そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

「う」のひきだしの情報術・向田邦子のエッセイから

作家・向田邦子さん(1929~1981)は、おいしいものが大好きでした。彼女のエッセイに食べ物のことはよく出てきます。お菓子や酒の肴や日常の食品について「どこの何がうまいか」に詳しかった。

そんな向田さんは、“「う」のひきだし”というものをつくっていました。スチール製の7段の整理棚に「う」というラベルを張ったひきだしがあった。

“「う」は、うまいものの略である。
この抽斗をあけると、さまざまな切り抜きや、栞が入っている。”

うまいものに関する資料を、このひきだしにしまっていたわけです。「う」というタイトルの、向田さんの(その筋では知られた)エッセイにある話。

向田さんは事務的な整理が苦手。そこで一念発起して、税金や年金の書類、領収書、名刺、手紙などを整理するために、上記のスチール棚を4つ買い、書類を区分けしてひきだしに入れることにした。

しかし、きちんと区分けすることは長続きせず、ひきだしの中はごちゃごちゃになっていきました。

それでも“そのなかでただひとつ、厳然とそれひとつを誇っているのは「う」という箱であった”とのこと。

向田さんは「う」のひきだしにおさめた情報を活用して、食をおおいに楽しみ、友人におすそわけをして喜ばれ、今も読み継がれる食についてのエッセイを書きました。

向田和子『向田邦子の手料理』(講談社)に、そのスチール棚の写真が出ていました(和子さんは邦子さんの妹)。大きくはない、事務的で簡素なもの。たくさんの資料は入らない。(イラストは同書の写真をもとに描いた)

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このひきだしの写真をみたとき私は、「う」のひきだしは、「情報術」のひとつの理想だと思いました。

つまり、自分にとってほんとうに好きなこと・大事なことについて、よく吟味して厳選した情報だけをひとつに集め、しっかり使いこなす。

そして、「吟味・厳選」の基礎には、経験や勉強の積み重ねがあるわけです。

これは、今どきの私たちの情報への接し方とは、全然ちがいます。私たちはインターネットなどから、やたらといろんなものを取り込んでいる。たとえば食べ物について、「う」のひきだしの何千倍もの情報を蓄積している人はめずらしくないはず。

でも、その情報を消化して活用するのはむずかしい。取り込んだ情報から何かを生み出すことは、なかなかできない。情報を使いこなす素養や能力が不足していることが多い。

そんな情報過多の傾向が、最近はほんとうに強くなりました。それを見直して、「あるべき姿」を考えたほうがいいと、私は思います。

「う」のひきだしは、いいお手本です。もちろん食べ物のことにかぎりません。スチールのひきだしを使おうというのでもない。時代がちがうので、扱う情報量はやはり多くなるでしょう。でも、そこにある精神を真似したいわけです。

 

エッセイ「う」は、私はこの選集で読みました。

 

1889年に出た本ですが、今も書店で売っています。