そういちコラム

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日本に影響を受けたフィンランドのイラストレーターHeikalaのこと・「日本に学んだ異文化」に学ぶ

昨晩FMラジオを聴いていたら、日本のシティ・ポップに影響を受けたという、欧米の若手アーティストの新曲が流れてきました。

その曲はすでに有名なアーティストもやっているような「日本の歌謡曲やシティ・ポップを一部取り入れた」というものではありません。最初から最後まで、私のような中高年が若い頃によく聴いた感じのアレンジやメロディで貫かれていました。

おそらく専門的にみれば、現代なりの要素も入っているのでしょうが、素人の耳には昔なつかしい感じばかりが伝わってくる。

でもこれは欧米人が英語で歌う、2022年の新曲なのです。なんだか不思議な感じがしました。

音楽に疎いせいか、私にはこの曲の良さがよくわかりませんでした。

しかし、きっと今の世界にはシティ・ポップのような日本の音楽に全面的な影響を受けて、新鮮ないい音楽をつくるアーティストが何人もいるのでしょう。

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この曲を聴いたあと私は、フィンランド人のイラストレーター・Heikalaさんの画集『Heikalaイラスト作品集』(マール社、2021年)を本棚から取り出してながめました。去年書店で平積みになっているのを手にとって、すぐに魅かれて買った本。

Heikalaさんは、日本のマンガやイラストに影響を受けた作品を描いています。欧米人によるシティ・ポップ風音楽から、この画集のことを思い出したのです。

ただその作風は、日本のイラストの単なる模倣ではない。

本人もこの作品集のなかで述べているとおり《日本のポップカルチャーと、フィンランドの子ども向けの絵本の要素が合わさったもの》です(倉地三奈子訳、引用は以下同じ)。

日本のアニメやマンガと、私たちになじみの例で言えばトーベ・ヤンソン(ムーミンの作者で画家・フィンランド人)の世界が融合した感じ。

そのような画風の、私たちがあまりみたこのとのない(しかし親しみの持てる)世界が、デジタルではなく肉筆のペンや水彩などで描かれている。

そこには女の子が描かれていても、オタク的な「萌え」の要素はありません。ご本人も《イラストに描くキャラクターが性的な対象に見えないことが非常に重要》と述べています。その点では、たしかに日本のポップカルチャーのよくある傾向とは一線を画している。

そして、樹木や草花、水辺などの自然の風景への目線や描き方には、「北欧」を感じます。Heikalaさんは《子どものころ、どこへ行っても近くにはふらりと遊びに行ける森があり、いつまでも飽きることなく冒険を楽しんだ》とのこと。

その作品で描かれる自然は、緻密でリアルなものではないのですが、自然に触れてきた経験が昇華されている、といえるのでしょう。

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自然豊かなフィンランドの地方都市で、家には画集がたくさんある文化的な家庭で育ち、幼い頃から絵を描いてきたHeikalaさん。そこに、2000年代初頭になって、大きな変化をもたらす「異文化」が極東の島国からやってきた。

ポケモンに夢中になり、高橋留美子や『ドラゴンボール』を、小づかいをためて1巻ずつ買って読み、《不思議なパワーを持つ少女たち》のアニメにも触れた。

また、やや成長して初めて買った画集が、天野喜孝のもの。「その華麗な作風と完璧な筆使いに心を奪われた」そうです。

そして、絵の仕事を志して美術系の高校・大学を卒業。グラフィックデザイナーのようにクライアントの依頼に応じて作品をつくるのではなく、自発的に創作を行う「画家」「アーティスト」としての活動を続けてきた。

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Heikalaさんのこの画集は、たんなる画集ではなく、子ども時代からの自分の歩みや、作品の背景となる考え方、技法などについての語りが多く載っています。

そこで、「今の世界にはこういうふうに日本文化の影響を受けて育った人がいる」ということが、作品とともに手ごたえをもって伝わってきます。

もちろん、日本のポップカルチャーが好きな人が世界に大勢いるのは周知のこと。

でも、そのなかでHeikalaさんのように、「自分の生まれ育った世界」と「日本のアニメ・マンガ」をみごとに融合して、これまでになかった何かを生み出す人がいる、というのが興味深いです。

それはもちろんHeikalaさんだけでなない。私は詳しくは知りませんが、このように「日本のポップカルチャーと自分が本来持つ文化」を融合させて、創造的な仕事をしている人は、世界のあちこちにいるにちがいありません。

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けっきょく、「異質なものを自分のなかに取り入れて消化・昇華していく」ことが、新しい文化をつくるうえでは必須なのでしょう。

そもそも日本のシティ・ポップは、1970~80年代の日本で洋楽に強く影響を受け、それを自分たちなりに消化することで生まれたわけです。

「マンガの祖」である手塚治虫は、ディズニーに非常にあこがれました。現代マンガに決定的な影響をあたえた大友克洋は、「バンド・デシネ」といわれるフランスのマンガの画風(とくにメビウスという作家のもの)を取り入れ、自分の世界をつくりあげた。

また、ゲームで舞台となる中世風の異世界は、1960年代以降に欧米で大衆化した、ある種のファンタジーの文化がベースになっている。その基礎は、20世紀半ばにイギリスのトールキン(『指輪物語』ほか)などの作家がつくったものです。

以上にかぎらず「海外のすぐれたものを吸収して、自分たちなりの新しいものをつくる」ことは、日本の「お家芸」でした。

今の日本のポップカルチャーの古典が生まれた1970~90年代は、日本による海外文化の吸収と消化が高い成果を生んだ、ひとつのピークだったのかもしれません。

そして1970~90年代の日本は、経済大国としてもピークに達していました。たとえば、当時の日本は世界のGDPの10%前後~10数%を占めていましたが、今は5~6%になっている。

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Heikalaさんがポケモンに夢中になった2000年代初頭は、日本の国力がピークを過ぎて下り坂になろうとする転換期のことでした。

ピークの時代の日本が生んださまざまなポップカルチャーの遺産が、フィンランドの地方都市の子どもに、人生を左右するほどの影響をあたえたということです。

それは日本人としては、すばらしい、うれしいと思えることではあります。

でも一方で、「これからも日本文化は、Heikalaさんのような人を生む源泉となり得るだろうか?」などとも思ってしまいます。

近年は「世界に誇る日本のアニメ・マンガ」みたいなことを、その文化への愛着をそれほどは持っていない人まで言うようになりました。

でも日本社会で「世界に誇る・冠たる」みたいなことが言われるようになると、その分野はだいたいろくなことがありません。ごう慢になり、衰退する恐れがある。戦時中の日本の軍事関係のことは、その極端な例です。

具体的には私は知りませんが、そもそも世界の最先端では、日本のポップカルチャーの主流をなす部分は、月並みでつまらないものになっていくのかもしれません。日本の経済や学術研究がかなり衰えている現状からすれば、それは推測できます。

近い将来にたとえば「今の日本のアニメはつまらない」という論調が、世界で一般的になる可能性もあるのではないか。

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もちろん、そんな風にはならないことを願っています。そして、そうならないための、日本の文化が活気や創造性を保ち続けるためのカギは、「すぐれた異文化への関心」であるはずです。その「関心」を衰えさせることなく、さらに深めていく。

それはつまり「Heikalaさんにとってのポケモンや高橋留美子や天野喜孝への感動に相当する異文化体験」を、今の子どもたちや若いクリエイターがどれだけ積めるか、ということではないでしょうか。

そして、学ぶべき「異文化」として、Heikalaさんのような「日本文化の影響を受けたクリエイター」は重要項目のひとつのはずです。

もちろん「日本風で面白い」「本場の我々からみても……」みたいな上から目線ではなく、彼らから謙虚にいろんなことを吸収するのです。

つまり「“日本という異文化”に学んだ異文化」に学ぶということ。「今の日本はそういう段階・状況にある」と私は思います。

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