そういちコラム

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ビッグモーターと前社長にこれから起きることは?「許認可」に注目

昨日、ビッグモーターの不祥事(自動車保険の不正請求など)について、テレビのワイドショーで「創業者の前社長に対し、どのような責任追及が可能か」を解説していました。

私は会社員時代に、法務・コンプライアンス関係の部署にいたことがあったせいか、こういう企業の不祥事には関心があります。

ワイドショーで述べていたのは、要するに「“前社長への”責任追及には、いろいろむずかしい面がある」ということ。

たとえば「詐欺罪については、“詐欺による利益が前社長にどれだけ帰属するのか”などが不明確なので、立件がむずかしい」といったことを弁護士が述べていました。

民事上の請求も考えられますが、今回の不祥事で、支払いの責任をまず負うのは不正な行為をした社員もしくはビッグモーター(以下同社)という企業です。

ただし、同社が前社長に対し、会社が責任を負って支払った分について支払いを求めることも考えられます。しかし、同社の経営陣(前社長の忠実な部下)が前社長にそのような請求をすること自体、少なくとも当面は考えにくい。また、保険会社など社外からの前社長への請求もあり得ます。

しかしいずれにせよ、裁判で争った場合にそのような請求が認められるには、今回の不正・不祥事について前社長の責任が明らかになる必要がある。そこには相当なハードルがあるでしょう。

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では株主訴訟はどうか。今回のような不祥事があると、とくに上場企業のように多くの株主がいる企業の場合、前社長のような立場の経営者は、株主からの訴訟で巨額の損害賠償を求められる恐れがあります。「自らの責任で不祥事をひき起こし、会社の価値を大きく棄損して株主に損害を与えた」というわけです。

しかし、同社の場合、株主からの訴訟はあり得ません。同社の株式のすべては、前社長と息子(前副社長)が全ての株式を保有する資産管理会社が所有しているのです。

つまり「同社の株式はすべて前社長のもの」といっていい。これは「現経営陣の人事権を、前社長が法的に掌握している」ということでもある。

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しかし、この不祥事の行方の「本丸」は、こういう民事・刑事上の責任や株主訴訟のことではなく、行政法上の許認可の問題でしょう。

昨日、国交省が全国の同社の店舗(整備工場も併設)に対し、一斉に立ち入り検査を行っています。

自動車整備業は国交省の所管で、事業者に対する監督や許認可の権限が国交省にあるわけです(道路運送車両法などによる)。今後、同社の自動車整備業に関する許認可が取り消される可能性はかなりあるでしょう。

今回の同社の不祥事に対し、政府(行政)として「しっかり対処している」という姿勢を国民にみせようと、国交省はできるかぎりのことをするはずです。つまり「生ぬるい対応はしない」ということ。昨日の全国一斉立ち入り検査は、その姿勢のあらわれといえる。

自動車整備業に関する許認可が取り消されたら、自動車整備や車検の業務はできなくなるわけですが、それは同社にとって「本体である中古車販売の事業も、大きな困難に直面する」ということです。

中古車販売業は、仕入れた車をただ売っているのではなく、さまざまな整備をしたうえで売ることを前提としています。さらに整備業者として、中古車を買った顧客と車検などで継続的な関係を持つことも、大事な収益源です。

国交省が同社にどういう処分を下すか――それこそがこの不祥事の最大の焦点だと思います。

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また、同社は保険代理店の事業も行っているわけですが、こちらは金融庁の所管です(保険業法などによる)。そして、同社は金融庁からの追及も受けており、同社が代理店としての許認可を失う可能性は高いでしょう。

しかし、保険代理店の営業には、許認可以前に保険会社との代理店契約が必要です。同社と契約・取引する保険会社はもうないでしょうから、許認可を失う以前にすでに同社の保険代理店業は「終わった」といえる。

つまり、おもに行政による事業の許認可の取り消しによって、ビッグモーターは事業を継続できなくなる可能性がかなりあるわけです。

もちろん「顧客が離れることによる深刻な経営悪化」はあるわけですが、それだけではない。

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行政の許認可権というのは、企業にとっては恐ろしいものです。深刻な不祥事、とくに「組織ぐるみ」の不祥事が発覚したとき、その「恐ろしさ」があらわになる。

このあたりの理解や想像力が、前社長たち経営陣には欠けていたようです。

発展途上国なら、不祥事を起こした企業は役人や政治家を買収などで懐柔して対処できるかもしれません。しかし、日本では一般的な民間企業がその手を使うことは不可能です。それが「法治国家」ということです(でも、宗教法人が与党の政治家を懐柔して悪行を重ねたケースはあったわけですが)。

会社が必要な許認可を失って存続不能になれば、前社長は自分の最も重要な財産である「会社」を失うわけです。

それでも前社長の手元には相当な個人資産は残るのでしょう。しかし、人生のすべてを注いで築いてきた「自分の王国」はなくなってしまう。

さらに同社が負債(未払い賃金、取引先への支払い、金融機関からの借り入れなど)で「火だるま」状態になった場合には、追い詰められた同社から前社長らに何らかの「求償」の請求がなされるかもしれません(これには会社の所有者としての“人事権”を使って対抗する余地がある)……

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以上のように「行政上の許認可のことが、ビッグモーターの件では軸になる」と私は思います。

それは初歩的な話なのですが、まだマスコミなどの報道ではあまり言われていないようです。法的な問題というと、ふつうは民事(会社法含む)や刑事のことを連想するものだからでしょう。

しかしじつは許認可、つまり行政法上の問題というのは社会において非常に重要なのです。

じつは私は会社員時代に典型的な「許認可事業」といえる運輸関係の会社で、国交省(おもに地方運輸局)への許認可手続きや行政による監査への対応などを担当していたことがあります。最初に述べた法務・コンプライアンスの業務(こちらは民事・会社法が中心)を担当する以前の、ごく若い頃のことです。

私は法学部出身で、法というものについてある程度の素養やイメージはありました。しかし、国交省関係の仕事にはじめて触れたとき「行政法とその許認可の世界」についての認識はきわめて浅かったことを痛感しました。

そしてその後、行政法的な世界の意味について、まさに社会の現場から知ることになったのでした。

この経験は私にとって、今でも社会をみるうえで重要な一定の視点のもとになっています。

 

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