そういちコラム

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戦前のエリート軍人は貧乏サラリーマンだった?・エリートをどう処遇するか

社会のなかでエリートとされる、高度の学歴や能力、権限を持つ人たちをどう処遇するか――これは重要な・むずかしい問題です。

エリートが極端に優遇される社会では、多数派の人たちの不満や無気力が強くなり、社会の活力と安定は損なわれるはずです。多くの発展途上国では、そういう状況がみられます。

しかし一方で、エリートたちが「自分たちは能力や努力、責任の重さの割には待遇が低くて報われない、尊敬も得られていない」と感じる社会は、それがある限度を超えると、いろんな歪みが生じるでしょう。

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「エリートへの低待遇」が社会に悪い影響をあたえた、典型的で大規模な事例として、私は戦前昭和の日本のエリート軍人のことを思い浮かべます。

昭和の戦争を主導したエリート軍人(将校を養成するエリート学校出身者)たちは、じつは戦前の格差社会のなかであえぐ「貧乏サラリーマン」でした。

戦前昭和の日本は、全体として貧しい格差社会でした。一部の富裕層(大地主・資本家)に富が集中し、貧困にあえぐ人たちが、農村にも都市にも多くいたわけです。

そのなかで、エリート軍人はエリートとして恵まれた生活をしていたのかというと、じつはそうでもなかった。

「貧乏サラリーマンとしての軍人」というのは、岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン』(講談社現代新書、現ちくま文庫)にあった言葉です。戦前のサラリーマンの暮らしについてミクロな情報を集めた本。

同書では軍人の俸給一覧表や陸軍中尉の妻の手記などから、当時の将校たちの暮らしのつつましさについて述べています。

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エリート軍人は、どのくらいの給料をもらっていたのか? 

陸軍将校の実態をくわしく研究した、広田照幸『陸軍将校の教育社会史(下)』(ちくま学芸文庫)によれば、1922年(大正11)の東京都における調査資料で陸軍将校の所得をほかの職業と比較すると、《中尉クラスで平均的な電車従業員・警察や職工と同等かやや良い程度》だったそうです。

そして、《会社員や銀行員のなかには大尉や少佐クラスよりも高給を得ていた者が少なからずいた》のです。

「貧乏」とはいえないにせよ、「高給取り」とはほど遠い。エリートとしての地位に見合わない「安月給」だったといえるでしょう。

また、広田さんの同書によれば、大正から昭和初期にかけて、陸軍士官学校出のエリートの多くはなかなか昇進できずに苦しんでいました。

これは、第一次世界大戦後の「平和」「軍縮」の時代のなかで軍備拡大によるポスト増が見込めないためです。

そこで「万年大尉、千年少佐」と呼ばれる中高年の大尉や少佐がごろごろしていた」といいます。

また、大正中期から昭和初期にかけて、物価がかなり上がったにもかかわらず、陸軍将校にはそれに見合うベースアップがありませんでした。そのことが、識者や有力者によって問題提起されることもありましたが、改善はすすみませんでした。

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一定の平和が続くなかで、大正~昭和初期の軍人が不遇だったことは、日本軍の歴史に詳しい研究者・戸部良一さんも指摘しています(『シリーズ日本の近代9 逆説の軍隊』中央公論社、現中公文庫)。

将校たちは、軍人を軽視する世間の風潮に傷つくこともあったといいます。

たとえば市電で、将校のマントや乗馬用の靴の拍車(馬の腹を蹴って加速するためのもの)が邪魔にされることがあった。軍服を着て街を歩くのを嫌がる将校もいた。

「戦前の日本では、軍人は尊敬されていた」と私たちは思いがちですが、必ずしもそうではなかったようです。

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貧乏サラリーマンで不遇だったことは、軍人の思想や行動に影響をあたえたにちがいありません。この点を戸部さんは、つぎのようにまとめています(私そういちが多少要約した)。

「社会から批判されて受けた心の傷が、その後の軍人を突き動かしたと考えるのは短絡的だろう。また軍人が生活上の不安を国防上の不安にすりかえて、五・一五事や二・二六事件というテロ事件や満洲事変を起こしたというのも短絡的すぎる」

「しかし、一部の軍人が大陸で冒険的な軍事行動を始めたり、強引な政治的介入を行ったりするのを、多くの軍人が黙認したり支持したりしたのには、以前に受けた心の痛手に一因がある」

以上をさらにかみくだくと、「不遇だったから、エリート軍人たちはテロや侵略的な軍事行動を起こした」というのは短絡的すぎるけど、軍人が不遇で、現状に不満を持っていたことは、戦争を後押しするひとつの要素だった――そんなところでしょうか。

満州事変以後、日本が戦争に突入すると、軍人の給与・待遇は大幅に改善されました。軍備拡大によって(組織が大きくなったので)、多くの将校が昇進しました。大手をふって軍服で街を歩くようにもなった。

しかし、軍人の待遇改善をもたらした戦争は、ご存じのように破滅的な結果となりました。

国家・国民にとってはもちろんですが、軍人自身にとってもそうでした。敗北した日本軍は、結局アメリカによって解体させられたのです。

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さて、「エリートの低待遇」の問題は、現代の日本でも、霞が関の官僚や、高度のモノやソフト製造にかかわる指導的な技術者や、あるいは厳しい医療現場のドクター等々、いろんな場所でみられるように思います。

そして現代の「エリート軍人」である自衛隊幹部については、給与待遇は私は知りませんが、「平和国家」のなかで「社会的な尊敬」に関して不満がある人もいるはずです。

現代の「エリートの低待遇」が、昭和の軍人の場合のように社会全体を数年ほどで崩壊させるような何かにつながるとは思いません(昭和の戦争にしても、軍人への低待遇はあくまで間接的な一要因にすぎません。あの戦争は、国際情勢、政治・社会の大きな要素が絡みあいながら生じたものです)。

でも「低待遇」を放置していると、社会にいろんな歪みやマイナスをもたらすでしょう(もう、ある程度もたらしているはず)。

不満を持ち・苦しむエリートは、「前線」「現場」を離れていくかもしれません。あるいは、日本社会に見切りをつけて外国へ行ってしまう。

また「こんな日本はまちがっている」という思いを強くして、ある種の過激な「社会改革」を支持することもあるはずです(昭和の軍人にもそういう人たちがいた)。

その「改革」は、もちろん創造的で前向きなものであることも、あり得るとは思います。

しかし、今の社会で根幹の価値とされる「民主主義」やそれを担う「大衆」を憎み、否定する方向の「改革」を志向するものであるかもしれない。そして、「民主主義」を憎悪するエリートが目立ち始める頃には、そんなエリートと自分を重ね合わせる多数派の人たちも増えているはず。

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エリートは、社会の重要な場所にいて、能力も高い。少数派であっても、その人たちがどう考え・動くかの影響は、やはり大きい。

私たちはもっと、「社会の前線で高度な能力を発揮して貢献している人たち、重い責任を負っている人たち」に好意的な関心を持つといいと思います。

民主的な大衆社会は、エリートに冷淡なところがあるので、そこは気をつけたほうがいいのではないか。

そして一方で、「社会にあまり貢献していないのに、不当に厚遇されている人」「責任ある地位にありながら、その職責を果たさない人」へは厳しい目を持つことです。

今の日本では、活力が落ちている社会の常として、そのへんの関心や評価がうまく成立していないように思います。

そもそも、ここでさかんに用いた「エリート」という言葉や存在を、多くの人は好きではないかもしれません。

しかし、「社会に貢献するエリート」が報われる社会は、じつは「エリートではないけど、頑張って周囲や社会に貢献している多くの人たち」も報われる社会だと思います。仕事への評価軸が健全な社会というのはそういうものです。エリートと庶民の処遇は、互いにつながっているはずです。

そして、私は残念ながら出世や成功とはまったく縁のないオジさんなので、だからこそ、こういう「エリートの処遇」について、離れた場所から冷静に言える感じもしています。

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