そういちコラム

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いつまでもいると思うな・高橋幸宏さんの言葉

「いつまでもいると思うな高橋幸宏」――これは先日(2023年1月11日に)亡くなったYMOの高橋幸宏さん自身が数年前に述べた言葉です。

2016年11月に、バンドMETAFIVEの一員として生出演した朝のワイドショー『スッキリ‼』で、高橋さんはそう言っていました(どんな文脈だったかは忘れた)。

高橋さんの訃報を伝えた今朝の『スッキリ‼』で、過去の出演のVTRが流れていましたが、この発言は取り上げられていませんでした。でも、2016年の放送をみた私は、印象的な言葉として記憶しています。

そして、自分が子どもの頃や若い頃に慣れ親しんだ有名人、あるいは大切な人が亡くなるたびに、この言葉――「いつまでもいると思うな(〇〇さん)」を思い出してきました。

昨年、今50代後半の私が子どもの頃からその活躍に接してきた、藤子不二雄Aさん、アントニオ猪木さん、アニソンの帝王・水木一郎さんが亡くなったときも、まさにそうでした。

しかし、まだ70歳の高橋さんが亡くなって「いつまでもいると思うな」と思い知らされることになるとは……

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私は音楽をそれほど聴かないのですが、YMOには若い頃から多少はなじんできました。YMOが登場し活躍した頃(70年代末~80年代初頭)、私は中学~高校時代。新しい音楽を新鮮な気持ちで受けとめることができました。

放課後に高校の放送部の部室に寄せてもらって(私は剣道部でした)レコードを聴くことがありましたが、そこでYMOのアルバムをはじめて聴いて「なんだかすごいなー」とワクワクしたのを思い出します。

あれから40年余り。かつて子どもだった私たちのスター、アイドル、神さまの訃報に接することが増えてきました。世代は移り変わっていくので、仕方のないことです。

「いつまでもいると思うな」というのは本当にそうなのです。何しろ自分自身だって「いつまでもこの世にいると思うな」ということなのですから。

今自分が生きていて、いろんな素晴らしい人や親しい人と同じ時代を共有しているのはありがたいことです。そして「それは有限なのだから大事にしないと」と思います。

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蛇足かもしれませんが、このブログのテーマである「歴史・世界史(ここでは現代史)」の観点から、高橋さんの参加したYMOについて少し述べます。

評論家のなかには「YMOという、欧米で(その創造性が、少なくとも一定の)評価を受けたバンドの登場は、日本経済が世界的に勢いがあり、“ジャパン・アズ・ナンバー1”とも言われた時代とシンクロしている」と述べている方がきっといるはずです。私もまさにそうだと思います。

そこをもう少し言えば「現代日本の起点となった時代に出てきた、その時代を代表する文化的スター(のひとり)」ということではないかと。

そして「その国の“現代”の起点に登場した音楽界のスター」という意味では、1960年代のイギリスにおけるビートルズとも似た位置を占めています。

しかしこれは「音楽性や音楽としての価値が同じだ」と言っているわけではないので、そこはくれぐれも。「ある社会の発展過程のなかで、文化の生態系において似たような位置づけができる」と言っているのです。

その意味で、YMOは「イギリスよりも20年遅れて、極東の新興国が先進国に転化する過程で登場した、日本の“ビートルズ”ともいえる存在」だったと、私は思っています。

「音楽をろくに知らない人間が何を言う」と笑われるかもしれません。

でも「歴史・社会という観点からはそのように言えるのでは」と考えます。

そして日本に限らず、それぞれの国にその国の「ビートルズ」にあたる何かが登場するということは、一般にあり得るはずです。

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