そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

プチ富裕層とのつき合い方・「プチ文化人」というポジション

この社会には「プチ富裕層」という人たちが存在します。一般的な定義はありませんが、ここでは「金融資産が数千万円~数億円」の人たちとします。大金持ちではないが、相当な経済力の人たち。

2019年の野村総研の推計によれば、金融資産5000万円~5億円の世帯数(野村総研の分類だと「準富裕層」と「富裕層」の合計)は約466万世帯にのぼります。

「どうしたらプチ富裕層になれるか」に関心がある人は多いでしょう。でも私は「富裕ではない立場で、プチ富裕層とどうつき合うか」に関心があります。

***

466万世帯のプチ富裕層――これは、2019年の日本の総世帯数5180万のうちの約9%、つまり1割弱。相当な割合です。

そこには(中高年が多いとはいえ)さまざまな年齢・職業・価値観・ライフスタイルの人たちが含まれます。明確な姿を持った社会集団とはいえないでしょう。共通項は「それなりゆとりがある」ということくらい。

しかし、この人たちは確かに存在します。そしてこれだけいれば、誰もが彼らと日々関わっています。企業にとっての大事な顧客。何かの活動ではプチ富裕層が重要なメンバーだったりする。

***

プチ富裕層とよい関係をもつこと、その関心をひくことは、これからの世の中で重要なはずです。

そのために何をすればいいか? 

マーケティング的なことが必要なのでしょうが、根本はとにかく「面白い・意義ある何か」をすることではないでしょうか。

何かをしていると、誰かの関心をひくことがある。とくに、ゆとりのあるプチ富裕層には、好奇心が旺盛で面白いことを積極的にさがしている人が多い。

たとえば、私は何かを発信したり、何かの相談相手になったり、教えたりという活動をしています。ただ、この活動は富裕層よりも、むしろ経済的に制約のある人を意識したものです(私自身がそうだからでしょう)。私は「大衆路線」が好きなのです。

しかしその一方で、私のしていることに関心を寄せて支援してくれる方の重要な部分に、いつもプチ富裕層の人たちがいると感じています。ゆとりがあり、好奇心の豊かな人たち。無名の私にアクセスしてくださるのですから、積極的な方が多いです。

***

そして私の周囲には、何かの活動を本格的に行っていて、そこでプチ富裕層を顧客としたり、活動仲間としたりしている人がときどきいます。

最も身近なところでは、私の奥さんは書道教室を運営していますが、これまで接してきた書道の先生や熱心な生徒の多くは、やはりプチ富裕層でした(でも彼女とその夫は残念ながらプチ富裕層ではない)。

私の友人のミュージシャンは、音楽活動のほかにアルバイトをして食べている状況ですが、彼の音楽仲間にはプチ富裕層が結構います。

私が知る、ある文化・学術系のNPOにも、活動の中核にプチ富裕層といえる人たちがいます。また、そこに寄付などを行う支持者にもプチ富裕層がたしかにいるのです。

***

彼らは自分の分野でよく勉強して、楽しいこと・ステキなことを生み出す活動をしています。自分なりにできるかたちで「面白いこと」を続けている。

この人たちは、自分はビンボーなことも多いです。でも世の中を楽しく豊かにするのに貢献している。こういう「ビンボーな人」がいないと、世の中は味気ないものになるでしょう。

そのような「ビンボー人」を「プチ文化人」といってもいいでしょう。「プチ富裕層」に対応するものとしての「プチ文化人」です。

この社会には「プチ富裕層の関心をひくプチ文化人」というポジションがあるようです。このような人たちはプチ富裕層とともに、これからの社会で一層の存在感を放つと思います。

「富裕層(大富豪や貴族)を顧客やパトロンとする文化人」は、昔からいました。でもきわめて少数で、エリート的な存在でした。そのような富裕層の数がごくかぎられていたからです。

しかし「プチ富裕層に関わるプチ文化人」はもっと数が多く、大衆的なものです。プチ富裕層が巨大なボリュームで存在するからです。

私もそうしたプチ文化人のポジションは意識したいと思っています。そのために、いろんな意味での勉強や、行動を続けていきたいです。

私そういちの奥さんの書道教室

私そういちの著書・世界史の入門書

一気にわかる世界史

関連記事