【今日の名言】『第一次経済白書』(経済安定本部、1947年発行)より
われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気にかけていた。
終戦直後のきびしい経済状況を報告した白書の言葉です。
この白書は「第一次」、つまり最初に発行された経済白書です。経済白書は現在は内閣府の発行ですが、このときは「経済安定本部」という、戦後の経済復興を指揮するために創設された官庁が担当していました。
この言葉は、白書の「結語」(最後のまとめ)に出てきます。そのあとはこう続きます。
《いまは過去となった悪夢のような戦争のさ中でも、望まぬ現実に眼をおおい、望む方向には事実をまげようとする為政者の怯懦(きょうだ、“臆病で意志が弱い”の意)な態度は、はかり知れぬほど国民にわざわいした》
役所の文書らしくない強い、しかも生き生きしたトーンです。終戦直後の役所の文書のなかには、こういう、今ではあり得ないような感じのものが結構みられます。
それが「名文」として現代まで伝えられて目立っている面はあるのでしょう。しかしそれでも「これまでの過ちを反省し、そこから新しい時代を切りひらこう」という精神が、この時期には強くあったのです。この白書も、そのひとつのあらわれです。
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さきほどの引用のあとも、この白書では「いいね」と思える箇所が続きます。やや長くなりますが抜粋します。
《問題は、単に、人間の体にしてみれば指を切ったとか足が折れたとかいう程度ではないのである。……正直者が馬鹿をみたり、まじめに働くものが損をしたりする現実は、とりもなおさず、経済という有機体の生理学的な故障をものがたるものである》
《経済が危機に立ったときには、われわれは否応なしに、ものごとを透明かつ直接的につかむことを余儀なくされるし、またそうしなければならない》
《復興再建の途上にのりだす過程は、当然のことではあるが、まじめにはたらくものどうしがもっともっと直接につながりあって、自らの労働の成果を通じて生活を豊かにしてゆく過程、そしてそのためには一時的な耐窮も自らのためのものとして、自らが自らに課するところの過程でもなければならない》
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どうでしょう、やはりふつうに思う「白書」らしくないですね。終戦直後は、特殊な時代だったのです。
その後、日本社会は急速な経済の復興・発展を成し遂げます。この白書が言うような理想を実現したかどうかは別ですが……。
そして最近思うのは、日本の政治家や官僚、そして政治家を選ぶ私たちが方向性をまちがえると、またこの白書のような(きわめて真剣な)反省文が書かれることになってしまうのではないか、ということです。
これほどに真剣な反省や再出発の宣言文を、権威ある役所が書くことは終戦直後以来、ずっとなかった。しかし、そうもいかなくなるかもしれない。
未来の白書において、「われわれは現実を正視する勇気にかけていた」「望まぬ現実には眼をおおい、事実を曲げようとする指導者の態度が大きな災いをもたらした」などと、また述べる破目にならないか? かなり心配です。
私もこの講談社学術文庫版で読みました。安い値段で古本が出ているようです。
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