そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

ベンジャミン・フランクリン 近代社会を精いっぱい生きた最強の独学者 

1月17日は、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790、アメリカ)の誕生日です。

フランクリンは、ワシントン、ジェファーソンと並ぶアメリカ独立の功労者で、電気学などの科学研究や、さまざまな社会事業で活躍しました。哲学や社会科学の分野でも業績があります。

そして、アメリカでは最もおなじみの偉人の1人で、100ドル紙幣の肖像にもなっています。

しかし、日本では「凧をあげる実験で雷が電気であることを確かめた人」というイメージがあるくらいで、それ以上のことを知っている人は少ないかもしれません。

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フランクリンは、家庭の事情で10歳までしか学校に行けませんでした。しかし、本を読んで独学し、また印刷工(最初は丁稚奉公)として働くなかで、仕事で扱う活字の文書を読むなどして勉強を続けました。

なお、当時の印刷業というのは、現代でいえばITのような先端的な産業で、「情報産業」の元祖ともいえるでしょう。

そして、学校にほとんど行くことができなかったフランクリンですが、それでもごく若い頃から文章を書いています。16歳のとき、大人の著者のふりをして地元の新聞に投稿したエッセイが好評を博したり、20歳のころには哲学書を(ごく少部数ですが)自費出版したりしているのです。

その一方、印刷工としての仕事にもおおいに励み、やがて独立して印刷業者として成功し、かなりの財を成しました。また、しっかり稼ぐ一方、堅実な暮らしで蓄財にも励みました。

「時は金なり」ということわざは、フランクリンの作だとされています。

商売や蓄財が上手だった彼を、「拝金主義者」という人がいます。

しかし、フランクリンは、働かなくても食うに困らないだけの資産を築くと、40代で事業から手をひき、好きな科学の研究に没頭しています。とくに電気学の分野では、世界的な権威になっています。

また、大学や病院の設立、郵便制度の改革などの社会事業でも活躍しました。そして、晩年のアメリカ独立の際には、外交の仕事などで大きな役割を果たしたのです。

お金のことを気にしなくてよかった彼は、どの仕事も自分の信念に沿って、思いきり取り組むことができました。彼は、お金を「自立して自由に生きる」ための手段と考えました。

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フランクリンは、1700年代のアメリカで成立していた(初期の)近代社会を精いっぱい生きた、成功者の典型です。典型的な「近代人」といってもいいです。そして「最強の独学者」といえるでしょう(「近代社会を精いっぱい生きた」というフランクリンについての表現は、板倉聖宣『フランクリン』仮説社による)。

私たちが生きている社会(現代の先進国)もまた、近代社会です。フランクリンが知恵と努力で成功していく様子は、「近代社会を生きるうえで大切なこと」や、そもそも「近代社会とはどういう社会か」ということを、生き生きと教えてくれると、私は思います。

民主主義、自由、個人主義、資本主義の経済活動といった、近代社会で重要とされる事柄を否定する傾向も強くなっている今、私たちはフランクリンについて知っておいたほうがいいと思っています。

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フランクリンについては、多くの語るべきことがあると思います。

ここでは、フランクリンのエピソードのなかで「いかにもフランクリンらしい、歴史的にも重要な功績」といえる活動をひとつご紹介します。

それは「世界初の公共図書館(誰にもオープンな図書館)の創設」です。

フランクリンが20代半ばの若者だった1730年代の初め、アメリカのフィラデルフィアでのこと。彼と仲間の青年たちは、定期的に集まって勉強会をひらいていました。

そして、その勉強会に集まる勉強熱心な青年たちは、もっと本を読みたいと思っていました。しかし、当時の本は高価で、なかなか買えません。買うのに手間もかかりました。

当時のアメリカには、大きな町でも専門の本屋はありません(本は、文具店や雑貨店などで片手間に取り扱っていた)。

そこで、フランクリンたちは勉強会の仲間で蔵書を持ち寄って図書館をつくろうと考え、実行しました。当時はまだ一般の人が利用できる公共図書館というものはありません。

しかし、フランクリンたちが当初行った、この「本を持ち寄る」というやり方はうまくいきませんでした。各人がなくしていいようなダメな本ばかり持ち込んだからです。

たまに良い本が持ち込まれても、誰かが借りたまま返さないで、なくなってしまうなどということもありました。こういうことが何度かくりかえされると、良い本が集まらなくなってしまいます。

そこで、フランクリンたちは図書館を「おおぜいから小口の資金を〈会費〉として集めて基金をつくり、それで本を買う」方式に切り替えました。会費を払った人でなくても、その都度料金を支払えば図書館を利用できました。

すると、蔵書は充実して会員も増えていき、図書館は大成功。

最初の「持ち寄り方式」がうまくいくには、「自分の大事な本をみんなに差し出す」という自己犠牲が必要でした。しかし会費制だと、各人に無理を強いることなく、全体の利益を実現できます。そこがポイントだったのです。

フランクリンは、その後もさまざまな公益事業で活躍していきますが、この図書館のような、みんなの利益をはかるしくみづくりがたいへん上手でした。

このとき設立されたフィラデルフィア図書館は、世界初の公共的な(誰もが利用可能な)図書館で、今も活動を続けています。それまでの図書館は、王侯貴族などの私的な本のコレクションであり、一般の人が利用できるものではありませんでした。

なお、フランクリンたちが「図書館をつくろう」と動き始めた当初、町の人の反応は冷たいものでした。リーダーのフランクリンはまだ20代の若者だったので、なかなか信用してもらえません。

図書館が実現したのは、フランクリンたちが多くの人への働きかけを粘り強く続けた結果です。

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どうでしょうか。こうしたフランクリンの活動は、今では「社会起業」などともいわれるもので、現代的な観点としても興味深いものだと思いませんか?

フランクリンについては、私の別ブログ「そういち総研」(はてなブログ、世界史専門で長文中心)で1万数千文字の記事を書いているので、詳しくはこちらで。


参考文献 『フランクリン自伝』ほか

フィラデルフィア図書館について、とくに参照(松野修さん執筆の章)

初心者にもわかりやすい、すぐれた伝記