私にも、書斎と言えるものはあります。でもきちんとした個室ではなく、夫婦で暮らす集合住宅の一画を棚でラフに仕切った、3畳ほどのスペースです(「書斎コーナー」ですね)。
あとは、家のあちこちに本棚を設置して、本を並べています。友人に、「古本屋さんみたいな家だ」と言われたことがあります。
若いころは、狭いアパートのひとり暮らしでしたので、居間と寝室を兼ねた部屋に、本棚と机がわりのテーブルを持ち込んでいるだけのことでした。
その後結婚して数年経ってから、古い公団の団地を買ってリノベして、今の書斎をつくりました。もう16~17年ほどその「団地の書斎」を使っています。机も椅子も本棚も変わっていない(下の写真)。
そして、この書斎でいろいろ読んだり書いたり、考えたりしてきました。最近はここで過ごす時間がさらに増えました。
でもほかの場所で読み書きをすることも多くあります。その時間もまた重要です。
電車の中やカフェでは、集中して本を読むことができます。若いころ、ファミリーレストランで何時間もノートに向かって書いていたことがありました。大書店でいろんな本を手に取っていくうち、半日が過ぎてしまうこともあります。歩いていて、思いつくことがあると立ち止まってカードにメモします。「どこでも書斎」というのは、本当です。
書斎の本質は、「ひとりになるための部屋」ということだと思います。人はひとりにならないと、考えたり、読書したり、ものを書いたりすることはできません。
本質的に大事なのは「ひとりになること」です。ひとりになれる部屋を持つことは、手段のひとつにすぎません。ひとりになれれば、どこででも考えたり、読書したり、書いたりすることができます。ひとりになったとき、そこが自分の書斎なのでしょう。
日本の住宅事情では、勉強や研究のための個室を持つことはむずかしいかもしれません。結婚して子どもがいたりすると、とくにそうです。
個室が確保できないなら、居間や寝室の片隅に小さな机を置く。それも無理なら、キッチンのテーブルで読んだり書いたりすればいい。プロの物書きや研究者でも、そうしている人がいます。私もまたそうなるかもしれない。
書斎でだいじなのは、場所や空間以上に「時間」です。ひとりの時間をどれだけつくれるか。それはたしかにたいへんなことではありますが。
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