そういちコラム

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歴史上の偉人に敬称は要らないはずでは?

テレビで話す人が「太宰治さん」「湯川秀樹さん」「渋沢栄一さん」などと、歴史上の偉人(とくに近現代の偉人)を「さん」付けで呼ぶのを聞くことがあります。

私はそれがちょっと気になります。偉人などの歴史上の人物に敬称は要らない、というのが(活字の世界などの)従来の常識だったのではないか?

これには偉人の場合、呼び捨てのほうが「歴史に名を残した別格の人物」というニュアンスが出て、かえって敬意をあらわすという感覚があるように思います。同時代人についても、専門家や著名人として認めているからこその「敬称略」ということがある。

でも最近は、そういう感覚が必ずしも通用しなくなっているのかもしれません。テレビの様子をみるかぎり「歴史上の人物でも敬称をつけないのは失礼」と思う人は増えているようです。

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私は自分の文章では、原則として「存命」あるいは「比較的最近まで存命」の日本人は、巨匠であっても「さん」などの敬称を付けています。

私も同じ時代を生きているので、偉い人であっても「歴史上の人物」的に扱うのに抵抗があるのです。

ただしこれも「最近まで存命」というのを、どこで線引きすべきか迷うこともあります。まあ私は、10年以上前に亡くなった巨匠なら、だいたい「さん」は付けないと思います。敬意をこめて「さん」無しなのです。

一方、外国の著名人や権威の場合には同時代人でも「さん」付けがなじまない感じがするので、敬称略です。知人や一般人ならともかく、横文字の名前に「さん」は合わない感じがする。

もちろん「これが正しい」なんて言うつもりはありません。「私はこうしています」というだけのことです。

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数日前にテレビで「徹子の部屋」をみていたら、夏目漱石の孫である随筆家・半藤末利子さんがゲストで、漱石について語っていました。

この番組で黒柳さんは、最初のほうでゲストの祖父である夏目漱石について「漱石と呼んでいいですか?」と断ったうえで、あとは「さん」付けせずに「漱石」で通していました。黒柳さんも「偉人に敬称は付けない」という「常識」で育った人なのでしょう。

しかし一方で、時代のすう勢のなかで、敬称を付けないことに一定のエクスキューズが必要と感じたのかもしれません。ただしここでは「ゲストの祖父を呼び捨てにすることをマナーとして確認した」ということのほうが大きいのかもしれませんが。

 

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