先日、Bunkamura ザ・ミュージアムで「かこさとし展」(かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと)をみてきました。
かこさとし(加古里子、1926~2018)は、昭和の高度成長期から平成にかけて活躍した著名な絵本作家。「だるまちゃん」シリーズや『からすのパンやさん』のような愛らしいキャラクターが出てくる作品には、世代を超えて読者がいます。
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しかしそれだけではない。科学、自然、技術、社会、歴史、暮らし、遊び等々の幅広い分野の知識・情報を扱った、ぼう大な絵本を残した。
かこは「子どもはそれぞれにいろんなことに関心を持つ」という前提に立ち、その多様な関心にこたえるために、いろんなテーマ・素材で絵本をつくったのです。
私も子ども時代(1970年代)に「知識・情報系」のかこさとしの絵本をいくつか読み、惹きつけられた思い出があります。子ども時代の私の関心は「だるまちゃん」よりもそっちでした。
たとえば『かわ』という作品。雨水が山から染み出て流れをつくり、川となって上流から流れていき、下流の市街地を経て大海にたどりつくまでを描いたもの。
『海』では、波打ち際から浅瀬に出て、大陸棚から深海へと深くなっていく海の世界を、生物などの自然だけでなく、船舶や、資源を求める人間の活動なども視野に入れながら描いている。地表から地球の内部(核)までの構造を描いた『地球―その中をさぐろうー』という作品もある。
それから、生活を支えるさまざまな要素・機能の集合体としての「家」というイメージを、ある種の思考実験を重ねながら伝える『あなたのいえ わたしのいえ』という作品も……
これらは小学校時代の私が読み、今もとくに印象に残っているもので、かこさとしの世界のほんの一端にすぎません(ただし、どれも重要な作品だとは思います)。
なにしろ、かこさとしという人は、生涯で600余りの絵本作品・著作を残したのです。
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彼は、東京帝国大学の工学部で化学を専攻したという、一般的な「絵本作家」のイメージとは大きく異なる学歴です。のちに工学博士の学位や技術士(化学)の資格も得た。
一方で子ども時代から絵を描くことが大好きで、青年になって(趣味としてですが)さらに本格的に描くようになった。
また高校時代の先生の導きで俳句などの文学にも深い関心を持ち、大学時代は演劇研究会で子ども向け作品の脚本を書くなど、文学青年の面もあった。
こういう豊富な文化的な要素を持つ彼ですが、エリート家庭の出身ではありません。育った家に本はなく、それでも読書好きだったので図書館通いをしたそうです。
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大学卒業後は昭和電工という大企業の技術者となり、その勤務のかたわら、子どものための人形劇団に参加。さらに別の組織で、子どものために紙芝居を制作・上演する活動に参加し、多くの子どもたちに接しました。そこから絵本の創作をはじめるようになった。
そして30歳を過ぎて、ダム建設をテーマにした作品(『だむの おじさんたち』)で、絵本作家としてデビュー。技術者であると同時に若い頃から子どものための表現を追究してきた、彼ならではの作品。これが評判を呼び、まず科学絵本の作家として認められた。
そしてその後は会社勤めを続けながら、多くの作品を生み出していったのです。昭和電工には47歳まで25年間勤務しています。絵本作家として売れっ子になっても、長い間「兼業」を続けたということです。
かこ自身も語っているように、企業人として本格的に勤めたことは、彼の作品のいろんな源泉になっているはずです(『現代思想臨時増刊号 総特集*かこさとし』71~72ページ)。
彼は2018年に92歳で亡くなりましたが、80代になっても新たな著作や絵本を生み続けました。
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以上のように、ものすごく生産性の高い生涯でした。そして多面的でもある。まさに「知の巨人」といってもいい。
かこさとしという人は、ほんとうに勤勉な勉強家だったと思います。
かこの「知識・情報系」の絵本の魅力は、深く・豊富な情報が、魅力的な物語性をもって、しかし一方で知的に整理され提示されていることです。
そこに描かれている絵や図は、ほどよい緻密さとかわいらしさのさじ加減のもと、文章と一体となって多くを語りかけてくる。
大人になって読み返すと、「このような本をつくるのに、このテーマについてどれだけの勉強・研究を積み重ねただろうか」と感嘆します。こんな本を100の単位でつくったなんて……
私は、ほんの1冊(かこの600分の1)ですが「世界史の大きな流れを初心者に伝える入門書」を出版したことがあります。子ども向けの社会科の絵本も共著で1冊出している。そこで、そういう勉強について、いくらかはイメージがあるつもりです。
かこは「知識・情報系」の絵本では、そのテーマについての勉強・研究に、製作時間の9割を費やしたそうです。そして、たいていは何年も(ほかの仕事と並行して)そのテーマを追究したうえで書いた。
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今回のかこさとし展、もちろん行ってよかったなあ、と感じています。かこさとしの本と出合って約50年経ちますが、彼の原画をみるのは初めてで、それはたいへんうれしいことでした。
平日の午後に行きましたが、おもに20~30代の若い人(女性が多い)で会場はにぎわっていました。かこさとしの人気は高いのですね。
あるいは、「再評価されている」といってもいいのでしょう。
たしかに、かこについて述べた本・雑誌の特集は、この数年で増えたと思います。私もそういう流れの中で、「これはやはりすごい人だ」と再認識したひとりです。
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私としては、今後はさらに「知の巨人」「知の探究者」としての、かこの仕事ぶりをもっと知りたいと思いました。
それは「こういう作品を生み出すために、彼はどんなふうに勉強・研究したのか」ということです。
どんな本や資料をどんなふうに読み、あるいはどんな現地調査やヒアリングなどを行ったのか。それをどう整理・消化して、作品にしていったのか。
私は、かこについて述べた本、かこが自分について語った本などを何冊か持っていますが、そこでは「かこさとしの知の技法」については、あまり掘り下げられていないように思います。少なくともまとまったかたちでは示されていない。
かこ自身も、その点(知の技法)についてはそれほど多くを語っていない。まあ、私の勉強不足かもしれませんが。
今回の展示でも、彼の「勉強・研究」の様子は、とくに取り上げられてはいませんでした(そういう趣旨の展示ではないので、当然ですが)。
「知の巨人・かこさとしの知の技法」――これは、「かこさとし研究」の今後の課題ではないか。少なくとも私は、そのことをもっと知りたい。
そして「かこさとしの知の技法」がきちんと知られることは、世の中の知的活動の向上におおいに役立つはずです。
世の中がかこさとしの仕事ぶりに学ぶことで、こんな人が増えるのではないでしょうか――「絵本や映像作品を自分でつくって考えを表現する科学者」「科学やいろんな森羅万象を研究して、自分の認識を表現するアーティスト」といった人たち。
そういう人が(もういるのでしょうが、さらに)たくさん出てきていい仕事をしたら、すばらしいと思うのです。
かこさとし展より・からすのパンやさんのフィギュア
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