そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

2022年の世界と日本と当ブログをふり返る・「生き残りたい」

2022年最後の更新です。今年の世界・日本の出来事をふり返りながら、その出来事についての当ブログの記事を紹介します。そこで「当ブログの2022年のふり返り」でもあります。

もくじ

ロシアによるウクライナ侵攻

まず「最大の衝撃」といえるのが、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻(ウクライナ戦争)でしょう。

このブログは世界史や社会のことをメインのテーマにしているので、当然ながらいくつか関連の記事をアップしました。

そして、泥沼化の様相を帯びてきたところで「この戦争の今のところの経緯は、かつての“満州事変→日中戦争”に似たところがある」と私は考えるようになりました。

つまり、2つの戦争のあいだには以下のような「相似」があると思うのです。

・どちらも、「軍事大国ではあるが、経済・産業は今ひとつ」という国が、自分たちの「ブロック(支配圏)」をつくろうと始めた。
・最初は、侵略を受ける国の周辺的な地域(満州、クリミア)で侵略が始まり、その後数年を経て、中核地域あるいは国全体への侵攻へと拡大した。
・そして、侵略側は相手を過小評価して「すぐに制圧できる」とふんでいたが、予想外の激しい抵抗にあい、戦争は泥沼化していった……

このほかにも似た点はあります。詳しくは以下のリンクの記事で。

ウクライナの歴史について簡単にまとめた記事

日中戦争の泥沼化は、結局のところ日本とアメリカの戦争(太平洋戦争)へと展開していきました。

のちに日本に対し強硬な経済制裁(とくに石油禁輸措置)を米英がとるようになって日本は追い詰められ、「日中戦争を続けるために東南アジアの資源をおさえる」「そのために脅威となる太平洋方面の米軍をたたいておく」という考えから真珠湾攻撃に踏み切ったのです。

いわば「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」かたちで破局的な大戦になったわけです。

今後ロシアが追い詰められることによって、かつての日本のような破滅的暴挙(核の使用など)に出ないか、とにかく心配です。

安倍元首相殺害

日本の出来事での「最大の衝撃」といえば、安倍元首相の銃撃・殺害事件(7月8日)だったのではないでしょうか。

下記のリンクの記事は、事件直後の、犯人像やその背景などがまったくわからなかった時点のものです。だから、つぎのように抽象的に論評することしかできませんでした。

《今回の事件が戦前のテロのような政治的・組織的なものであろうとなかろうと、どんな性格のものであっても、とにかくマイナスのエネルギーの噴出です。そしてそのエネルギーの噴出が「社会体制に脅威をあたえる暴力」であったという意味で、この事件は「テロ」といえます。それを今回はおさえることができなかった。このことは何らかの状況を示しているように思うのです。
それを抽象的にたとえると「“病気の種”の発生頻度が高まり、かつそれをおさえ込む免疫力が低下している」といえる気がします》
(当ブログ7月8日記事)

以上は抽象的ではあっても「基本的にはまちがっていない」と、今も思います。しかし、その後明らかになった事件の背景は、想像を絶するものでした。

まさに社会の「病気の種(病原体やがん細胞)」といえるような悪質なカルト宗教が日本社会に深く入り込んでいたことが、この事件の背景にあったというわけです。

しかも、その「病気の種」から本来社会を防衛すべき役割を担う、政権与党の数多くの政治家たちにその「病気の種」は深く食い込んでいた。

さらに驚くのは、その政権与党は「保守」という「日本としての愛国、国粋を掲げる立場」なのに、そのカルトは「反日」を教義の核に据えている、ということです。「現実は想像を超えるものだ」としみじみ思います。

そして、これこそまさに「“病気の種”の発生頻度が高まり、かつそれをおさえ込む免疫力が低下している」ということです。この問題は「2022年のトピック」で終わるべきものではないでしょう。

中国における新型コロナ対策

つぎは、新型コロナウイルス感染症のことです。日本でのこともいくつかあるのですが、私はとくに中国の感染症対策のことが印象的でした。

そこには「強権的な独裁政権が支配する国(専制国家)というものは、こういうものなのだ」ということが強烈に示されていると思います。

やや忘れられている感もありますが、「ゼロコロナ」を始める前の2020年初頭(新型コロナの感染拡大の初期)には、中国当局は新型コロナの問題を、権力にとって「不都合な事実」として隠ぺいしようとしました。

たとえば、武漢の李文亮さんという眼科医の件がありました。2019年12月、李医師は通常とは異なる肺炎が流行しつつあると気がついて、それをネット上に書き込んだ。

そしてそれがネット上に拡散すると、李医師は勤務先の病院から懲戒処分を受け、さらに警察に呼び出されて「このようなデマを今後は広めない」という書面にサインさせられたりしたのです。

専制国家では、「深刻な感染症の拡大」のような不都合な事実が隠ぺいされ、権力者にまで届かない傾向があります。臣下たちはそんな「聞きたくない話」を権力者に伝えて、不興を買うのを恐れます。

あるいは独裁者がその不都合な事実を知ったとしても、それを公認しないこともある。「今までの話との整合性」を非常に気にするからです。

専制国家では「指導者は超人・神なので絶対まちがえない」ということになっているので、そうなります。

しかし2020年1月下旬に、習近平国家主席が「新型肺炎」に関し「時機を逃さず情報を公開すべき」「党の指導を強化すべき」などの指示を出したことで、中国は大きく方向転換しました。

最高権力者のその一声で、当局の発表する新型肺炎感染者の数が急増したりしたのです(今まで隠していたわけです)。

その後中国は「ゼロコロナ(国民への行動制限などによるコロナの徹底的なおさえ込み)」へ大きく舵を切っていきました。

***

その政策は、ご存じのとおり一定の成果をあげたわけです。

しかし2年半以上も続けた結果、経済へのダメージや国民の不満など、いろんな問題がおさえきれなくなった。このため2022年12月初旬に、これまでの新型コロナへの対策を大幅に緩和することが政府によって打ち出された。

そして今度は爆発的に感染者が増えて、その数は国全体で1日に百万人を超えている可能性も十分にある(と海外の専門家は推測する)のに、中国当局の発表は「数千人」だったりする――そんな状況になりました。

また2020年の初頭の頃のような「不都合な事実」をおさえ込むスタンスに立ち返ったわけです。つくづく「ものすごい」国だと思います。

これから何か月か以上して、コロナがある程度鎮静化したとしたら、「共産党の(習近平の)指導はやはり正しく素晴らしかった」と喧伝されるようになるのでしょう。

でも、想像をはるかに超えて被害が深刻化していったら?――それは(日本や世界にとっても)ほんとうに恐ろしいことですが、今は考えたくないのでここらへんで止めておきます。

以下の記事は、そんな中国の独裁的な社会構造と、日本の社会構造(権力がさまざまな中間的団体に分散する「団体構造」)とを比較して論じたものです。

防衛費増額・物価上昇――これまでのパターンが終わる?

そして今年は日本の政治・経済において、この30年くらいの(冷戦終結とバブル崩壊以後の)「決まったパターン」がいよいよ崩れる兆しが、顕著になってきた年でもありました。

「防衛費の大幅な増額(倍増)の方針を政権が打ち出した」「燃料・原材料費の世界的な高騰(ウクライナ戦争の影響もある)、円安の影響による物価上昇」は、まさにそうでした。この30年くらい慣れ親しんだパターンや枠組みが終わるかもしれない、という兆しです。

「冷戦が終わって世界大戦のリスクは明らかに遠のいた」
「唯一の超大国となったアメリカの軍事力の傘のもとで、東アジアは(どうにか)安定を保っている」
「物価は上がらない(給料も上がらないけど)」
「品質の悪くない、いろんなものが手ごろな値段で手に入る」

そのようなことについて「これはいつまでも続かないのではないか」と思えるようになってきた……でもそれは困る、そうなってほしくないわけですが。

以下は、防衛費の増額に関して、その必要性についてはある程度納得しながらも「はたして増やした予算を適切に使えるのか?」という問題意識を述べた記事。それと、物価全般のことではありませんが、「本が高くなってきた」ことを論じた記事。

今年亡くなった人・いつまでもいると思うな

ほかにもいろんな事件・出来事がありましたが、このくらいにしておきます。今年亡くなった方については、エリザベス2世(9月8日没)とゴルバチョフ元大統領(8月30日没)についての記事などがあります。

エリザベス女王はまさにそうですが、誰であっても「いつまでもいると思うな」ということですね。

今50代後半の私にとって子どもの頃からその活躍に慣れ親しんできた藤子不二雄Aさん(4月7日没)、アントニオ猪木さん(10月1日没)、アニソンの帝王・水木一郎さん(12月6日没)の訃報に接したときも「いつまでもいると思うな」という言葉が頭をよぎりました。時や世代は移り変わっていくものだと。

「シン・ウルトラマン」と社会の変化の減速

あとは2022年に観た映画、読んだ本についての記事。その中からとくに反響があったものを。

映画「シン・ウルトラマン」を、ウルトラマン世代のオジさんの私は、おおいに楽しんで観ました。

その感想のなかで「ウルトラマンのような50年以上前のコンテンツの基本設計が今も通用するのは“社会の変化がゆっくりになっている”ことを示しているのではないか」と論じました。

すると、はてなブックマークやフェイスブック上の拡散力のある方の影響で、1000単位のアクセスがありました。批判的な反響も多々ある一方、強い賛同もありました。

これに関連して「技術革新全般の近年における減速」について論じた記事もアップしましたが、こちらも1000余りのアクセスがありました。

「社会の変化がゆっくりになっている」というテーマは、その主張に賛成するかどうかはともかく、「ざわつく」感じがするようです。

私としては「その問題提起が、ある“核心”を突いているからだ」と思っています。今後とも掘り下げていきたいテーマです。

小熊『論文の書き方』 魚豊『チ。』 レジー『ファスト教養』

読んだ本の紹介・解説では、つぎの3つを。まず、小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』についての記事は、何百というはてなブックマークを頂いて、数千のアクセスがありました。

このテーマについてのしっかりとした知的な本(この本はまさにそう)への関心・需要は大きいのですね。

また、架空の中世を舞台に地動説への弾圧とそれに抵抗する人びとを描いたマンガ・魚豊(うおと)作『チ。』についての記事。現代のマンガは、ほんとうにいろんなテーマを描くようになりました。

このマンガは基本的に史実とは全く異なる物語が展開していきますが、じつは地動説の史実のなかにある「真実」がしっかりと描かれている――そんなことをコペルニクスについての史実をもとに述べています。

拡散力のある方がツイッターで紹介してくださったほかに、グーグルでも比較的検索されるようになり、私のブログのなかでは数か月にわたって検索の上位にありました。

そして、レジー『ファスト教養』についての記事。

今年になって私は「コスパ」ならぬ「タイパ」(時間対効果)という言葉を知りました。「ファスト教養」はこの本の著者レジーさんによる造語で、タイパや出世を強く意識した教養に対する近年の傾向をあらわすものです。

この本は「ファスト教養」を上から目線で批判・糾弾するのではなく、それに一定の理解を示し「煮え切らない」ところを残しながら、「生き方」「学び」について真剣に考えるものになっています。

この記事は、著者のレジーさんがツイッターで好意的に紹介してくださったこともあり、私のブログとしては多くのアクセスがありました。

サッカーワールドカップ

うーん、あんまり明るい話題が出てないですね。何か明るい話題はなかったかと考えたら、サッカーのワールドカップ(カタール大会)がありましたね。

日本代表の試合だけでなく、決勝戦のアルゼンチン対フランスの名勝負など、たしかに観ていて楽しかった。眠くてもライブで観た甲斐がありました。

私などまさに「にわか」なんですが、それでもほんのひとときでも、暗いことやイヤなことを忘れ、元気な気持ちになる。

「それが現実の問題を覆い隠している」というのも一理あるとは思いますが、「まあそう言わないで」と私は思います。

以上の主旨とは別の視点ですが、サッカーワールドカップについての記事。

さいごに・「生き残りたい」

今日の午前中に、ウクライナのことを特集したNHKの番組を観ていました。

そのなかで、激戦だった都市のあるアパートの壁に「生き残りたい」と大きく書かれているのを映していました。

私たちの国では、切実に文字どおり「生き残りたい!」と叫ぶ状況の人は(いるとは思いますが)限られるでしょう。

でも「生き残りたい」を比喩的にとらえて「今の暮らしを守りたい」「自分の願うように生きたい」などの切実な想いだと解釈すれば、「生き残りたい」という言葉は、私たちにとっても無縁ではないように思います。

私もそのよう意味で、なんとか来年も生き残りたいと思います。それではまた来年もお会いしましょう!