そういちコラム

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「誤送金」の事件で社会について学ぶ

最近、テレビのワイドショーをみると阿武町の誤送金事件のことを毎日のようにやっています。ネットでもいろいろ取り上げられている。

私は当初それを多少眺めるくらいで、あまり関心を持っていませんでした。「あいつは悪い奴」「いやこっちが悪い」みたいな話も好ましく思えなかった。

それでも事件の展開に伴っていろんなものがみえてくるにつれて、ある種の興味深さを感じるようになりました。「この事件、自分の知らない社会のいろんな面を教えてくれるなあ」と。

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とくに感心したのは、容疑者(誤送金された人物)が使ったカジノサイトの決済代行業者の口座からお金を回収するために、阿武町の弁護士がとった手段です。

朝日新聞デジタルの記事(5月24日配信)を引用すると、“今月19日に町職員が(そういち注:決済代行業者3社の東京のオフィスに)出向き、国税徴収法などに基づき債権を差し押さえて取り立てることを通知する書面を渡した”とのこと。

すると翌日、これらの3社から「容疑者の振り替え分にあたる額が町の口座に入金された」ということです。

ワイドショーでの弁護士の解説で知ったのですが、「国税徴収法に基づく債権の差し押さえ・取り立て」というプレッシャーを決済代行業者に与えたのは、なかなかの手だったとのこと。

どういうことか。まず、この容疑者は「国民健康保険税」を滞納していた。

国民健康保険税というのも、私はよく知りませんでしたが、ネットで調べると、国民健康保険料と同じ使途のお金だそうです。しかし、「保険料」ではなく「税」とすることで自治体が法的に徴収しやすくなる面があり、自治体によっては「保険税」としているとのこと。阿武町はそうだった。

そして国税徴収法という法律の47条によれば、税の滞納があったときに徴収職員は、「滞納者の国税につきその財産を差し押えなければならない」とある。この法律は国税だけでなく自治体が徴収する地方税にも適用されるのだそうです。

そこで阿武町の職員(上記の「徴収職員」にあたる)は、それを根拠として「滞納のあった税を、滞納者からお金が移された、そちら(決済代行業者)の口座を差し押さえて取り立てます」と通告した。

そして、このような徴税のための財産の差し押さえは、極端な話100円の滞納に対し何億円もの資産を差し押さえることも、原理としては可能なのだそうです。とりあえずは裁判所の判断もいらない。また「差し押さえることができる」ではなく「ねばならない」というのも、法としての強制力の大きさを示しています。

「徴税」というのは国家の根幹にかかわるので、国家権力の側に非常に強い権限があたえられているのですね。そうなんだー。

ただし、「このような決済代行業者の口座が国税徴収法における差し押さえの対象にあたるか」などの論点はあるそうです。

でもとにかく、町としては法律を根拠として「差し押さえ」などを強く主張した。それは決済代行業者にとってプレッシャーとなったようです。

もっとも、このタイミングで警察の捜査が決済代行業者に及びつつあった可能性があり、そのプレッシャーのほうが大きかったかもしれないとも、ワイドショーの弁護士は語っていました。

決済代行業者がもしも違法な賭博やその他の違法な資金の流れに関与しているとしたら、警察の捜査は避けたい。それを回避するには容疑者からのお金を町に戻せばいい――そんなふうに考えた可能性もあるとか。

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こういう話は、この事件のほんの一局面のことで、特殊な知識にすぎません。現時点での報道や私の理解に誤りや不十分なところもあるかもしれない。それでもとにかく、「世の中には、特殊な専門的な世界があるのだなあ」と感じます。

そもそも、「決済代行業者」とか「ネットカジノ」とか、あるいは「暗号資産」とか、それを用いた「マネーロンダリング」とかも、私には(そしておそらく多くの人たちにも)なじみのない世界。解説を読んでもわからないことが多い。

また、阿武町の担当部署では、事務処理にいまだにフロッピーディスクを用いていたなどという、地方自治体の現場の実態も知りませんでした。こういう「現場」も、外からみれば特殊な世界です。

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不謹慎かもしれませんが、この事件は、奇想天外な小説のようです。奇想天外な事件を通して、社会や人間のいろんな側面をみせてくれる、そんなドラマのような感じ。

庶民の口座に大金が誤って振り込まれたとき、人の心になにが生じ得るのか。誤送金をした側の組織は(保身も含め)どう対応するか。お金を取り戻すために弁護士はどういう知恵を使うのか。警察や司法はどう動くのか。そしてマスコミや人びとはどう反応するのか。

今はまだ渦中ですが、この事件もいつかはひと段落して全体像が明らかになるでしょう。そのときには、映像作品の素材にしたらいいと思います(きっとすでに検討されているはず)。

映像化するならば、むやみに感情を刺激するのではなく、「めずらしい・興味深い出来事を通じて、社会のしくみを知る」という方向の作品になることを希望します。

 

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