そういちコラム

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「個の力を削ぐもの」を除去するリーダー・2人の代表監督の仕事ぶり

組織のリーダーの重要な役割として、次のことがあると思います。

「“メンバー個々人が能力を発揮するうえで妨げとなる要素”が組織のなかで大きくならないように、その発生を抑えたり、小さな芽のうちに除去したりすること」

これは、サッカーワールドカップとWBCの、それぞれの日本代表監督の様子を伝える報道をみて思ったことです。森保監督と栗山監督のリーダーシップは「組織から“個の力を削ぐもの”を除去する」ことが大きなテーマだったと。

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2人の監督の共通性は、いろいろあるようです。

まず選手への細やかな気遣い。森保監督は代表の合宿所から(それぞれのスケジュールで)自分のチームに戻る選手が出発するとき、その都度見送りをしたそうです。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショー」によれば、ヌートバー選手が初めて日本代表の合宿所に到着したとき、彼の部屋には監督からのあたたかい・丁寧なメッセージが置かれていたとのこと。ヌートバー選手(きっと緊張していたはず)はおおいに感激し、「チームのために全力を尽くす!」とあらためて誓ったのでした。

2人の監督は、こうした気遣いを日常的に・随所で行っていたのでしょう。

また、日ハム監督時代からの栗山監督の特徴として、「選手が大事なところで三振してもエラーしても、決して叱責しない」ということがあるそうです。これも、今朝の「モーニングショー」で知りました。

多くの選手に各々それなりの出場機会を与える「全員野球」(今回のWBCでは代表30人中29人が出場)も、栗山采配の特徴だったといいます。

「全員で」ということは、森保采配でも特徴だったはずです。

昨年のワールドカップのとき、あるサッカー解説者がこんなことを言っていました――「“全員で勝つ”と言う指導者はかなりいるが、そういう人が結局一部の選手ばかり起用することは多い。森保さんみたいに本当に“全員”を実行する人は少ない」と。そんなことを今、思い出します。

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私そういちは、かなりの年齢を重ねながらも「リーダーシップ」を実践する能力も意志もない人間です。そんな私がリーダーシップを語るのは恥ずかしい気もします。

でも、2人の監督の話を見聞きして「これは現代の日本で必要なリーダーシップのあり方だ」と言いたくなったのです。

リーダーがしっかりと自分をみてくれていて、丁寧に語りかけてくれる。

リーダーのエゴや不用意な言動にプライドを傷つけられることはない。リーダーの態度がそうであれば、メンバー同士で傷つけあうことも少ない。

リーダーが、どこかで自分をふさわしいかたちで起用してくれると期待できる。個々のメンバーが「自分はリーダーに信頼されている」と感じることができる……

以上は、2人の監督のリーダーシップの一端にすぎないかもしれませんが、とにかくそれを構成する要素だと思います。

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たしかに、こういうリーダーシップが発揮されている組織では、メンバーは「チームの目的に奉仕しよう、チームのために自分ができることを精いっぱいやろう」という気持ちが心底強くなるはずです。そして、自分の実力を発揮しやすくもなる。

こうしたリーダーシップのあり方を私なりにまとめれば、

「“個の力を削ぐもの”を除去する」リーダーシップ

ということになります。

私たちが大きなこと・高度なことを成し遂げるには、組織の力は必要です。しかし、組織というのは一般に個人に対しさまざまな制約・抑圧を加えてくるものです。そのなかでメンバー同士の足の引っ張り合い・傷つけあいも起きる。

そうして、個人の資質が組織の力学のなかでおさえつけられ、本来の力は発揮されなくなる……

これは、組織で働くほとんどの人が経験していることなので、多くの説明は要しないでしょう。組織のなかで生じる「個の力を削ぐもの」を、私たちはさんざん経験してきたはずです。

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現代の2人の名監督は「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことに対し、強い意志や信念で取り組んだのだと、私は思います。完全に理想的にできたかどうかはともかく、その意識を強く持って仕事をしたはずです。

これはもちろんいわゆる「管理主義」ではないわけですが、「自由放任でのびのびやらせる」というのともちがうでしょう。

「自由にやらせる」というリーダーシップの実態が「組織の仕事やメンバーに対する無知・無関心」に堕してしまうことは、往々にしてあるはずです。

これに対し2人の監督のリーダーシップは、高度の専門性に基づいて、個々のメンバーの行動や認識にきめ細かく分け入ろうとするものです。つまり「“自由放任”を掲げた無知・無関心」とは対極にある。

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しかしながら、ここでいう「“個の力を削ぐもの”を除去するリーダーシップ」にも限界があるかもしれません。

たとえば、このリーダーシップは、日本代表のような超人的メンバーの集まりだからこそ有効であって、未熟でモチベーションの低い集団にはもっと別のリーダーシップが必要になる――そんなことも考えられるとは思います。

しかし一方で、世の中のたいていの組織・チームは、サッカーや野球の日本代表ほど高度の活動・目標を課されてはいないはずです。

そうであれば「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことで、超人ではない「凡人」たちが持てる力を解放・発揮し、組織の(それなりの)目標をみごとに達成することは、あり得ると思います。

「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことは、その効用に限界はあるはずです。それでも組織のマネジメントにおいて、とくに日本の組織において、これからおおいに重視されるのではないかと思います。

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