そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

なつかしいFIRE(経済的独立による早期リタイア)というテーマについての経験談

「若いうちに資産形成をして、早期リタイアをしよう」という、FIRE(ファイア)といわれる考え方・ムーブメントがあります。

この記事では、FIREに関する私の経験を述べます。基本的に「FIREのすすめ」といえる内容です。

FIRE(ファイア)は、Financial Independence, Retire Earlyの略。直訳すれば「経済的独立による早期リタイア」ということか。

たしかに本屋さんでも近頃このテーマの関連本をみかけたことがあるし、テレビのワイドショー(去年7月の番組)で取り上げられていたのも覚えています(当時、番組をみながらメモをとった)。

その番組では、FIREを達成したというある男性(30代)が紹介されていました。

この人は大手企業に勤めていたのですが、給与の大部分を株などへの投資につぎ込んで、30才頃には7000万円の資産を形成して会社を辞めた。今は株式からの配当・利益をメインの収入にして暮らしている。そして、毎日自由時間を楽しんでいるのだそうです。

FIREのポイントは、貯金を取り崩して暮らすのではなく、資産を運用し続けながら、資産から生ずる運用益で生活するということです。それで、資産は目減りしないで長期にわたって維持される(はず)。

番組のコメンテーターの1人である30代の女性弁護士は、「これは、私たちの上の世代の価値観とは異なる、新しい生き方のひとつなのでは」みたいなことを言っていました。

たしかに、この女性の「上の世代」にあたる50~60代のオジさんのコメンテーターは、FIREには冷淡でした。

天気予報士の俳優さんは「人生で時間とお金と名誉のすべてを得るのはむずかしいものだ」などと、やや皮肉な笑いを浮かべつつ言っていました。

もう一人の、局の社員のコメンテーターは「数千万円の資産では安泰とはいえず、リスクが大きいのではないか」「資産よりも稼ぐ力が大事」と指摘。

番組のボードによる説明でも、経済評論家に取材して「株式の値下がりリスク」について述べていました。

要するに、オジさんたちに言わせれば「人生そんなに甘くないよ」ということです。うーんごもっとも。

でもたしかに、社会の最前線で活躍する、成功者といえるこの中年男性たちがFIREを「いいね」と素直に賞賛するとは思えません。これまで長年にわたって忙しく働いて、地位やお金を得てきた自分の人生を否定する感じになってしまいますから。

***

しかし私は、FIREについては「いいじゃない、やりたい人はめざしたらいいと思うよ!」と言いたいです。

それは、私が20年ほど前の30代の頃(2000年代初頭)、真剣にFIREをめざしていたからです。

そして、ある程度目標を達成し、40過ぎで会社を辞めて、以後本格的な就職をせず今日に至っています。ただし、私の若い頃はFIREという言葉はなく、「経済的独立(フィナンシャル・インデペンデンス)」などと言ってました。

だから、FIREというテーマは、私にとってはなつかしいものです。

以下、50代後半のオジさんによる「そんなの、オレは若い頃にもうやってたよ」的な話になります。

そういうオヤジの自慢話ともとれるかもしれせんが、じつは失敗や挫折の話でもあります。

***

私は20年余り前に1歳年下の妻と結婚したのですが、新婚当初から2人で「若いうちに経済的独立をする」という目標を共有するようになりました。

しっかり働いて、できるだけ貯蓄して、それを運用して増やして、まずは1億円くらいの資産を築こう。そうすれば、会社を辞めても生きていけるのでは、という見通しを持っていたのです。

このような「経済的独立」の考え方については、90年代末~2000年頃の当時、すでに関連書籍なども出ていました。

私たちは、共稼ぎで子どもはいませんでした(今も夫婦2人です)。私は同年代ではわりと給料をもらっていたほうで、妻も正社員でしたので、質素に暮らして貯金に励むと、結構貯めることができました。

そこで30代の数年間、2人の年収の半分ほどを貯蓄し続けました。同じ年代の平均的なサラリーマンの年収くらい貯金した年もありました。

そして、その貯蓄のほとんどは、投資信託のファンド購入(株式が投資対象)にあてました。一定の割合ではなく、思い切ってほぼ全部を投資に回したのです。

2000年代初頭は、株価は低迷し「どん底」な状態でしたが、その後上昇に転じ、私の買ったファンドも順調に値上がりして、運用益をあげることができました。

そうやって、数年で私たち夫婦には、数千万円の資産ができました。私たちの生活レベルなら、20年暮らせるくらいの額です。

***

そして40才過ぎで私は会社を辞めました。妻は、別の事情や考えもあって、一足先に会社を辞めていました。

ただ、そのままリタイア生活に入ったのかというと、そうではありません。私はその数千万円を元手に、協力者やお仲間と会社を始めてしまったのです。妻にも手伝ってもらいました。

会社を「始めてしまった」と書きましたが、この会社経営が失敗におわったので、そういう書き方です。どんな会社で、どんな顛末だったかは話の本筋とは別なので、今回は省略。

3年ほどで会社経営から撤退したとき、私は借金こそなかったもものの、資産の大半を失っていました。ほぼ、丸裸です。

ただし、いくらか蓄えも残っていて、たちまち生活に窮するという状態でもありませんでした。落ち込んだり、ふてくされたりで、私は3年あまり働かずブラブラしていました。おもに好きな本を読んだり、発表のあてもない文章を書いたりしていました。

一方で妻はパートの仕事を始め、さらに今も続けている自分の書道教室も開設しました。妻は、会社員時代から趣味で書道を習っていて、師匠の先生のすすめもあって、教えることを始めたのです。

私もずっとブラブラしているわけにもいきません。何か仕事を、と考えて模索するようになり、運よくキャリア・カウンセラーとして、ある組織でパートの職を得ることができました。

***

このカウンセラーの仕事での給与は、会社員時代の何分の一かでしたが、質素に暮らせば、なんとかなりました。

そして、1日6~7時間ほどの勤務で、残業はなく、土日は完全に休みで時間的余裕があるのが、私にはありがたいことでした。仕事の内容も、やりがいや興味深いことが多々ありました。

カウンセラーの仕事をしながら、たくさんある余暇を使って、私は読んだり書いたりを続けました。ブログも始めました(このブログ以前のものです)。ブログをみた出版社から声をかけていただき、ライフワークである世界史関連の本を出版したりもしました。

一方、妻は何年かかけて書道教室を軌道にのせることができました。ただし、それでも教室の利益はかぎられるので、短時間のパートの仕事も続けています。

あと、ファンドでの資産運用は、会社を辞めてからもずっと続けていました。そして、長期的にはそれなりの利益を生み、その運用益は、妻が物件を借りて書道教室を本格的に始めるときの原資になったともいえるでしょう。

***

そして、キャリア・カウンセラーとしての仕事を私は9年弱続けて、去年の春辞めてしまいました。

とにかく、まだ元気なうちに読んだり書いたりすることに、さらに打ち込む時間がほしいと思ったのです。今は、教室とパートで毎日フルに働いている妻の収入と、貯金を取り崩すことで暮らしています。

結局、私は悠々自適の経済的独立にはまったくたどりつけていません。

これからいくらかのあいだは、お金にならなくても好きなことをしていられるとは思いますが、また仕事をみつけないといけなくなる可能性はおおいにあります。

そして「読んだり書いたりをする」とは言っていますが、この数年新しい本も出せていません。でも書くことはたしかにできています。今日も朝から発表のあてのない原稿を書いていました(これを何とか完成させたい……)。

20年ほど前に経済的独立をめざして歩みはじめて、たどりついたのはこんな状態。老後は大丈夫だろうか……

***

うーん、これは「失敗」だったのでしょうか?

たしかに「成功」という感じではないですね。

でも、あまり好きではなかった会社での仕事をせず、破たんしないで十数年間生きていくことはできました。制約はあれど気に入った家に住んで、わりと好きなものを食べ、関心のある本をたいだい買って読むこともできた。

カウントすると、会社を辞めてからの16年のうち、その半分近い7~8年はやりたくて始めた起業の仕事をするか、まったく仕事をせず好き勝手に暮らしていました。パートのカウンセラーをしていたときも、1日6~7時間の労働です。

妻もパートの仕事は、半日ほどの勤務。あとは、自分がつくった書道教室の仕事をしているので、本格的な勤めの仕事で朝から晩までというのではありません(それでも、2つの仕事をこなすのはやはり忙しいと思います)。

つまり、私も妻も40代から50代にかけての、多くの人がいろんなものを背負って多忙な時期に、そんなにたくさん働かないで、好きなことに多くの時間を割くことができたのです。

妻にいわせれば「まあ、あんたはそうだけど」ということになるのですが。

***

こんなわがままな生活を私が送ることができたのは、30代に貯めた資産と、40才頃の会社を辞めるという選択のおかげです。その頃の蓄積や決断のおつりで、十数年生きていたのです。

ワイドショーのコメンテーターが言っていたように、数千万円くらいの資産では、一生安泰というわけにはおそらくいきません。

でも、暮らしぶりや子どもがいるかどうかなどの家族の事情にもよりますが、10年から20年くらいは大丈夫です。

働きざかりのうちの10年20年、朝から晩まで会社で働かなくてもいい、好きなことをしていられるって、すごいことです。

そして、資産ができて会社を辞めたからって、それっきりずっと何にも仕事をしない、ということもじつは少ないのではないでしょうか。

会社勤めのときとはちがうかたちでも、なんらかの仕事をみつけたり、つくり出したりしてまた働き始めることは結構あると思うのです。

そういう、新しい展開を模索するだけの時間を、数千万円の資産は与えてくれます。人生の選択肢や自由を、大幅に拡大してくれるのです。

***

FIRE(ファイア)をめざすというのは、いろんな恵まれた条件(給与のいい会社に勤めているとか)が揃っていないと、なかなかできないことです。そんなこと、まったく考えられないという暮らしの人は当然いるわけで、それが世の中の多数派でしょう。

でも、もしも幸いにも「経済的独立というのは頑張れば自分にできそうだ、できたらいいな」というのであれば、とくに若い人はめざしたらいいと思います。

それで失うものがどれだけあるか?

途中で挫折しても、何百万円か千万円単位の資産ができます。中途半端な資産形成で会社を辞めても、10年は働かないで大丈夫なのです。

10年のあいだにつぎの展開を何とかするのは、そんなに無理な話ではないでしょう。

もちろん「お金は貯めたけど、仕事は辞めない」という選択もできるわけです。すると、ある種の「余裕」のある状態で、会社勤めなどの仕事を続けることができます。

そんなわけで、FIREという目標について真剣に取り組んだことのない、実行したことのない先輩方のもっともらしいアドバイスは、あまり間に受けないほうがいいと思うのです。

でもまあ、今の私の(上記のような)状況では、説得力はあまりないでしょう。もちろん、それが常識的だと思います。

だから結局この記事は「FIREのすすめ」にはなっていないのでしょうが、それでいいのです。

 

関連記事

私そういちの世界史の概説・入門書

一気にわかる世界史