そういちコラム

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建国の父がつくった小さな図書館・アメリカ議会図書館の創設

アメリカ独立を指導した「建国の父」の1人で、第3代大統領になったトマス・ジェファーソン(1743~1826)。彼は、独立当初から「連邦議会の議員の活動(調査研究など)をサポートする図書館=議会図書館」の創設に、関心を持っていました。

アメリカ建国の初期には、政府や議会があったのはワシントンではなく、フィラデルフィアでした。フィラデルフィアには、近代的な公共図書館の草分けといえる図書館があり、議会の建物はその隣でした。

この図書館は、民間の法人(フィラデルフィア図書館会社)が運営する一般市民のための図書館で、政府の機関ではありません。しかし議会に協力的で、議員はその図書館を自由に利用できました。議員たちが審議中に図書館で資料を調べるようなことも、たびたびありました。

しかし、ワシントンに首都を移転することになり、新しい首都に図書館を整備する必要性が出てきました。当時のワシントンには、図書館などなかったのです。

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世論や政府内には「議会のための図書館なんて、政府の目的とは関係のないムダづかいだ」という意見も根強くありました。

それでもジェファーソンをはじめとする推進派は、議会図書館の必要性を世論や議会に訴え、図書館の予算を成立させたのでした。

当時(1800年代初頭)は、ヨーロッパ諸国では王侯貴族による本のコレクションをもとにした、立派な国立図書館がすでにいくつかありました。しかし新興の共和国アメリカでは、新たな首都にゼロから図書館をつくる必要があったのです。

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そして,ジェファーソン大統領時代の1802年にワシントンで「アメリカ議会図書館」が本格オープンしました。

しかし、創設当時のアメリカ議会図書館は、法律・政治・経済・歴史関係を中心とする蔵書が数百冊ほどの、非常にささやかなものでした。

「買いそろえる本」のリスト作成に、大統領自身も深くかかわっています。ジェファーソンは、政治・法律だけでなく哲学・科学にも通じた、当時のアメリカで有数の知識人だったので、それは自然なことでした。

そして、この図書館の初期の蔵書のほとんどは、イギリスの書店に発注したものです。こうした図書館のためのオーダーに対応できる書店は、当時のアメリカにはなかったのです。

その後1812年には、蔵書は約900タイトルで3000冊にまで増えていました。でも、現代の感覚ではまだまだ小さな図書館です。

そして1814年には、議会図書館はジェファーソンの蔵書約6500冊を買い取って、その蔵書は1万冊程度にまで達しました。

「1万冊」というのは(そこには高価な本も多く含まれていたので)、当時のアメリカでは有数の図書館でした。しかし、当時(1800年代前半)のパリの国民図書館、ロンドンの大英図書館といったヨーロッパを代表する図書館の蔵書は、すでに10万冊単位です。

アメリカの議会図書館は、志としては「世界の文献を集めた知識の一大貯蔵庫」をめざしていましたが、まだまだという感じです。

しかし当時のアメリカは、世界のなかでは片田舎の新興国にすぎなかったのです。そんな国で、大統領をはじめとする政府の中枢の人びとが、議会図書館という「知の道具」を重視して、充実させようと努めていたわけです。

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アメリカ議会図書館の草創期のことをみると、アメリカという国の良い面が出ている気がします。

実務的・現実的で、それほど「文化的」という感じではないヤンキーたちが、一方で「知」「学問」にもこだわっている。

そして「知」の世界を国家や社会の現実に活用しようとする姿勢がたしかに感じられるのです。ただし、現実のアメリカはこういう「良い面」ばかりではないわけですが。

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現代のアメリカ議会図書館の蔵書は数千万冊に達し、書籍以外の資料は1億点にもなるそうです。世界でもダントツに大きな図書館です。人類を代表する「知の貯蔵庫」をアメリカ人はつくりあげました。ジェファーソンがまいた種は、大きく大きく育ったのです。

それは、独立当初はささやかな新興国だったアメリカが超大国へと成長していった様子を象徴している、といっていいでしょう。

7月4日は、アメリカでは「独立宣言」(1776年)が発表された「独立記念日」ですが、じつは「独立宣言」の起草者であるジェファーソンの命日でもあります。

参考文献

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