとして「人にあたたかい言葉をかけましょう」と言っているのではありません。「人に拍手を送ることを忘れている人は、いつまでもさびしいままだし、自分自身の向上もない」という「必然」を言っているのです。

他人の価値ある仕事を見きわめ、応援できる人になる。まず、それをめざしたらいいのではないか。そして、それに対しプライドを持ちたいと思います。