そういちコラム

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県庁所在地と2番手の都市の格差拡大

先日、秋田県能代市を歩く機会がありました。能代は妻の郷里の近くで、県北部の中心都市です。

能代市は長いあいだ県内で県庁所在地・秋田市に次ぐ「2番手」の規模の都市でした。木材関連などの産業が栄え、能代港は、古くから県北部の木材・鉱物・コメなどの集積地でした。

数十年前の様子を知る人によれば、中心部の商店街・繁華街は賑わっていて、立派な料亭もいくつかあり、地元の名士やビジネスマンの社交場となっていました。

しかし今は地域の商業の中心は郊外のショッピングセンターに移り、代表的な料亭だった昭和戦前期の建物は文化財として保存・公開されています。この旧料亭「金勇(かねゆう)」の木造建築(国の有形文化財)は、大変すばらしいです。

この町の地場の産業は今も重要ですが、現代の経済のなかではかつてほどの比重はありません。いろんなことがこの数十年で変わりました。

そしてこの数十年で、2番手だった能代市と、1番手である秋田市との格差が開いたということもあります。

統計をみると、1930年(昭和5年)に能代市の人口は5万で、秋田市は12万でした。県庁所在地の人口は2番手の都市の2.4倍です(人口は千人の単位で四捨五入しています)。

しかし2015年には、能代市の人口は6万、秋田市は32万。つまり県庁所在地は2番手の5.3倍となり、格差が大きくなっているのです。

秋田県能代市の旧料亭「金勇」

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こうした「県庁所在地と(戦前の)2番手の格差拡大」は、全国各地でみられます。

つまり、戦前には全国各地に県庁所在地に近い規模の2番手の都市が多くあったが、戦後は県庁所在地との格差が開いていった事例がいくつもある。

この視点は、原田泰『世相でたどる日本経済』(日経ビジネス文庫)にあったもので、興味深く思いました。

なぜそうなったのか? 考えられるのは「高度成長期以降、国の予算による公共事業が地方の主要な産業になる傾向があり、官庁のある県庁所在地にお金の流れや雇用が集中した」ということです。上記の原田さんの本も、そういう説明をしています。

ただしこれは単純化した話で、現実はもっと複雑なのでしょう。

しかし上記の説明が概ねあてはまる県は、いくつもあるようです。私は統計(『昭和国勢総覧』東洋経済新報社など)にあたって調べてみました。

たとえば、極端な例だと千葉県。1930年に県庁所在地の千葉市の人口は11万で、2番手の銚子市は7万。県庁所在地は、2番手の1.6倍です。

しかし2015年には、千葉市は97万人で銚子市は6万人。格差は16倍になっています。

そして今の銚子は県内で2番手ではありません。銚子は、かつては水産業や醤油製造などで栄えた都市で、今もそれで知られています。しかし、巨大化する首都圏の一部となった、千葉県のほかの地域のような人口増はなかったのです(銚子の人口はむしろ減っている)。

首都圏以外だと、たとえば1930年の新潟市は人口19万で、2番手の長岡市は12万人。県庁所在地は2番手の1.6倍です。しかし2015年には新潟市81万人、長岡市28万人で、格差は2.9倍になっています。

ほかに、広島市と呉市、札幌市と函館市(ただし現在の2番手は旭川市)、宇都宮市と足利市、青森市と弘前市なども「県庁所在地と2番手の格差拡大」の事例としてあげることができます。

また、北九州市は県庁所在地ではありませんが、昭和の戦前期には県庁所在地の福岡市(30万人余り)よりも人口が多く、その2倍弱の規模でした。しかし1970年代末には逆転して、近年の福岡市(150万人余り)は北九州市の1.5倍の人口になっています。

北九州市は石炭産業や鉄鋼業などで栄えたのですが、現代ではそれらの経済におけるシェアが下がったことが、上記の人口の変化には影響しています。ただし、近年の福岡市の経済は活気があり、それも大きく関わっているでしょう。

なお、こういう比較では、時代によって再編成などで市の範囲が変わることもありますが、おおまかな傾向はみることができるはずです。

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しかし、県庁所在地に匹敵するポジションを守り続けている都市も、なかにはあります。

1930年に静岡市の人口は21万で、浜松市は22万でした。浜松市は県庁所在地ではありませんが、産業都市として繁栄し(僅差ですが)県内最大の都市だったのです。

そして現代も浜松市は、県内最大の都市であり続けています(2015年に静岡市70万人、浜松市80万人)。福島市といわき市の関係も、これに似ています。

そして、「県庁所在地をしのぐ」わけではなく、あくまで「2番手」であっても、県庁所在地との格差がこの数十年で大きく開くことがなかった都市も、いくつかみられます。

たとえば岡山市と倉敷市、長野市と松本市、長崎市と佐世保市、前橋市と高崎市などはそうです。

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ここであげた例は、おもに「1930年時点で県庁所在地が人口10万人以上」で、かつ「2番手の人口が県庁所在地の2分の1以上」の条件を満たす県から取り上げています。要するに全体のほんの一部で、系統だったデータではありません。

それでも、各地方の歴史をみるうえで意味のある「視点」を示したつもりです。

つまり、「県庁所在地と2番手の格差の変化」に注目する。そして、この数十年で格差が開いている場合と、そうではない場合とがある。「なぜそうなったか」は、それぞれの事情や歴史があるわけです。

そこで大事な要素は「2番手の都市で、戦後において繁栄の基礎となる新しい産業がどれだけ発展したか」ではないでしょうか? 

これは検証が必要ですが、十分考えられるはずです。「県庁所在地との格差が開かなかった都市」をみると、そこには産業の担い手である有力な企業が存在するケースが目立ちます。

「2番手の都市と県庁所在地の関係が、この数十年でどう変化したか」は、各地域の歴史をみるうえで大事な視点だと思いますが、どうでしょうか? 

これは、クールな比較や分析が伴なうので、抵抗感もある議論かもしれません。それでも基本的な事実の確認として、やはり意味があるように思います。

 

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