この社会において「給料は何によって決まるか」「この人がなぜこの給料なのか」という問題――これは、人の生き方や価値観と深く関わるところがあります。
そこで感情的な要素も入ってくる。また、その人の立場によって給料についての経験や見聞はちがう。つまり、前提や常識が人によってちがうわけです。
だからこの問題は一筋縄ではいかない。それでもやはり「どうなっているか知りたい」と思える切実な問題です。
先日読んだ、ジェイク・ローゼンフェルド著・川添節子訳『給料はあなたの価値なのか 賃金と経済にまつわる神話を解く』(みすず書房、2022年)は、読みにくいところもありますが、たしかに参考になりました。
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この本は「給料はその人の市場価値によって決まる」という考えを、それなりのデータや調査、実例などに基づいて批判しています。
「市場価値」とは、その人の能力、経験、資格・学歴などによる、社会での有用性や希少価値ということ。あるいはその仕事(会社の事業、または職種)の重要性、つまり社会におけるニーズや貢献とも深く関わっている。それらが反映した「市場価値」によって給料が決まるのだと。
この考え方は、かなり一般的なものでしょう。著者のローゼンフェルドがアンケートで調べたところでも、労働者も経営者も学者も、多くはほぼ同じ考えを持っているとのことです。
しかし本書では「市場価値で給料が決まる」という考えに異をとなえます。
給料の額は、分配(誰がどれだけを取るか)を決める「権力の力学」によって左右される面がきわめて大きいというのです。
また、その権力的な意思決定に、組織内での「公平性」、同業他社や同じ職種の給料に影響を受ける「模倣」、先例の影響という「慣性」といった要素も作用していると述べています。
《本書の主張は、賃金や給与は組織内で決定され、そのプロセスは権力、公平性、模倣、慣性という四つの要素に影響されるというものである》(同書223ページ)
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市場的なメカニズムではなく、分配を決める権力の作用によって給料が決まるというのは、たしかに近年の格差拡大について、よく説明できます。
とくにアメリカで顕著な、経営トップや金融など一部の業界での異常なまでの高給、株主の利益の増大などは、まさに「権力」の問題として考えられるのでしょう。
以上について同書では(上記の引用に続いて)こんなふうに述べています。
《拡大する格差は、不利な立場にいる一般の労働者と優遇されるエリートを抱える組織内で、権力の移行が起きていることを反映している》(223ページ)
《賃金が技能やハードワークだけではなく、労働者にはコントロールできないもっと大きな権力の力学によって決められる》(233ぺージ)
また同書では「技能として同レベル、あるいは同じ職種なのに賃金が大きく異なる」ことが今のアメリカで広く存在していると指摘していますが、それは働く場所・職場のちがいによって生じているとのこと(206ページなど)。
私なりに補足すれば、職場のちがいとは「どの権力のもとに属するか」ということです。つまり、多くの給料を得るのに有利な権力に近い場所にいることが、高い給料を得るうえで重要ということになります。
なお、学歴や資格はそのような有利な立場を得るうえで(すべてではないにせよ)おおいに意味を持つわけです。
同書では《教育は給与を上げる要因ではなく、より高い給与を要求できるときに使える資源》などと述べています(211ページ)。
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そして本書の主張は、給料を労働市場(不完全なものでしかない)にまかせるのではなく、権力の力学に政治がもっと介入して、公平なあり方を実現すべきだという方向に向かっていきます。
それは本書の最後のほう――「第9章 公平な賃金を目指して」で述べられます。
《公平な経済のもとでは、働いた人が報われ、組織の収益から桁外れの分け前を持って逃げる人が存在しない。それを実現するためには、主に三つの変化の柱が必要だ。賃金の下限の引き上げ、ミドルクラスの拡大、(そういち注:給料の)天井の引き下げである》(225ページ)
これまで《政策立案者は「自由市場」の崩壊を恐れ、雇用主などの組織関係者――とくに株主――に格差問題を解決するように求めてはこなかった。代わりに、税引き後所得と所得移転に政策の焦点をあててきた》(225ページ)。つまり格差是正は、税制と福祉・社会保障がメインだった。しかし、多くの人びとの給料そのものを上げる政策がもっと必要だというのです。
以上の「給料はあなたの市場価値ではない。給料は経済における権力の力学で決まる」という論は、おそらくこれから有力になるのではないでしょうか。現在のいろんな格差の問題を説明できる面があるからです。
また、「ブルシット・ジョブ」(人や社会の役に立たない「クソみたいな仕事」、近年話題の概念)で高給取りが多くいること、あるいは日本の企業社会の「働かないオジさん」の高給のことなども、「権力の力学で給料が決まる」という視点で説明できるでしょう。
そして、思想的には「懸命に働いても生活が苦しい」「給料に不満がある」という人への救いにもなるはずです。
「給料が安いのは、自分の価値が低いからではない。自分のせいではないのだ」と考える論拠になるからです。
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しかし一方で「給料が権力の力学で決まる」という説は、反発も呼ぶはずです。非常な努力や高い能力によって高給を得ている人にとっては、自分を否定されているようにも感じられる話だからです。
また「給料が個人の取り組みを超えたところで決まるというのは、努力の否定につながるので、良くない」と思う人もいて当然です。
私も、そのような反発にはもっともなところがあると思います。
ただ、全体的な傾向や構造と、個々の事例は別次元のことだと考えるべきではないでしょうか?
たしかに、高い市場価値があるからこそ高い給料を得ている人はいると思います。個々人として努力することも大切はなずです。しかし、社会全体の構造という次元では、またちがう論理が成り立っているということも、あり得るのでは?
そして、じつは私自身は同書の主張に全面的に賛成ということでもありません。
「市場価値によって給料が決まる」という原理は、やはり社会に存在しているのではないか。
しかし、現代の経済・社会のあり方でそれが歪められて「権力の力学」の影響が非常に大きくなっている、ということではないか――そんなふうにも思いますし、その方向で研究する論者も(私は知りませんが)いるかもしれません。
ただ、いずれにせよ本書の著者ローゼンフェルドの提起した視点は、重要で興味深いものだと思います。
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また、ローゼンフェルドは自分の分析を「公平な経済」の実現に向けた政策の主張につなげていますが、彼の分析を受け入れながら別の方向に向かうことも考えられます。
つまり「給料が権力の力学で決まるなら、自分は権力の側へ行こう」と考えることです。
そのために有利な学歴や資格を身につけ、有利な業界や組織に入り、そこで権力の階段を上っていく――そういう方針も本書の論理から導き出せるはずです。
そして社会の現実を敏感に察知する人のなかに、このような「権力」をめざす人は少なからずいるはずです。たしかにそれもひとつの生き方ですし、そういう人がいていいとは思います。
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