「古典」とされる哲学や思想の本は、つまらないことが多いです。それは、古典が「あたりまえ」のことを古臭い文体でくどくどと書いているものだからです。
古典のメッセージは、当時は最先端でも、今の私たちにとっては常識です。後世に大きな影響を与えたとは、そういうことです。
たとえばF.ベーコンやデカルトといった近代初頭の哲学者(超古典ですね)は「アリストテレスなどの古代の学説をうのみにせず、自分の頭で考えろ」と力説しています。当時は古代の学説に権威があったので、この主張は革新的でした。
でも、今の私たちはアリストテレスを何とも思っていないので、それを「疑え」と言われても困ります。
古典とはそういうものなので、読んでピンとこなくても、気にしなくていいです。
しかし、こうした古典は「学問はどうあるべきか」「精神とは何か」「民主主義とは何か」「科学とは何か」「生命とは何か」等々の核心的な大問題にかかわる議論をしています。ものごとを深く考えるうえで、やはり知っておいて損はないと思います。
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そこで大事なのは「古典のまわりをうろうろする」ということではないでしょうか。
つまり、現代の視点で古典について解説したり論じたりしている本を読む。それも、小難しい解説ではなく、自分にもわかるように書いてあるものを読むことです。
そして、じつは「最先端」といわれる議論には、古典で議論されてきた核心的な問題に新しい光をあてた、というものも多いです。
ただ実際は「核心」など伝わってこない本が多い。でも、感動的にわかりやすく書いてくれる著者もいます。そういう著者に出会えたら、しめたものです。
私の場合は、そのひとりが板倉聖宣さん(1930~2018)という学者でした。
科学史の研究者である板倉さんは、コペルニクスやガリレオなどの科学者について本を書いていました。それら近代科学の開拓者を通じて「科学的とはどういうことか」を論じていました。そしてそこから「科学教育をどうすべきか」について、具体的な提案を行っていたのです。
私の場合、「古典のまわりをうろうろする」ことで「これだ」という先生にめぐりあえました。だから、「古典のまわりをうろうろする」のは、みなさんにおすすめです。
この記事は以下のそういちの著書(電子書籍)の一部を編集したものです。