そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

10年頑張れば、本の1冊も出せる・「職業無料相談」の本多信一さんのこと

本多信一さん(1941~)という人がいます。1970年代から40年以上、職業・キャリアのことで悩む個人を対象に無料の相談(「職業無料相談」などと本多さんは呼ぶ)を行ってきた人です。ただし、現在は相談の仕事は休業となっているようです。

「無料」の相談でどうやって生きていたのか? 本多さんは生き方や仕事に関する著作を40年余りのあいだに数十冊書き、さらに講演や企業へのコンサルティングなどで収入を得てきました。

しかし「無料相談」の事務所の維持費がかさみ、ずっと「貧乏」であったとのこと。

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本多さんは大学を出てから6年間は、時事通信社で記者として勤務しました。1971年、30歳のときに独立して小さな事務所を構え、「無料相談」を始めます(このとき結婚したばかりなのに)。

しかし最初の3年間、相談者は全然来ないし、そのほかの仕事も何もなかった。

貯金が尽きようとしていたところで、愛読していた雑誌に手紙を書いて自分を売り込み、それが編集長の目にとまってライターの仕事を始めることができた。

そこから文章を書く仕事を発展させ、独立後5年目には、最初の著書を出版。その後、毎年のように著書を出すことができました。

それとともに「無料相談」の活動も知られるようになり、相談者も増えていきます。そして、独立して10年も経つと、その分野のユニークな専門家としてのポジションが、かなり成立していたのでした……

本多さんのようなフリーランスの「個人相手の相談業」は、1970~80年代には珍しかったと思います。現代的なフリーランスの世界で、先駆者的な仕事をされたともいえるでしょう。

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私は1990年代後半(私が30代の頃)から、本多さんの本を愛読してきました。本多さんが「内向型人間」(本多さんによる用語)をおもな対象として、親身に語りかけていることに魅かれたのです。

本多さんのいう「内向型」とは、私なりにまとめると、きらびやかな成功や消費生活よりも、内面的な価値観や理想を重視するタイプの人。比較的おとなしく、社交性や行動力は弱いところがある。組織になじめない人(本多さんは「非組織型人間」と呼ぶ)も多い。

本多さんも自らが「内向型」の「非組織型人間」であることを強調しています。私にも「内向型」の面があるので、本多さんの人生論・仕事論に共感するところが多々ありました。

もちろん「内向型」の切り口だけでなく、職業の世界について、豊富な知見をもとに語るその道の専門家として信頼してきました。

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なお、私は著作を愛読するだけでなく、1回だけですが、相談者として本多さんにお会いしたこともあります。2010年頃のこと。

当時の私はサラリーマンを辞めて挑戦した起業に失敗して「これからどうしようか?」と悩んでいたので、本多さんに相談を申し込んだのです。

そして、新宿区内の本多さんの事務所――質素な集合住宅の一室――に伺って2時間余りお話しすることができました。そのときの詳しいことは、また別の機会に。

その後(2010年代前半に)、本多さんは体調不良のため相談の仕事を休業されたとのこと。「あのときお会いできてよかった」と思います。

本多さんは、40年ほどでのべ2万人を超える相談者と対話されたそうです。週の半分くらいは「本業」である「無料相談」を行い、残り半分で著述・講演などの収入を得る仕事をして、それだけの相談を行ったのです。

「無料相談」を2万人というのは、たしかにすごいことです。たぐいまれな、みごとな人生を歩んだ方だと思います。

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昨日、本多さんの『気楽に生きれば自分が活きる 本多信一の「無料人生相談日記」より』(ビジネス社、1997年)を読み返しました。

この本のなかに、私がとくに何度も読んでいる一節があります。それはおもに作家志望の人を念頭においた箇所で、私も物書きとして一本立ちすることを(いい年をして)志向しているので、惹かれるのです。

本多さんは、作家であれ、その他の職業であれ、本気で10年やればなんとかなる、と述べています。

“いかなる道であれ、一意専心で十年も全力投球すれば、その道でなんとかなるもの”

「一意専心」とは、「そのひとつに全力投球する」ということ。多くの人はそれがなかなかできない。

“人は普通、一日に十も二十もの(職業的な)希望を持つ。かりにある人が十の希望を持っているとしたら、一つひとつの希望にかけられるエネルギーは十分の一になってしまう。これでは、よほどの天才でない限り、それらの希望の実る確率はきわめて低いと思う”

そして、本多さんはこのようにも述べています。

“ある方面の職業的成功とは、適性&かけた時間の総和であって、才能の問題に非ず”

そして、自分は「一意専心で十年」頑張ったことで、職業相談や文筆で一本立ちできたのだというのです。たしかに本多さんの経歴は、まさにそうです。

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このあと、同書では作家志望の相談者の青年(29歳)のことが出てきます。

この青年は週3日学習塾の講師をしながら作家修行をしている。そんな生活を続けて5年目で、さまざまな新人賞に応募してきたが、まだ入選していない。

その彼に本多さんは「五年ですかあ……。やっぱり十年はやらないと……」と言います。青年は「えー、十年もですか、それでは結婚もできません」という反応。

これに対し本多さんはこう言ったそうです。

“「とにもかくにも、十年をかけたら一冊の本ぐらい出せる人になると考えて、今の生活を続けてください。いつの時代にも作家志望者は相当います。ですからライバル過多の分野です。しかし、三年やった人は一年目の人より明らかに表現力が上達しています。十年も続ければ、その時点から文学で身を立てようと新たに考えた人たちはもうライバルではありませんね。一日に四百字詰の原稿用紙で十枚、四千字ずつ一年書くと、三千六百枚、十年で三万六千枚ですよ。これだけ修練を積めば、必ずなんとかなりますよ……」”

なお、ここで「作家としてなんとかなる」というのは、高収入の売れっ子や天才作家になるということではなく、ふつうの(どうにか食べていける)作家になる、ということだそうです。

そして小説の場合は、現代においては、雑誌『公募ガイド』に載っているような何らかの新人賞に応募して受賞することが、作家デビューへのほぼ唯一のルートであるとのこと(現代ではインターネット上の「公募」といえるルートもあるようですが)。

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この文章をはじめて読んだ30代の頃、「私も十年頑張って本を出せるようになろう」と思ったものでした。

その頃すでに、意識的にものを書き始めて数年は経っていましたが、取り組んだトータルの時間は、たいしたものではなかったのです。だから、これからはもっと頑張ろうと思いました。

しかし、その後の私の取り組みも、「一意専心」とはとてもいえないものでした。

会社の仕事の忙しさにかまけて、1日4000字など書かなかったし、さらにほかの分野で起業をしたり、大きく脇道にそれたりもしたのです。それこそ本多さんが言う「十の希望を持つ」状態でした。

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その後、起業した事業から手をひいて、3年ほど浪人生活をしたあと、私は契約社員的な立場で大学生向けのキャリア・カウンセラーとして、ある組織で勤務するようになりました。

時間に比較的余裕のあるその勤務の傍ら、私は会社員時代よりも真剣に文章を書くことに取り組みました。

そして数年のあいだに、電子書籍ですが出版社からの商業出版で2冊(勉強法の本、多くの偉人を紹介した本)、そして1冊の世界史の入門・概説書(このブログでもよく紹介しています)を出版できたのでした。

私の場合、志してから本を出すのに「十年」よりもはるかにかかりました。毎日の取り組む時間が足りなかったので、当然のことです。

なお、私の分野には「新人賞」というのはありません。電子書籍は完成原稿を出版社に持ち込んだ結果です。紙の本を出してもらいたかったけど、出版社からは「電子書籍なら」と言われ、それで出していただきました。

世界史の本は、私の当時のブログ(このブログではない)をみた編集者から声をかけていただいて、今度は紙の本で出版することができました。

それぞれ別の出版社ですが、どちらの出版社もなんのコネもありません(コネ・紹介で新人が本が出せるということは、自費出版的なものは別にして、本来はあり得ないと思います)。

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「一意専心で十年頑張れば、本を出すことも可能」というのは、私も自分の経験から「本当だ」と思います。

ただし、圧倒的な才能・努力が伴うなら、10年はかからないかもしれません。でも「ほんの何か月かで、あなたも売れっ子の作家・書き手になれる」かのような話があったら、たぶんインチキです。

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先日読んだ『週刊文春 WOMAN』に、デビュー作『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房、2021年。独ソ戦を舞台に狙撃兵の少女を描いた小説)がベストセラーになった、作家の逢坂冬馬(あいさかとうま、1985~)さんと稲垣吾郎さんの対談が載っていました。

それによれば、逢坂さんが初めて小説を書いたのは、大学卒業後しばらくしてから。その後、サラリーマンをしながら年1作ペースで長編を書き上げて投稿するも、10年以上結果が出なかった。

しかし3年ほど前から早川書房主催のアガサ・クリスティー賞という新人賞に狙いを絞って投稿し、『同志少女よ……』がみごと大賞を受賞してデビューしたのです。

投稿生活のあいだは、選にもれた作品を小説投稿サイトに掲載して、そこでの評価に励まされたりもしたそうです。

『同志少女よ……』は、直木賞候補になり、2022年の「本屋大賞」を受賞しています。

それほどの実力の持ち主でも、最初の1冊が出るまで10年以上かかっているのです。逢坂さんは本多さんのいう「一意専心で十年」の見事な事例といえるでしょう。

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逢坂さんの本とはちがって、私の最初の1冊(数年前に出した世界史の本)は、残念ながらベストセラーには程遠い売れ行きです(でも、ネット上の読者レビューではおおむね高評価。アマゾンでは現在20件の評価で平均4.6←2023年1月改訂)。次の本が出せないまま数年が経っています……

「一意専心で十年頑張れば本の1冊も出せる」としても、そこからさらに先へ行くには、新たに乗り越えていくべきことがいろいろあるのでしょう。

いい年をした中年のオヤジですが、まだあきらめずに精進したいと思います。

私そういちの世界史の入門・概説書。文庫版が2024年2月に出ました

文庫版の元になった親本

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私の2冊の電子書籍

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キャリアカウンセラーの経験を生かして書いた当ブログの記事。うーん、やはり「一意専心」でないかも……