さきほどまで16時頃から3時間くらい、まだ続いているフジテレビの記者会見の放送をみていました。
私がとくに感じたのは、「この社会では、“ほんとうの権力者”は、きわめて稀な存在である」ということです。
つまり、真の意味で「自分だけが自分の主人であり、誰かに自分を委ねる必要がない人間」は滅多にいないのだと。
この会見で説明していたメディアグループの社長・会長を含む経営幹部の人たちは、何かを恐れている感じがしました。つまり、自分たちの実質上の「上司」にあたる「相談役」をです。その相談役(会見には欠席)の責任や進退についての質問になると、ほんとうにぎこちなくなる。
この方たちは、真の意味でのリーダーや経営者ではなく、「真の経営者」から任命された「管理者」「中間管理職」なのだと、はっきりと思いました。つまり、「上位の誰かに身をゆだねている」人たちだと。
これに対し相談役は、「ほんとうの権力者」であり「自分自身だけが自分の主人である」といえるでしょう。
***
また、つぎのようなこともありました。それは、「第三者委員会」にかかわる発言です。
これまでも、そして今回の会見でもフジ側が否定している「トラブルがあった際の会食に対する社員の関与」ということについて、第三者委員会の調査によって関与が明らかになったとしたら、それを受け入れる覚悟はあるのかという質問がありました。
これに対し、受け入れるつもりだ、というニュアンスの回答があったのです。
この発言について「本気でそう思っているのか?」と感じる人もいると思います。
私は、「本気だ」と思います。「第三者委員会の調査結果は、厳しいことであっても受け入れる」ということは、この会見に出席した経営層の人たちのホンネとしてあるのではないかと思っています。
しかし、それはこの回答者たちの「誠意」を示す面もあるかもしれませんが、そればかりではないはずです。
この人たちは、自分たちで主体的に厳しい真実を明らかにすることは恐ろしくて嫌だが、第三者委員会が明らかにしたことなら、それが自分や会社にとってきわめて不利益となる内容であっても受け入れていい、と思っているのはないか。
パンドラの箱を自分で開けるのは自分には重すぎるが、第三者委員会のような、外部の特別な権威が開けるならいっそ気が楽だ、というわけです。
このような心理は、「管理者」「中間管理職」的なものです(私は企業で中間管理職をしてきたせいか、こういう気持ちは想像がつきます)。
有名な大企業で最高の地位にある人でさえ、こういうことがあるのではないか。
くり返しになりますが、「管理者」「中間管理職」的な心理とは、自分よりも上位にある何かに自分をゆだねる感覚です。
何万人の部下がいたとしても、このような感覚がある人は、ほんとうの権力者ではありません。
「管理者」「中間管理職」的なメンタリティが、きわめて地位の高いトップリーダー層にまで根をおろしているというのは、ほかの国にもあることですが、日本社会ではとくに顕著なように思います。
「メンタリティが中間管理職的なトップリーダー」の有名な事例としては、第二次大戦のときのわが国の首相や閣僚、軍の指導者があげられるでしょう。彼らは、天皇の「聖断」がなければ、大戦争を始めたり終わらせたりできなかったのです。
また、第三者委員会は、外部からの超越的な権威という意味で、GHQのようなものかもしれません。いずれにしても、スケールは全然ちがいますが……
***
この会見は、大企業の社長、会長という名の「管理者」「中間管理職」による会見です。
そして、「管理者」にとって何よりも優先すべきは、社会のなかの普遍性のある価値(たとえば人権)よりも、自分に高い地位をあたえてくれる「誰か」や「体制」なのではないか。
会見はまだ続いています。この人たちは、自分の上位にある誰かを守る、自社の現体制の根本を守るという任務を果たし切ることができるのか……
今のところ、少なくともこの会見においては、かなり頑張って「使命」をまっとうされているようです。ときには手ごたえや自信を感じている様子さえあるようにも思います。
しかし、それでほんとうに「現体制」をこれからも守り切れるのかどうかは、わからないでしょう。だがしかし、守り切れるかどうかも、最終的には「どうでもいい」と思っているかもしれません。「中間管理職」には、やはりそういう面があると思います。
そして、中間管理職のメンタリティで運営される傾向というのは、この会社あるいは企業レベルにかぎったことではなく、日本社会全体のレベルでもあてはまるのではないでしょうか。
