そういちコラム

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楽天主義のワイマール憲法と、人間不信のボン基本法

第二次世界大戦をひき起こした独裁者ヒトラー(1889~1945)は「ワイマール憲法」のもとで登場しました。

この憲法は民主的で、国民投票や大統領公選のように「国民が直接決める」ことを重視しました。なのに、独裁者を生んだのはなぜ? 

そこで、戦後のドイツの話を。敗戦後のドイツは自由主義の西ドイツと社会主義の東ドイツに分割されました。その後1990年に西が東を吸収合併し、現在に至っています。西ドイツは、1949年に制定されたボン基本法という新憲法のもとで復興・発展を遂げました。

独裁と戦争を生んだワイマール憲法にくらべ、ボン基本法は成功だったのです。

しかし、ボン基本法への期待は低いものでした。「基本法」とは「仮の憲法」ということです。ところがうまく機能した。基本法は、今は「全ドイツの憲法」です。

なぜうまくいったのか? セバスチャン・ハフナー(1907~1999)というドイツの歴史家はつぎのようなことを述べています。

「ワイマール憲法は楽天主義でつくられたが、ボン基本法は悲観主義だった。ワイマール憲法は、有権者の理性に限りない信頼を置き、国民が惑わされることのない民主主義者であることを前提にしていた。しかし現実は違っていた。その反省から基本法は人間不信に基づき、惑わされやすい人間のもとでもきちんと機能することをめざした」(『ドイツ現代史の正しい見方』草思社)

「惑わされやすい人間を、一定のあるべき方向性のもとで拘束する」のが憲法の核心ではないかと思います。

その「拘束」は国民だけでなく国家の最高権力にまで及ぶ。むしろ国家権力こそが憲法による拘束の第一の対象である。

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ところで、ヒトラー政権下のドイツ(ナチス・ドイツ)では、ワイマール憲法を停止したあとは、最後まで独自の憲法が制定されませんでした。20世紀のほかの独裁者たちは(スターリンも毛沢東も)自ら憲法を制定しているのに。

ヒトラーは「憲法を制定すると、それが自分の独裁を正当化する内容であっても、その憲法に拘束される」と考えたのでしょう。憲法なんてないほうが無制限に権力をふるえる、というわけです。

憲法を否定し破壊したヒトラーは、じつは「憲法とは何か」をよく理解していたのです。そして「ナチスに憲法はなかった」ということは、「権力を拘束する」のが憲法の核心であることをよく示していると思います。

なぜそんな拘束が必要なのか。それはやはり、私たちが揺るぎない信念や知性の持主などではなく、惑わされやすいものだからです。これは憲法にかぎったことではないのでしょうが。

ワイマール憲法時代のドイツ国章

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