そもそも、「民主主義」って何でしょう?
定義すると「政治的な意思決定に対し、それに従う人々(国民・民衆)が参加できること」ではないでしょうか。これは「民主制(政)」ともいいます。
意思決定に従う人びとが、その決定に直接参加できるなら「直接民主主義」です。しかし、規模の大きな現代の国家では、それはむずかしい。
そこで「意思決定を行う議員などの代表者を、国民が選挙する」という間接的なかたちで、意思決定への参加が行われます。これが「間接民主主義」です。
では、「民主主義」の対義語は何か? つまり、「国民が政治的な意思決定に参加できず、少数の権力者がすべてを決める政治のしくみ」です。これは「独裁」とか「専制」といいます。
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以上、民主主義の一番大事な点は「政治的な意思決定への参加」ということです。でも、世の中の民主主義にかんする議論では、ここがあいまいなために混乱することが少なくありません。
たとえば、「人々を幸せにする、よい政治が民主主義」という主張もあります。
でもそれは、独裁を正当化するときに、よく使われる論法です。多くの独裁体制では「この体制は、すばらしい指導者が人民のための政治をしている。だから最高の民主主義だ」といった主張がなされます。
たしかに「政治的な意思決定に参加する」のはめんどうなところがあります。だから、「指導者がうまくやってくれるなら、おまかせでもいいじゃないか、そのほうが気楽だ」という考え方もあるでしょう。
つまり、(国民が意思決定に参加するという意味での)民主主義でなくてもいいではないかと。
しかし「すばらしい」あるいは「それなり」と思っていた指導者が、無謀な戦争や人びとの大弾圧などの、とんでもないことを始めたら?
「これはまずい」と思っても、民主主義の体制でないと、指導者をかえることは容易ではない。指導者をちょっと批判するだけでも、命がけです。最近の私たちは、ロシアでまさにそのような光景をみています。
「国家の方針の最終的な決定権(決定への参加権)が国民にある」ことは、ふだんはそれほど感じなくても、やはりきわめて重大なのです。
私たちの国は、それなりの決定権を国民が持っているはずですから、それを大事にしたほうがいいです。
それにしても、「国民が政治的な意思決定に参加できることが民主主義」なんて、なんだか当たり前すぎて、つまらない感じもしますよね。でも、「一見身もふたもない感じの定義のなかに、きわめて重要なことが含まれている」と思うのですが?
(民主主義の定義は、政治学者・滝村隆一氏の著作による)
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