そういちコラム

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非建設的な、マイナスのエネルギーの恐ろしさ・安倍元首相死去

昨日の安倍元首相が殺害された事件に、たいへん衝撃を受け、ご冥福を祈る気持ちとともに、つよい怒りを覚えました。

事件の背景や犯人の動機などは、まだよくわからないわけですが、とにかく非建設的な、マイナスのエネルギーというものを感じます。こういうエネルギーが高まることは、恐ろしい。

そして「社会における免疫力の弱まり」というイメージも浮かびました。

体内では、小さながん細胞のような病気の種(社会においては、たとえばテロの意図や計画)が、日々生まれることは避けられない。

しかし若く元気な体では、その発生頻度は限られる。そして、活発な免疫作用で「病気の種」はほとんどすべてが封じ込まれ、病気として発現することはめったにない。

しかし今回は、社会の片隅で発生した強い悪意(おそらく今の社会において日々いくつも発生している、動機は問わない)が、社会による「免疫」をかいくぐって、その悪意がめざすことを実現してしまった。社会のなかで特別な立場にあって、本来は守られているはずの人が攻撃され、亡くなってしまった。

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日本において、これほどの影響力のある、中枢にいた政治家がテロで命を失ったのは、昭和戦前期のテロ(ニ・二六事件など)以来のことであるはずです。あの時代も、非建設的な、マイナスのエネルギーが高まっていました。

昭和の高度成長期から平成にかけては、昭和戦前期のテロの時代とは異質な、平和で建設的な時代だったのだと思います。たとえば要人がそれほど厳重な警備もないままに多くの人びとと交わって、そしておおむね無事でいられたのです。

民主国家のリーダーは、独裁国家とはちがって宮殿にとじ込もるわけにはいかない。集会に参加する大衆を選別することもできない。

それでも暗殺などそう簡単には起きないというのが、健全な・活力のある民主国家のすばらしさであり、誇りでした。

私たちの国において、そういう時代が終わろうとしているのかもしれません。

今回の事件が戦前のテロのような政治的・組織的なものであろうとなかろうと、どんな性格のものであっても、とにかくマイナスのエネルギーの噴出です。そしてそのエネルギーの噴出が「社会体制に脅威をあたえる暴力」であったという意味で、この事件は「テロ」といえます。それを今回はおさえることができなかった。このことは何らかの状況を示しているように思うのです。

それを抽象的にたとえると「“病気の種”の発生頻度が高まり、かつそれをおさえ込む免疫力が低下している」といえる気がします。

しかし、免疫力の低下は宿命ではないはずです。それが落ちてきたと自覚したなら、いろんな努力によって維持・回復をはかることは、不可能ではないはずです。