そういちコラム

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フランツ・カフカ 発表できなくても野心作を書き続ける

7月3日は作家のフランツ・カフカ(1883~1924、チェコ)の誕生日。

カフカは、「変身」などの前衛的な作品で20世紀文学に多大な影響を与えた大作家です。でも彼は、生前はほとんど無名でした。大学時代に小説を書き始めましたが、作家としてすぐには芽が出ませんでした。

大学卒業後は大手の保険会社に就職しましたが、多忙で小説を書く時間がとれない。そこで、翌年には半官半民の勤務の緩い保険会社(プラハ労働保険局)へ転職。

この会社は朝8時から午後2時までの勤務という、めずらしい労働条件でした。勤務が終わってから昼食をとり、それから夕食まで眠り、夜11時から深夜まで(ときには明け方まで)作品を書く――そんな生活を続けたのでした。

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しかしカフカは、作品の多くを発表できないまま、結核のため40歳で亡くなりました。

ただし、生前に数冊の著書は出版されていて、地元のプラハ(チェコ)の文壇では、ある程度知られた存在ではありました。しかし、死後に彼が得る大きな名声とくらべれば、「無名」といっていいでしょう。

遺稿となった小説(全作品約70編のうち本数では半数以上、分量的には大部分)は、のちに親友の作家の手で編集・出版されました。

そして、死後20年余り経って、哲学者サルトルなどの著名人が高く評価したことで、世界的に知られるようになったのです。

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発表できなくても、野心作をとにかく書く――それは、カフカが無欲で謙虚だったということでしょうか? 

いや、むしろ「新しい文学をつくってみせる」という大きな野心が、彼を支えたのではないでしょうか? そうでなければ、挑戦的な質の高い作品を、何十編も書き続けることなどできないはずです(『ダ・ヴィンチ解体新書vol.2人気作家の人生と作品』所収の池内紀氏の解説ほかによる)。

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そして、小説を書くだけだったのかというと、そうではありません。大恋愛をした女性が3人はいます。

その1人とカフカは2回も婚約しています。恋愛から婚約に至ったが破局して、その後交際が復活し、また婚約したものの、カフカの病気で結局破談となった。その後も結核療養地で知り合った女性と恋に落ち、結婚を望みますが彼の親の反対で断念。亡くなったときも、その前年に知り合った若い女性と同棲中でした。

40歳の若さで、成功とは無縁のまま亡くなったカフカ。でも彼には、野心作を書いているときや、愛する女性と過ごすときなど、たくさんの胸が熱くなる時間があったはずです。彼の作品を高く評価する親友もいた。

彼をみると、そういうことこそが人生では大事だという気がします。

 

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