そういちコラム

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「長老」が力を持つ日本の政治・独裁も改革も阻む体制

日本の政治では、自民党の派閥トップのような長老政治家の影響力は大きいです。現職の総理大臣でも、有力な長老に配慮しなければならないことが多々あるわけです。

先日亡くなった安倍元総理は、自民党最大派閥のトップであり、現在における代表的な「長老」でした。安倍さんは総理を辞めてからは、代議士ではあっても、大臣などの政府(あるいは党)の要職にあったわけではない。しかし、大きな影響力がありました。

「長老」とは、このように公式の役職・権限とは別次元で大きな権力を持つ人のことです。

また、岸田総理が自民党総裁に選ばれた昨年の総裁選でも、それに立候補する(総理をめざすほどの)政治家が長老たちの支持を得るため気をつかっていました。

総裁選に勝つには多くの国会議員の支持が必須で、長老には派閥の議員を動かす力があるからです。

今の日本では公式の権力のトップに立つには、長老という非公式の権力、つまり既得権を持つ保守的な有力者の審査を通らないといけない。これが長老支配ということ。

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「長老支配」は、日本の政治の特徴だと思います。欧米などの海外にも似たことはあるかもしれません。しかし、日本ほど顕著ではないはずです。

このような体制のもとでは、急激な政治の変革は起きにくいです。たとえば、政治の世界におけるアウトサイダー的な(既得権から距離を置く)新参者が、短期間のうちに台頭して政権を得ることはきわめて困難です。

また国民の多くも、そのあり方を良しとしているところがあるように思います。そこに「安定感」があるからでしょう。

たしかに危険な独裁者、あるいは独裁的傾向を持つ「ポピュリスト」は、こうしたアウトサイダーが大衆の支持をバックに天下を取ることで生まれるものです(ヒトラーはその一例です)。

与党の長老たちは、そのような危険なアウトサイダーを阻む壁となるはずです。

独裁は「国民の良識」で食いとめるのが理想です。しかし、歴史では「良識」がうまく働かないことが何度もありました。

独裁を防ぐのに、保守的な長老による「審査」は有効なのかもしれません。

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でも、これでは必要な改革はすすまない。今の日本は、まさに長老支配による、一種のこう着状態だと、私は思います。

社会の安定を保ちながら、つまり危険な独裁に陥ることなく改革もすすめることができる、いい具合のやり方はないものでしょうか? これは日本にとって、むずかしい課題だと思います。

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