そういちコラム

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アメリカに勝利した男 ホー・チ・ミン・「徹底抗戦」をどう考えるか

先日私は、現代史についての(大人向けの)世界史セミナーで、講師をつとめました。

私の講演のあとフリートークとなり、ウクライナの戦争について、参加者の1人からこんな発言がありました――「ウクライナの徹底抗戦は、多くの犠牲を生むことになる。戦いを長引かせず、どこかでうまく“負ける”ことを考えるべきではないか。ゼレンスキーが主導する徹底抗戦には疑問を感じる」

今のウクライナの徹底抗戦から、私はベトナム戦争における北ベトナムとアメリカの戦いを思い出します。

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1954年、フランスの植民地だったベトナムが、対仏戦争に勝って独立しました。ただし、北部のみの独立です。その指導者ホー・チ・ミン(1890~1969)は、南部も含めた祖国統一のため、戦いを続けます。

しかし、彼の政権はソ連の支援を受けて社会主義をかかげており、そこでアメリカが介入してきました。ベトナム戦争(1965~75)の本格的なはじまりです。

やがて戦争は泥沼化。米軍の爆撃で国土が破壊され、おおぜいが亡くなりました。

それでも、ホーの戦う意志はゆらぎません。ゲリラ戦法で徹底抗戦しました。戦争中にホーは病死しますが、後継者が戦いを続けます。そして、戦いが激化して10年目、ついにアメリカは撤退したのでした。

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ホーは、国家のリーダーでありながら、ふだんはゴムサンダルにサファリジャケットといういでたち。質素そのもののような人物でした。痩せていて、ヤギのような(立派な感じではない)あごひげを生やしている。

ベトナム人のあいだでは、おだやかな「ホーおじさん」のイメージもありました。しかし、実際は鉄の意志を持つ、戦闘的なリーダーでした。

フランスとの独立戦争が始まろうとしていた1946年、ホーはこんなことを言っています。

「われわれがフランス兵をひとり殺す間に、フランスはべトナム兵を十人殺せる。しかし、たとえそうであっても、フランスは負け、われわれが勝つ」
(『TIMEが選ぶ20世紀の100人(上)』81ページ「ホーチミン」の項より、徳岡孝夫監訳)

これは恐ろしい発言だと思います。合理性を超えた強い執念。勝利のためにはどれだけ人が死んでもいい、ということでもある。

そしてホーは、フランスとの戦いに勝った。アメリカとの戦争も、この言葉と同じ思いで戦ったのでしょう。

20世紀の世界で、アメリカと大きな戦争をして勝ったのは、ホー・チ・ミンたちだけです。ホーという指導者がいなければ、ベトナムはアメリカに屈したかもしれません。

そのかわり、ぼう大な命が失われることもなかったはずです。ベトナム戦争では、南北の兵士・市民をあわせて300万人が亡くなったといわれます(死者数は諸説あり)。

ホーは、ベトナム人の誇りを守りました。これは偉業といえるでしょう。しかし、「偉大な指導者が多くの犠牲を生む」という面もあるのです。

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ウクライナの徹底抗戦をどう考えるか――このことについて、今の私には断定的なことはとても言えません。

世界史セミナーのフリートークでは、ホー・チ・ミンについて触れて「ものごとにはたしかに両面がありますね」とお茶を濁しただけでした。

そして、第二次世界大戦のポーランドという、ナチス・ドイツとソ連の両方から攻撃を受け、短期間(1~2か月)で敗れた国家の事例についても触れました。

侵攻が始まって間もなく(ナチスの侵攻からやや遅れてソ連の侵攻が始まると)、当時のポーランドの大統領や首相、軍の最高司令官や多くの将兵はルーマニアへ逃れていきました。

これには「いったん退却して戦い続ける」という目的はありましたが、国内に残った人びとはさらに悲惨なことになりました。

残った人びとは絶望的な抵抗を続けましたが、政府と軍のトップがいないのです。国をあげての徹底抗戦はできませんでした。そして、侵略者たちは征服・支配においてポーランド人に非道のかぎりをつくしたのです。

第二次世界大戦の始まった頃のポーランドは人口3000万ほどの国でしたが、この大戦で(一説には)630万人の犠牲者が出ています。その犠牲者のうちの600万はユダヤ人を含む民間人でした。これは人口あたりの(とくに民間人の)犠牲としては、第二次世界大戦で最悪といえるものです。

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「戦いを長引かせず、うまく負けて犠牲を少なくする」という発想は、たしかに重要なのかもしれない。しかし状況によっては、ポーランドのように「速やかに敗れたけど、うまく負けることができなかった」事例もあるわけです。

そもそも、当事者にとって「自分たちが今現在、うまく負けることができる状況なのか、そうではないのか」を見きわめるのは相当にむずかしいはずです。

その意味でも「徹底抗戦をどう考えるか」はむずかしい問題で、やはり簡単に答えが出せないと、私は思います。

 

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