そういちコラム

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『指輪物語』の初版は何部だった?・マイナーから興隆したファンタジー

最近、ハンフリー・カーペンター『J.R.R.トールキン 在る伝記』(評論社、1982年、菅原啓州訳)を読みました。

トールキン(1892~1973)は『指輪物語』(映画「ロード・オブ・ザ・リング」の原作、最初の巻は1954年刊)を書いたイギリスの作家。

この本でとくに印象的だったのは、トールキンが『指輪物語』を書いた20世紀半ばの時代にファンタジーというものが今にくらべればいかにマイナーだったか、ということ。

そのことは漠然とは知っていましたが、彼の生涯から具体的に伺い知ることができました。

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以下、トールキンの歩みを簡単に。

1892年にイギリス人の中流家庭に生まれたものの、まず父親、のちに母親を亡くして12歳で孤児となる。

その後は母親と親交のあった、あるカトリック司祭の後見・経済的支援のもと、親戚の家などで弟とともに育った――つまり「裕福なエリート家庭の出身」とはいえない。

学業は優秀で、オックスフォード大で英語学・文献学を学び、学位を得る。

大学卒業後は生涯連れ添った妻との結婚、第一次世界大戦への従軍、『オックスフォード英語辞典』の編集助手の仕事を経て、1920年からは名門リーズ大学の英語学の教員に(講師からのち教授)。

そして1925年からはオックスフォード大の教授となり、1959年まで勤務。

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トールキンは多くの講座を受け持つ多忙な教授で、専門の研究でも成果をあげました。大学教員・研究者としての仕事を着実にこなし、子どもに恵まれ家庭は平穏。

彼の学者としての主要な業績として、最古の英語叙事詩「ベオウルフ」の研究があります(1937年に出版)。英雄ベオウルフを主人公として、怪物との戦いや部族間の争いなどを描いた叙事詩。叙事詩とは「神々や伝説的な英雄を称える物語的な詩」のこと。「ベオウルフ」の世界は『指輪物語』の重要な源泉になりました。

また、トールキンは本業の傍ら1920年代後半から1930年代にかけて、共通の文学的志向を持つ、ゆるやかなサークルに参加していました。

その中心にはトールキンのほか、のちに有名なファンタジー作品『ナルニア国物語』(1950~1956年出版)を書く英文学者・C.S.ルイスがいました。

ただし、サークルが始まった当時は、トールキンもルイスも、名門大学の教授・教員ではあっても、社会的にはほとんど無名で、作家としての実績もとくにありませんでした。

トールキンはこうしたサークルで、「サガ」というアイスランドの古典的な文芸作品の読書会をしたり、その解散後に(1930年頃に)結成した別のサークルでは刊行前の『ホビットの冒険』(もう一つの代表作)の原稿を朗読したりしました。さらにのちには『指輪物語』の一部も、このサークルで朗読されています。

とくに親しい友人のルイスには、『指輪物語』の前提となる神話的世界を描いた作品――トールキンの死後刊行された『シルマリルリオン(邦題・シルマリルの物語)』の草稿を読みきかせたりもしています。

トールキンが参加した文芸サークルは、今となっては「文学史上の重要な集まりだった」ともいえるでしょう。

しかし、当時の実態としては「無名の、やや変わった趣味の知識人による、マイナー志向の小さな文芸サークル」にすぎませんでした。

私が読んだ、このトールキンの伝記の作者カーペンターは、「このサークルについてはたくさんのこと書かれているが、その多くはこの集まり(インクリングズという名称)を重視し過ぎている」と述べています。

それは《文学に興味を抱いている一群の友人たちという以上のものでも、それ以下のものでもなかった》と。「神話化」するほどのものではない、というわけです。

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なお、トールキンが若い頃から強い思い入れをもって取り組んでいた創作は、先ほど述べた『シルマリルの物語』でした。

この作品は、私のような特別にファンタジーやトールキンのファンというわけではない人間からみれば、かなりとっつきにくい、マニアックな神話的世界を構築したもの。トールキン自身も、この作品で多くの読者が得られるとは思っていなかった。

しかし、1930年代に入ると、トールキンはその神話世界(ミドルアースという異世界)を舞台にして、子どもにも楽しめる冒険物語をつくり始めます。

彼は自分の子供たちにそうした物語を読んできかせながら、そのうちのひとつをまとまった原稿にしていきます。それが彼のもうひとつの代表作『ホビットの冒険』です。

この作品を書いたとき、トールキンには出版のあてはありませんでした。そしてラストのほうは未完成のまま、何年か放置していた。しかし彼のタイプ原稿が、彼の教え子だったある編集者の目にとまり、それがきっかけで(完成させた原稿が)1937年に出版されたのでした。

『ホビットの冒険』はかなりの好評で、子ども向けだったのにもかかわらず、大人の読者も獲得しました。これは当時、「おとぎ話」「ファンタジー」の読まれ方としては新しい現象でした。

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トールキンは出版社から続編を依頼されます。そして1937年頃から『指輪物語』の原稿を書き始めます。

しかし、『指輪物語』の執筆は思うようにはすすみませんでした。

当初は『ホビットの冒険』のような子ども向けのつもりでしたが、書き込むうちに大人向けの複雑でシリアスな物語になっていく。

そしてトールキンは完璧主義者で、細部まで徹底的に物語の世界や文体を構築しようとするので、執筆作業はどんどん重たいものになっていく。さらに本業である教授や学者の仕事も相当に忙しい……

今出ている日本語訳の文庫版で全9巻になる『指輪物語』が脱稿したのは、1949年のことです。

執筆が中断していた時期もありましたが、完成まで12年ほどかかっています。その12年ほどのあいだには第二次世界大戦という大惨事もあった。

雑誌連載などではなく、書きおろしで、締め切りも出版契約もない大長編を兼業作家が仕上げるというのは(『指輪物語』ほどの名作でなくても)、並大抵のことではないでしょう。こういう場合、ふつうは途中で投げ出してしまうものです。

しかし、トールキンはやり遂げた。やり遂げるうえで、彼の生活や健康状態が安定していたことは大きいでしょう。何かの悪条件やアクシデントがあったら、彼は『指輪物語』を完成できなかったのではないかと、私は思います。

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こうして1949年に脱稿した『指輪物語』でしたが、「第一部」「第二部」が出版されたのは1954年のことです(最後の「第三部」の出版は1955年)。すんなりとは出版されなかったのです。

多少のいきさつがあって、トールキンは『ホビット』を出したのとは別の出版社に原稿を持ち込んだりもした。しかしそこでは話がまとまらず、結局『ホビット』を出した会社から『指輪物語』は出版されます。

『指輪物語』のような、子どもにはとても読めない、ぼう大で複雑な内容のファンタジー作品は前例のないものでした。しかも何冊にもなる大長編。

これが出版として採算がとれるのか?――当時の常識ではおおいに疑問でした。だから、容易には出版できなかった。

『指輪物語』の第一部の初版の発行部数は3500部、第二部はそれよりやや少なめという、控えめなものでした(『J.R.R.トールキン 在る伝記』258ページ)。

この点についてカーペンター(トールキンの伝記の著者)は、こう述べています。

《アレン・アンド・アンウィン〔『指輪物語』の出版社〕は『指輪物語』が数千部以上売れるとは期待していなかった。分厚く、型破りで、子供の本でも大人の小説でもなく、どのような単一の“市場”にも訴えないものだったからである》

『指輪物語』が出版された1950年代半ばにおいて、トールキン的なファンタジーは、社会や文化のなかで位置づけのない、マイナーなものだったということです。

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しかし、予想に反して『指輪物語』は順調に売り上げを伸ばし、出版後数年のあいだにヨーロッパの主要な言語に翻訳されたのでした(日本での翻訳は『ホビット』も含め1970年代)。

そして、1965年にアメリカで海賊版のペーパーバックが出て、さらに公認のペーパーバック版が出版されると、アメリカの大学生のあいだで火がついて世界的な一大ブームが起きました。

1968年までに、『指輪物語』は世界で300万部を売る大ベストセラーになります。そして、その後現在までの世界での発行部数は億の単位になっている。

出版社が「何千部か売れたら上出来」と思っていた、マイナーだったはずの世界は、今やすっかりおなじみの、大きな存在になりました。

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宮崎駿さんは『ホビットの冒険』について「ファンタジーの傑作」としながらも、《今ではなんだか色あせて感じられ》ると述べています。

《この本をヒントに、あまりにもすごい数のロールプレイングゲームが作られ、魔物を一匹、二匹とやっつけて数えたりしすぎたのでしょう。それにもっと刺激的で工夫をこらしたファンタジーが大量生産され、消費されたからだと思います。この本は喰い尽くされてしまったのです》
(宮崎駿『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』岩波新書)

「喰い尽くされた」ということは、おそらく同じ世界を描いた『指輪物語』にも言えるはずです。

もちろん、ゲームなどの現代文化に影響をあたえ「喰い尽くされた」ファンタジーは、トールキンだけではない。

しかし、『指輪物語』などのトールキンの作品が、「作者によって構築された異世界」を舞台とする「ハイ・ファンタジー」の代表格で、象徴的なものであることはまちがいないでしょう。

そして「ハイ・ファンタジー」は、本来はファンタジーの一分野(あるいは変種)にすぎなかったはずが、今ではファンタジーの典型のようになりました。

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今の文化の状況をみたら、トールキンはどう思うでしょうか。

今の文化では、「もうひとつの真実」「各人が自分自身のナラティブ(物語)で生きていく」ということがさかんに言われている。

マスコミやアカデミズムなどの権威による「説明」「物語」や、科学的・客観的とされる「真実」の影響力も大きく揺らいでいる。

つまり、各人が自分の好きな「ファンタジー」「幻想」にどっぷり浸かって生きる傾向が強くなった社会。「地球は平面である」という「真理」を信じるコミュニティまで存在する―――これを、トールキンはどう思うか?

トールキンは1939年(『ホビット』出版の翌々年)に、講演でこう述べています。

《「空想〔ファンタジーのこと〕」は人間の自然な活動であります。それは「理性」を破壊するものではないことはたしかですし、軽蔑することでさえありません。そして又、科学的真実への渇望を鈍らせることもありませんし、それに対する認識を曖昧にすることもありません。事実はその逆なのです。理性が鋭く、明快であるほど、よい空想が生まれるのです。》
(トールキン『ファンタジーの世界―妖精物語について-』福音館書店 、猪熊葉子訳・現在は評論社から出ている)

私は、このトールキンの言葉を、カート・アンダーセン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史(上)(下)』(東洋経済新報社、2019年、山田美明・山田文訳)で引用されているのを読んで知りました。

アンダーセンの本は、インターネットの普及とともに「狂気と幻想」が急速に力を持つようになった(と著者が考える)アメリカ社会を論じた本です。

アンダーセンは、基本的には以上のトールキンの主張を支持しています。

一部の硬直した科学主義者がいうような「子どもにおとぎ話をきかせるのは、子どもに自然を超えた存在があることを植え付けるので危険」などということはないはずだと。

しかしアンダーセンも、ファンタジーがきわめて普及した《最近の文化産業の状況をみてもらいたい》と、その状況に対する違和感を語っています。

そして、上記の引用に続く、トールキンのつぎの発言を引用している。

《もし人が、真理を(真実、あるいは実証を)知りたいとは思わず、又、それを認識できない状態にあるとしたら、そのような状態がいやされないかぎり「空想」はおとろえるでしょう。人がもしそのような状態におちいるなら(これは全くありえないことではありません。)、空想はたえてなくなり、「病的な妄想」となりはてるでしょう。》
(トールキン『ファンタジーの世界―妖精物語について-』)

これに対しアンダーセンは《トールキンは半分だけ正しかった》と述べています。

つまり「多くのアメリカ人が今や事実や真実を知ろうとしなくなったが、文化産業においてファンタジー作品がなくなる気配はまったくない」と。

こうした認識は、現代のファンタジー作品の量産状況への違和感という意味では、宮崎駿さんとも重なるでしょう。

ただ、アンダーセンが「ファンタジーの衰退」を否定しているのに対し「(ホビットのようなファンタジーは)喰い尽くされた」という宮崎さんの言葉には、ファンタジーの衰え、つまりトールキンのいう「病的な妄想」化というニュアンスがあります。

私には「トールキンは半分正しい」のではなく、「全部正しい」のではないかと思えます。

もしこのまま「客観的な事実・真実の衰退」ということがすすめば、ファンタジーも、量的にはともかく、質的には衰えていくのではないか。

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「現代における事実・真実の衰退」という大きなテーマじたいは、ここではとても論じきれません。

ここでは「真実の衰退」と恐らくはかかわりのある「ファンタジーの興隆」に関する過去の出来事を確認したということです。

今ではこんなにも有力になったファンタジー(トールキン的なファンタジー)は、「マイナーな趣味の・地味な兼業作家の大学教授」が生みだしたもので、出版社も本人もその作品にそれほどのインパクトがあるとは期待していなかった――そんなところから開花したのです。

たしかにその点では、世界の(とくに先進国の)文化はこの数十年で大きく変わったといえるでしょう。

ただし、現代においておおいに一般化した文化の「種子」が1950年代半ばには播かれ、1960年代には大きな花を咲かせていたわけです。

そして、今もその「種子」に影響を受けたさまざまなコンテンツが世の中にあふれている。その「種子」――『指輪物語』を原作とした映画が21世紀初頭に大ヒットしたりもした。その意味では「この数十年、文化は根本的には変わっていない」ともいえるのです。

*2022年9月25日追記:この記事に対し「『ロード・オブ・ザ・リング』の原作が、何十年も前の作品とは知らなかった(もっと最近の作品と思っていた)」という感想もいただきました。

 

*私がトールキンの伝記を読もうと思うきっかけとなった、はてなブログ・Ranunさんの記事。『二グルの木の葉』というトールキンの短編(記事で述べているようにたしかに深い話)を紹介しています。

 

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