そういちコラム

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今日の名言 葛飾北斎 70歳までに描いたものは取るに足りない

【今日の名言】葛飾北斎(江戸時代の絵師・1760~1849)

私は6歳のころからモノのかたちを写す癖があり、50歳のころから多くの作品を発表してきたが、70歳までに描いたものは取るに足りない。

己(おのれ)六才より物の形状(かたち)を写すの癖(へき)ありて半百の比(ころ)より数々(しばしば)画図を顕すといへども、七十年前(ぜん)画(えが)く所は実に取に足(たる)ものなし。

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旧暦9月23日は、葛飾北斎(1760~1849)の生まれた日。

葛飾北斎の伝記などを読んで、私が「そうだったのかー」と感心することのひとつに、北斎がじつに「大器晩成」だったということがあります。

北斎の一番有名な作品である『富嶽三十六景』やそれに準ずる『富嶽百景』は、70代のときの作品です。

つまり、北斎の画業において50歳くらいまではじつは助走期間であって、全面的に開花するのは60~70代以降だったのです。そして90歳近くまで長生きして、ひたすら画業に取り組んだ。

「大器晩成」といっても、北斎は50歳頃までにも一定の評価は得ていました。しかし、53歳のときに描き始めた『北斎漫画』の大ヒットで一挙にメジャーになって、飛躍していったのです。

『北斎漫画』は、いわば「森羅万象」のイラスト集です。人物、生活用品、建物、風景、架空のものも含む生き物たち……

「漫画」とは「気楽に漫然と描いた絵」という意味。それがモノクロの木版画で冊子になっています。大好評につきシリーズ化され、15巻まで出版された。

私たちが知る彼の作品は、基本的に版画による出版物です。その版画の下絵を描く人だったわけです。アカデミックな「画家」ではなく、イラスレーターやグラフィックデザイナー、あるいはまさに「漫画家」に近い。

私は去年(2021年)開催された「北斎づくし」展で、『北斎漫画』の全巻・全ページ(数百ページになる)が展示されているのをみました。北斎の高度なスキルや豊富なアイデア、そして絵に対する情熱に圧倒されました。

「北斎づくし」展の様子

『北斎漫画』の一部

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しかし、そんなすごいヒット作も、北斎にとっては「序章」にすぎなかった。

先ほど述べたように、北斎は70代になって『富嶽三十六景』や『富嶽百景』を描くわけです。代表作を70代で描いているのです。

しかもそれは、「老大家が熟成したいいものを描いている」というのではない。

「三十六景」では、これでもかこれでもかと、アイデアや技巧を凝らした緻密な作品を大量に繰り出している。それでもう十分だろうと思うのですが、「三十六景」のあとまもなく、今度は同じ富士山ネタで「百景」です。

北斎がもしも50歳で、いや70歳で死んでいたら、現代では浮世絵研究者のような特殊な人しか知らない絵師で終わっていたことでしょう。

北斎は75歳の頃につぎのようなことを、版画集『富岳百景』のあとがきで述べています。

「私は6歳のころからモノのかたちを写す癖があり、50歳のころから多くの作品を発表してきたが、70歳までに描いたものは取るに足りない。73歳になり禽獣虫魚(きんじゅうちゅうぎょ)や草木の自然の姿をきちんと描けるようになった。そこで80歳でさらに向上して、90歳では奥義をきわめ……」

そして、それで終わることなくさらに110歳まで生きて「神の領域」にまですすんでいきたい、ということまで述べています。

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北斎の「大器晩成」の生涯や、彼の言葉をみると、「年をとっても人間は成長できる」ということの証明であるような気がします。

もちろん真剣に取り組まないとダメでしょう。また、何にもないところから北斎のような「巨匠」「達人」レベルになれるわけもない。

しかし、現在の自分を出発点にして、そこから「もう一段、もう一段」と高いレベルに達することは中高年や老年になっても可能なのだ――北斎はそう語りかけているように思えます。

若い頃にこの言葉に接したときは「北斎は、年をとっても頑張っていて偉いな」とぼんやり受けとめるだけでした。しかし、私も中高年になって、この言葉に強いメッセージを感じるようになりました。

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