明日10月27日は衆議院選挙の投票日。誰に・どこに投票するか。
さまざまな立場の政党があります。おもな政党のそれぞれの主張には、それぞれもっともなところがあると、私は思います。この「それぞれもっともなところがある」という感覚を、私は大事にしているつもりです。
しかし、自分の考えとぴったり重なると思える政党もみあたりません。それは当然のことです。いろいろ不満があるとしても、ベターだと思う政党や人を選ぶのが選挙だと思います。
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しかし、どの政党に対しても、私が共通して不満に思うことがあります。
それは、ある重大な問題について、明確に方向性を示していないということです。それについての言及を避けている、といったほうがいいでしょうか。
その大問題とは、高齢化などにともなう財政の悪化です。別の言い方をすれば、政策を行ううえでの「財源」の問題です。
経済成長が比較的順調だった時代には、日本政府は「財源」の問題にはあまり悩まなくて済みました。政府が大きくなるのを、成長する経済が支えてくれました。だから、政策的にかなり安定した状態が続いたのです。しかし、1990年頃以降に経済成長が鈍ると、いろんな問題が生じたわけです。
そして現在は超・高齢化で財政は一層深刻な状態になり、経済の生産性を上げることもさらに困難になっている。
そこで、リベラルも保守も、それぞれの政策における「財源」の問題を、説得力のあるかたちで説明するのが難しい。そして、財源確保のための大幅な増税ということは、政治家はなかなか主張できない…
非常に難しい問題ではあります。一刀両断な解決策などないのでしょう。そこで、さまざまな施策や調整を組み合わせて、長期的な視野で細い道をいくしかない。
それは、かなり系統だった政策のパッケージに基づく取り組みであるはずです。
そういう「系統だった政策のパッケージ」という考え方が、今のどの政党にも弱いように、私は感じています。そのパッケージには「財源」の問題が含まれていないといけない。
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「系統だった議論など、有権者は理解できない」という考えもあるでしょう。でも、選挙活動ではワンフレーズでシンプルな主張をくり返すとしても、その背景には、系統だった考えがあって然るべきです。
わかりやすいメッセージと、その背後にさまざまな要素から構成される複雑な考えがあることは、必ずしも矛盾しないと思います。複雑な考えから、シンプルなメッセージを抽出することは、可能です。
しかし、今の政治的なメッセージには、シンプルなメッセージの背後に、同じくシンプルで少ない思考しかないように思えて、不満があるのです。
また、国民はほんとうに「系統だった政策のパッケージ」を理解できないのでしょうか? ほんとうにそういう人ばかりなのでしょうか? そして、議論の詳細は理解できない場合でも「この政党や候補は本気できちんと考えている」と伝わることはあるはずです。
「シンプルな話をしないと、国民に届かない」という考えにとらわれていくうちに、政治家の側の系統的な思考力・構想力が劣化していないか、心配です。
そして、その劣化が起こっているとすれば、それは私たちの選挙における選択が積み重なった結果なのでしょう。
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